カナリアス級重巡洋艦

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カナリアス級重巡洋艦
艦級概観
艦種 重巡洋艦
艦名 地名
前級 プリンセサ・デ・アストゥリアス級
次級 -
性能諸元
排水量 基準:1万670トン
満載:1万3200トン
全長 193.8 メートル (m)
水線長 192.2 m
全幅 19.5 m
吃水 常備:5.3 m
満載:6.5 m
機関 ヤーロー重油専焼三胴缶8基
+パーソンズギヤードタービン4基2軸推進
最大出力 9万馬力
最大速力 33.0ノット
航続距離 15ノット/8000海里
燃料 重油:2588トン
乗員 1042名
兵装 1924年型 20.3cm(50口径)連装砲4基
1935年型 12cm(45口径)単装高角砲8基
40mm(60口径)機関砲8~12門
20mm機銃3丁
53.3cm三連装水上魚雷発射管4基12門
装甲 舷側:51mm
甲板:38mm
主砲塔:25mm(前盾)、25mm(側盾)、-mm(後盾)、70mm(天蓋)
火薬庫:114mm
司令塔:-mm
航空兵装 水上機-機

カナリアス級重巡洋艦 (英語: Canarias-class cruiserスペイン語: Crucero Pesado Clase Canarias) とは、スペイン海軍重巡洋艦の艦級で2隻が就役した[注釈 1]。設計技師はアームストロング・ホイットワースフィリップ・ワッツである[注釈 2]イギリス海軍ケント級重巡洋艦をタイプシップとした艦型である[2]。本級はスペイン海軍が1926年度計画により建造し、第二次世界大戦前に竣工させた最初で最後の条約型巡洋艦となった[3][注釈 3]スペイン内戦では反乱軍(ナショナリスト派)に所属し、2番艦バレアレス (Baleares) は1938年3月6日にパロス岬沖海戦で撃沈されたが、1番艦カナリアス (Canarias) は1975年まで在籍した[4]

建造までの経緯[編集]

スペイン海軍は1908年米西戦争の敗北から、非効率な海軍工廠をイギリスの資本により復活させ、1909年から弩級戦艦エスパーニャ級」を建造してから軍艦の建造に於いては設計・資材・兵装はイギリスより購入し、建造・組み立てはスペイン国内で行うという方針で海軍艦艇建造を行ってきた。1926年海軍計画において重巡洋艦3隻の建造が承認されたが、後に2隻のみ建造に改められた。

艦形[編集]

船体形状はイギリス条約型重巡洋艦の流れを汲む、水面から乾舷が高い典型的な平甲板型船体である。船体形状は船体長を長くとり、船体の幅を抑えて水の抵抗を抑える形状で、これは少ない機関出力でも高速を出しやすい形状とした。また、乾舷が高いということは外洋航行時の凌波性にも良好な性質が出るので巡洋艦には最適な艦形であった。本級の設計においては、ケント級よりも顕著で全長は4m程長く、幅は1.3m狭くなっていた。

上部構造物では。艦橋構造はケント級重巡洋艦で採用された塔型艦橋である。操舵艦橋を前方に張り出したタイプシップと異なる設計である。また、この時代の英国軍艦としては珍しく集合煙突を採用しているのが大きな特徴である。無論、集合煙突の採用自体は列強では珍しくはないが、重巡洋艦で外見でそれと判るように煙突を纏めたのは大日本帝国海軍くらいで、他国は結合した煙路を船体内に隠すか煙突の下部のみ露出させるのが一般的であった。しかし、本級では甲板上で2本の煙突を途中で結合させた特異な形状をしており、2つ目の外観上のポイントとなっている。元来、イギリス海軍は自国艦は保守的に、海外に輸出する艦では新機軸をテストする傾向が強かったが、本級もそれに倣ったものである。

外観[編集]

