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== 噴火の概要 ==
1783年4月9日(旧暦。以下この項目では同じ)に活動を再開した浅間山は、5月26日、6月27日と、1か月ごとに噴火と小康状態を繰り返しながら活動を続けていた。6月27日からは噴火や爆発を毎日繰り返すようになっていた。日を追うごとに間隔が短くなると共に激しさも増した。7月6日から3日間にわたる噴火で大災害を引き起こした。最初に北東および北西方向(浅間山から北方向に向かってV字型)に吾妻[[火砕流]]が発生(この火砕流は、いずれも群馬県側に流下した)。続いて、約3か月続いた活動によって山腹に堆積していた大量の噴出物が、爆発・噴火の震動に耐えきれずに崩壊。これらが大規模な土石雪崩となって北側へ高速で押し寄せた。遠く離れた[[江戸]]でも降灰があったという。なお爆発音は京都から四国付近、そして極めて疑わしいが九州地方まで聞こえたとも言われる。高速化した巨大な流れは、山麓の大地をえぐり取りながら流下。[[鎌原村]](現・[[嬬恋村]][[大字]]鎌原地域)と[[長野原町]]の一部を壊滅させ、さらに[[吾妻川]]に流れ込んで[[天然ダム]]を形成して河道閉塞を生じた。吾妻川・利根川を流下したこの泥流は「天明泥流」とも呼ばれ、[[太平洋]]に流れ出るほどであったといわれる<ref>{{Cite journal|journal=|author=井上公夫|title=浅間山天明噴火で吾妻川・利根川を流下した天明泥流|url=https://ci.nii.ac.jp/naid/40021076326|NAID=40021076326}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=鈴木毅彦 |title=東京とその周辺における火山災害の歴史と将来 |journal=地學雜誌 |issn=0022-135X |publisher=東京地学協会 |year=2013 |volume=122 |issue=6 |pages=1088-1098 |naid=130003395479 |doi=10.5026/jgeography.122.1088 |url=https://doi.org/10.5026/jgeography.122.1088}}</ref>。天然ダムは直ぐに決壊して[[ラハール|泥流]]となり大洪水を引き起こして、吾妻川沿いの村々を飲み込みながら本流となる[[利根川]]へと入り込み、現在の前橋市から[[玉村町]]あたりまで被害は及んだ。増水した利根川は押し流したもの全てを下流に運び、当時の利根川の本流であった[[江戸川]]にも泥流が流入して、多くの遺体が利根川の下流域と江戸川に打ち上げられた。この時の犠牲者は1624人(うち上野国一帯だけで1,400人以上)、流失家屋 1151戸、焼失家屋 51戸、倒壊家屋130戸余りであった<ref>[http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1783-tenmei-asamayamaFUNKA/index.html 1783 天明浅間山噴火] 『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書』 平成18年3月、[[中央防災会議]]</ref>。最後に「鬼押出し溶岩」が北側に流下して<ref>{{Cite journal|和書|author=福地慶大 |title=浅間火山・鬼押出し溶岩上の植生分布とその規定要因 |journal=日本地理学会発表要旨集 |publisher=日本地理学会 |year=2013 |volume=2013年度日本地理学会春季学術大会 |issue=セッションID: 231 |pages=31 |naid=130005473337 |doi=10.14866/ajg.2013s.0_31 |url=https://doi.org/10.14866/ajg.2013s.0_31}}</ref>、天明3年の浅間山大噴火は収束に向かったとされている<ref>{{Cite journal|和書|author=福地慶大 |title=浅間火山・鬼押出し溶岩上の植生分布 |journal=日本地理学会発表要旨集 |publisher=日本地理学会 |year=2012 |volume=2012年度日本地理学会秋季学術大会 |issue=セッションID: 619 |pages=100095 |naid=130005456868 |doi=10.14866/ajg.2012a.0_100095 |url=https://doi.org/10.14866/ajg.2012a.0_100095}}</ref>。被害が特に甚大だった、浅間高原北側の鎌原村では、この地域だけで483人が死亡した。なお、長らく溶岩流や火砕流が土砂移動の原因と考えられてきたが、低温の乾燥粉体流が災害の主要因であったとの研究結果が、1994年に報告された<ref>{{Cite journal|和書|author=井上公夫, 石川芳治, 山田孝, 矢島重美, 山川克己 |title=浅間山天明噴火時の鎌原火砕流から泥流に変化した土砂移動の実態 |journal=応用地質 |issn=02867737 |publisher=日本応用地質学会 |year=1994 |month=apr |volume=35 |issue=1 |pages=12-30 |naid=110003356476 |doi=10.5110/jjseg.35.12 |url=https://doi.org/10.5110/jjseg.35.12}}</ref>。最も被害が大きかった鎌原村の地質調査をしたところ、天明3年の噴出物は全体の5%ほどしかないことが判明。また、1979年(昭和54年)から嬬恋村によって行われた発掘調査では、3軒の民家を確認できたが、出土品に焦げたり燃えたりしたものが極めて少ないことから、常温の土石が主成分であることがわかっている。また、一部は溶岩が火口付近に堆積し溶結し再流動して流下した火砕成溶岩の一部であると考えられている。2000年代の発掘では、火山灰は遠く[[栃木県]]の[[鬼怒川]]から[[茨城県]][[霞ヶ浦]]、[[埼玉県]]北部にまで降下していることが確認された<ref>石弘之『歴史を変えた火山噴火 -自然災害の環境史-』(刀水書房、2012年) 105ページ</ref>。また、大量に堆積した火山灰は利根川本川に大量の土砂を流出させ、天明3年の水害、天明6年の水害などの二次災害被害を引き起こした<ref name="tonesui00023">[https://www.ktr.mlit.go.jp/tonesui/tonesui00023.html 天明3年(1783年)浅間山噴火] [[国土交通省]] 利根川水系砂防事務所</ref><ref name="tonesui00023" />。

