いしぶみ

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いしぶみ』は、1969年広島テレビ放送日本テレビ系列[1])が制作したドキュメンタリー番組、もしくはこの番組をもとに1970年ポプラ社から刊行された書籍である。

内容としては、1945年(昭和20年)8月6日勤労動員中に広島原爆で全滅した旧制広島県立広島第二中学校(現・広島県立広島観音高等学校[2])1年生322名[3]の記録である。

内容[編集]

その当時、広島二中では、3年生以上は軍需工場へ働きに行き、1、2年生は学校で芋を作ったりする作業等をしていた。そのころの中学生は、遺されたある生徒の日記によく書かれている。子供を心配して探しに来た父母に会えて、喜びのうちに亡くなった生徒もいる。なかには、どこで死んだのか未だにわからない生徒もいる。このように、8月6日の様子を、広島二中の生徒を中心に克明に描いている。

テレビ番組[編集]

1969年10月9日に、1時間番組として日本テレビほか全国23局で放送された。放送時のタイトルは『』。広島市出身で、生徒たちの母親とほぼ同世代(1906年生まれ)でもある女優・杉村春子が、動員学徒たちの遺影が掲げられた室内で、遺族の証言や学徒らの最期を語る内容である。たびたび原爆被害の写真を効果的に挿入し、最終的に学徒らの遺影が崩れ落ちるという衝撃的な演出で話題となった。構成は松山善三が務めた。

昭和44年度文化庁芸術祭優秀賞、週刊TVガイド主催・テレビ大賞優秀番組賞、第7回放送批評家賞(現・ギャラクシー賞)を受賞。その後、デンマークやスイスなど海外でも放送された。

企画者の薄田純一郎(当時報道制作部長)によれば、テレビドラマとして制作された番組である[4][5]。現在、横浜市にある放送ライブラリーに保存されており、閲覧することが可能である。

スタッフ[編集]

書籍[編集]

1970年、ポプラ社から刊行され、以後現在に至るまで長年に渡り版を重ねている。初版時には、第13回児童福祉文化賞と第18回サンケイ児童出版文化賞(1971年)を受賞した。表表紙には原爆ドーム、裏表紙には広島二中の慰霊碑に刻まれた「」の一字の写真が掲載されている。本編イラストは小林勇

書誌情報[編集]

  • 『人類の記録シリーズ3 : いしぶみ』(ポプラ社、1970年6月20日、ISBN 4591013448
  • 『いしぶみ - 広島二中一年生全滅の記録』(ポプラ社文庫)※上記の文庫化
  • 『いしぶみ - 広島二中一年生全滅の記録』(新版、ポプラ社文庫、2005年8月)
  • 『いしぶみ - 広島二中一年生全滅の記録』(ポプラポケット文庫、2009年7月)

目次[編集]

  • はじめに(広島テレビ放送専務取締役〈当時〉吉野知巳
  1. その日の朝
  2. 河本くん[6]の日記から
  3. 本川土手の集合
  4. 爆発の瞬間
  5. 川の中で
  6. 脱出から再会へ
  7. 郊外へ
  8. その夜
  9. お寺の救護所で
  10. 寄宿舎から平良村
  11. 寝られぬ両親
  12. あくる朝
  13. 非難する途中で
  14. ゆくえのわからない生徒たち
  15. そして全滅した

その他[編集]

  • 広島の男声合唱団「広島メンネルコール」は、この番組が放映された翌年の1970年に、広島テレビの協力を得て、同名の合唱組曲を創作した。作詞は、番組の企画者である薄田純一郎が担当した。
  • 近年においては、近藤紗代片渕忍など文学座出身の女優(杉村の後輩にあたる)によって、朗読劇として上演されている。中には、地元広島の人々が参加した公演もある。

原爆死亡者の名簿[編集]

これは、本川土手で被爆して亡くなられた廣島二中の4人の先生と1年生322人の名簿である。

脚注[編集]

  1. ^ 放送当時はフジテレビ系列とのクロスネットだったが、この番組に関しては日本テレビ系列向けだった。
  2. ^ ただし同校の商業科は分離して広島県広島商業高等学校(現・広島県立広島商業高等学校)へ統合。
  3. ^ 原爆投下で20数万人が犠牲となり、「家族全員が亡くなっているケース」「遺骨さえあがらないケース」等も珍しくないため、このうち226人が判明している。
  4. ^ 「碑」 広島メンネルコール
  5. ^ 当時の芸術祭にも「テレビ部門ドラマの部」で参加している。
  6. ^ 河本聿美(第6学級)。残っている日記は昭和19年12月1日から昭和20年8月4日まで。本川土手にて建物疎開で整列していた場所で防空姿勢のまま即死した。

外部リンク[編集]