近代化改装後のカナリアス

僅かにシア(甲板の反り返り)の付いた艦首甲板から「1924年型 Mark D 20.3cm(50口径)砲」を連装式の砲塔に納め、1・2番主砲塔を背負い式で2基配置された。2番煙突の基部から上部構造物が開始し、塔型艦橋の背後に簡素な単脚式の前部マストが立つ。

前述の結合煙突の周囲から後方にかけて艦載艇置き場があり、煙突の後方に立つ後部マストについたクレーン1基により運用された。舷側甲板上には対空火器として「1935年型 12cm(45口径)高角砲」を単装砲架で片舷に4基ずつ等間隔に配置し計8基を搭載した。後部甲板上に3・4番主砲塔が後ろ向きに背負い式で2基を配置した。

本級の魚雷兵装は特色があり、後檣付近の船体内に53.3cm三連装魚雷発射管を固定式で片舷2基ずつ計4基搭載した。

2番艦「バレアレス」は設計時に小改良されて建造時から煙突にファンネルキャップが付けられ、艦橋の頂上部後方に測距儀が配置されていたのが外観上の識別点である。

第二次世界大戦後の1952年から1953年にかけて「カナリアス」はエル・フェロル工廠で近代化改装が行われ、艦橋に射撃指揮装置が追加されて前部のマストは三脚化した。特徴的な集合煙突は普通の2本煙突に交換された。後にレーダーを装備した時に前後のマストはさらに大型化して前後とも三脚マストに交換された。

兵装[編集]

主砲[編集]

本級の主砲塔と同型のカウンティ級重巡洋艦「シュロップシャー」の主砲塔。

主砲はイギリス製の「1924年型 Mark D 20.3cm(50口径)砲」を採用してタイプシップと同様に連装砲塔で4基を搭載した。その性能は重量116kgの砲弾を仰角49度で2万9750 mまで届かせられた。砲塔の旋回は首尾線方向を0度として左右120度で、俯仰角度は仰角70度・俯角5度でケント級と同じく一応は対空射撃も考えられてはいるが、装填角度は8度で発射速度が毎分3発程度では対空射撃は無効に近かった。

高角砲、その他の備砲[編集]

高角砲は新設計の「1935年型 12cm(45口径)高角砲」を採用した。その性能は22kgの砲弾を仰角45度で最大射程2万 mを、最大仰角80度で最大射高9750 mまで届かせることができた。これを単装砲架で8基を搭載した。砲架の俯仰能力は仰角80度・俯角5度で旋回角度は左右150度の旋回角度を持っていた。砲の旋回、砲身の上下・砲弾の装填の動力は人力を必要とした。発射速度は毎分15~20発である。他に近接火器としてスウェーデンはボフォースの「4cm(60口径)機関砲」を連装砲架で4基、2cm(65口径)機銃を3丁備えていた。

バレアレス[編集]

また、バレアレスは工期の遅れから就役時には射撃指揮装置と4番主砲塔が未搭載で高角砲も届かなかったためにチュルカ級駆逐艦の主砲である「ヴィッカース 12cm(45口径)速射砲」を流用して防盾付きの単装砲架で4基と対空火器として「OTO 10cm(45口径)高角砲」を単装砲架で4基を搭載され、近接火器として「ヴィッカース 4cm(39口径)ポンポン砲」を単装砲架で4基を搭載して就役した。1937年6月にカディスで射撃指揮装置と4番主砲塔を搭載した時に10cm高角砲4基を撤去してヴィッカース 12cm速射砲を8基にした。更に11月に4cmポンポン砲を撤去し、代わりにドイツから輸入した「クルップ 8.8cm(45口径)高角砲」を単装砲架で4基搭載した。

機関[編集]

機関配置は前に缶室、後ろにタービン室を置く全缶全機配置で、被害時にはボイラーか機関が全滅する可能性の高い生存性の低い配置である。ボイラー配置はボイラー4基を2室に別けて配置したために本来は2本煙突となるはずが甲板上で結合させたために不恰好な結合煙突となっている。これは運用性能が悪かったのか、竣工後の1952年の近代化改装で普通の直立型2本煙突に改修された。機関はパーソンズギヤード・タービンを4基を搭載するが、ここから変っており2基を1軸ずつ纏めて2軸推進を採っていた。1万トン級で2軸推進というのは条約型重巡洋艦でも珍しく(タイプシップであるケント級重巡洋艦は4軸推進)、ここでもイギリスの実験艦的設計が光っている。機関出力はヤーロー式重油専焼缶8基とパーソンズ式ギヤードタービン4基2軸推進により「カナリアス」が1934年の公試において最大出力9万1299馬力で速力33.69ノットを発揮し、常用9万馬力で速力33ノットとされた。航続距離は15ノットで8000海里であった。

防御[編集]

元設計のイギリス巡洋艦は船体防御よりも航続距離と航海中の乗員の快適性を重視するイギリス式設計のために防御能力は諸外国に比べて劣っていたが、本級は間接防御を重視した設計を採っていた。

装甲厚は舷側の水線部は最大厚は元設計の倍の51mm装甲を弾薬庫の側面に張っており、他の部分は38mm装甲が張られた。舷側は下方に向かって傾斜していたために傾斜装甲となりカタログ値よりも防御効果は上がっていた。水線下は1層式の水雷防御の外側にバルジを設けていた。水密区画は艦底部の二重底と接続されていた。甲板防御は最上甲板に38(19+19)mm装甲を張っていた。主砲塔の防御は前盾・側面・後盾・天蓋・バーベットすべて25mmであった。唯一として前部・後部火薬庫のみ側面に102~114mmもの装甲を張り、天蓋には75mm装甲で覆っていた。司令塔は25mmであった。

艦歴[編集]

2隻ともSECNフェロル工廠で建造された[5]。1番艦「カナリアス」は1928年8月15日に「バレアレス」とともに起工したが、スペイン国内の政情不振のために海軍予算の削減が相次ぎ、工期は延期に延期を重ね、1931年5月にようやく進水式を行ったが竣工まで5年の歳月を要し1936年9月に竣工した。2番艦「バレアレス」は1932年4月28日に進水式を行い、1936年12月28日に竣工した。

しかし、両艦ともとも計画通りに竣工せず、「カナリアス」は竣工時に12cm(45口径)高角砲の製造が間に合わず仮設に10.2cm(45口径)単装高角砲を搭載し、「バレアレス」は主砲塔の組み立てが遅延し、竣工時は4番砲塔が未搭載であった。両艦ともに、公試が終った頃はスペイン内戦の真っ最中であり、艤装を行っていたフェロル海軍工廠をフランシスコ・フランコ将軍率いる右派の反乱軍が接収したことにより、結果的に本級2隻は反乱海軍に属して行動することになった。「カナリアス」は竣工後の12月にはソ連の軍事援助物資を積んだ商船「コムソマール」を撃沈、翌年3月には軽巡洋艦「セルヴェラ」と共にジブラルタルを抜けて政府軍の「グラヴィナ」「アルミランテ・フェルナンデス」を攻撃、「アルミランテ・フェルナンデス」を撃沈、「グラヴィナ」を損傷させ避退させた。この海戦により反乱海軍はスペイン西南部の制海権を得た。一方、「バレアレス」は1937年9月に政府軍の援助物資を積んだ輸送船団を襲撃。しかし、政府軍軽巡洋艦「リベルタード」「メンデス・ヌソス」2隻と駆逐艦7隻と、強力な布陣に阻まれた「バレアレス」は返り討ちにあい火災発生、「リベルタード」に命中弾を出すも逆に撤退する羽目になってしまった(シェルシェル岬沖海戦)。この後も「カナリアス」は数々の武勲を立てるのと対照的に「バレアレス」は武勲にも運命にも恵まれなかった。1938年3月6日未明に生起したパロス岬沖海戦では仇敵の「リベルタード」と戦った「バレアレス」は探照灯を向け、果敢に射撃を行ったが、まだ深夜ということもあり、明かりを点けて目立った「バレアレス」に政府軍の駆逐艦隊が殺到。駆逐艦は立て続けに10本の魚雷を射出し、内3本が「バレアレス」に命中。たちまちの内に轟沈してしまった。姉妹艦を失った「カナリアス」は無傷のまま数々の武勲と共に内戦を勝ち抜いた。

1941年(昭和16年)5月27日ライン演習作戦により大西洋へ出撃したドイツ海軍 (Kriegsmarine) の戦艦ビスマルク (Bismarck) はイギリス海軍 (Royal Navy) に包囲されて撃沈された[注釈 4]ドイツ軍西部管区司令部からの要請により、カナリアスがビスマルクの支援にむかう[8]5月30日、カナリアスは洋上でドイツ気象観測艦ザクセンヴァルト英語版ドイツ語版と遭遇した[注釈 5]。その後、カナリアスはビスマルクの戦死者2名を回収し、水葬に伏した[注釈 6]

出典[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 西班牙 一等巡洋艦カナリア(一九三四年竣工)[1] 基準排水量一二二三〇噸、時速三三節。同型にバレァシスあり。バ級二巡洋艦の一隻。
  2. ^ ワッツ技師はプリンシペ・アルフォンソ級軽巡洋艦の設計も担当した。
  3. ^ スペイン海軍はワシントン海軍軍縮条約を批准していないため条約制限は課せられていなかったが、スペイン海軍が使用可能なドックの規模により結果的に条約範囲内に排水量が収まる形となった。
  4. ^ イギリス海軍は空母アーク・ロイヤル (HMS Ark Royal, 91) のソードフィッシュ雷撃機でビスマルクの舵を破壊し[6]戦艦2隻(キング・ジョージ5世ロドニー)と重巡2隻(ノーフォークドーセットシャー)が砲撃と雷撃でビスマルクを葬った[7]
  5. ^ ザクセンヴァルトは、5月28日夜にビスマルク生存者2名を救助していた[8]
  6. ^ カナリアスが収容したビスマルク乗組員は、ヴァルター・グラスクツァク三等水兵、ハインリヒ・ノイシュヴァンダー信号員であったという[8]

脚注[編集]

  1. ^ 世界海軍大写真帖 1935, p. 65.
  2. ^ 世界の艦船、写真シリーズ(3)巡洋艦 2007, p. 107「カナリアス」Canarias
  3. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 133aスペイン/重巡洋艦「カナリアス」級 CANARIAS CLASS
  4. ^ 世界の艦船、写真シリーズ(3)巡洋艦 2007, p. 124スペイン/「カナリアス」Canarias
  5. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 133b.
  6. ^ 巨大戦艦ビスマルク 2002, p. 295ビスマルクが空母アーク・ロイヤルの艦載機から舵に魚雷を受けるまで
  7. ^ 巨大戦艦ビスマルク 2002, p. 370ビスマルク最後の戦闘
  8. ^ a b c 巨大戦艦ビスマルク 2002, pp. 425–427.

同型艦[編集]

参考文献[編集]

  • 世界の艦船 1986年1月増刊号 近代巡洋艦史』(海人社
  • 『世界の艦船 2006年6月号 回想の条約型重巡』(海人社)
  • 編集人 木津徹、発行人 石渡長門『写真シリーズ 軍艦の構造美を探る(3) 巡洋艦 WORLD CRUISERS IN REVIEW』株式会社海人社〈世界の艦船 別冊〉、2007年6月。 
  • 編集人 木津徹、発行人 石渡長門『世界の艦船 2010.No.718 近代巡洋艦史』株式会社海人社〈2010年1月号増刊(通算第718号)〉、2009年12月。 
  • ブルカルト・フォン・ミュレンハイム=レッヒベルク 著、佐和誠 訳『巨大戦艦ビスマルク 独・英艦隊、最後の大海戦』早川書房〈ハヤカワ文庫〉、2002年7月。ISBN 4-15-050269-2 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]