==天明の大飢饉との関連==
天明の浅間山噴火は、[[天明の大飢饉]]の原因となり、[[東北地方]]で約10万人の死者を出したと長らく認識されていたが、東北地方の気候不順による不作は既に1770年代から起きていることから直接的な原因とは言い切れない。一方で同じ年には、東北地方北部にある[[岩木山]]が噴火(4月13日・天明3年3月12日)するばかりか、[[アイスランド]]の[[ラキ火山]](Lakagígar)の巨大噴火(ラカギガル割れ目噴火、6月8日)と[[グリムスヴォトン]]火山(Grímsvötn)の長期噴火が起き、桁違いに大きい膨大な量の[[火山ガス]]は[[成層圏]]まで上昇。噴火に因る塵は地球の北半分を覆い、[[直達日射量|地上に達する日射量]]を減少させたことから、[[北半球]]に低温化・[[冷害]]をもたらした。このため既に深刻になっていた飢饉に拍車をかけ事態を悪化させた面がある。「[[火山の冬#有史時代の事例]]」も参照。


1783年に発生した[[浅間山]]の[[大噴火]]。「鬼押出し」と呼ばれる大規模な[[溶岩流]]により、甚大な被害が発生。噴火による被害は、犠牲者は1624人(うち[[上野国]]一帯だけで1,400人以上)、流失家屋1151戸、焼失家屋51戸、倒壊家屋130戸余り。この噴火は、[[天明の大飢饉]]の原因の1つにもなったと考えられている。
==出典==
==出典==
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==関連項目==
==関連項目==
*[[天明の大飢饉]]
* [[浅間山]]
* [[鎌原観音堂]]
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* [[天明の大飢饉]]

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2021年8月19日 (木) 12:28時点における版

天明大噴火
鬼押し出し溶岩流の範囲
火山浅間山
噴火様式プリニー式噴火
火山爆発指数4
プロジェクト:地球科学プロジェクト:災害

天明噴火(てんめいだいふんか)とは、1783年5月9日(天明3年4月9日)から始まり[1]、約90日間続いた浅間山大噴火である[2][3][4]。噴出物総量は4.5×108m3火山爆発指数はVEI4。プリニー式噴火であった[5]

噴火の概要

1783年4月9日(旧暦。以下この項目では同じ)に活動を再開した浅間山は、5月26日、6月27日と、1か月ごとに噴火と小康状態を繰り返しながら活動を続けていた。6月27日からは噴火や爆発を毎日繰り返すようになっていた。日を追うごとに間隔が短くなると共に激しさも増した。7月6日から3日間にわたる噴火で大災害を引き起こした。最初に北東および北西方向(浅間山から北方向に向かってV字型)に吾妻火砕流が発生(この火砕流は、いずれも群馬県側に流下した)。続いて、約3か月続いた活動によって山腹に堆積していた大量の噴出物が、爆発・噴火の震動に耐えきれずに崩壊。これらが大規模な土石雪崩となって北側へ高速で押し寄せた。遠く離れた江戸でも降灰があったという。なお爆発音は京都から四国付近、そして極めて疑わしいが九州地方まで聞こえたとも言われる。高速化した巨大な流れは、山麓の大地をえぐり取りながら流下。鎌原村(現・嬬恋村大字鎌原地域)と長野原町の一部を壊滅させ、さらに吾妻川に流れ込んで天然ダムを形成して河道閉塞を生じた。吾妻川・利根川を流下したこの泥流は「天明泥流」とも呼ばれ、太平洋に流れ出るほどであったといわれる[6][7]。天然ダムは直ぐに決壊して泥流となり大洪水を引き起こして、吾妻川沿いの村々を飲み込みながら本流となる利根川へと入り込み、現在の前橋市から玉村町あたりまで被害は及んだ。増水した利根川は押し流したもの全てを下流に運び、当時の利根川の本流であった江戸川にも泥流が流入して、多くの遺体が利根川の下流域と江戸川に打ち上げられた。この時の犠牲者は1624人(うち上野国一帯だけで1,400人以上)、流失家屋 1151戸、焼失家屋 51戸、倒壊家屋130戸余りであった[8]。最後に「鬼押出し溶岩」が北側に流下して[9]、天明3年の浅間山大噴火は収束に向かったとされている[10]。被害が特に甚大だった、浅間高原北側の鎌原村では、この地域だけで483人が死亡した。なお、長らく溶岩流や火砕流が土砂移動の原因と考えられてきたが、低温の乾燥粉体流が災害の主要因であったとの研究結果が、1994年に報告された[11]。最も被害が大きかった鎌原村の地質調査をしたところ、天明3年の噴出物は全体の5%ほどしかないことが判明。また、1979年(昭和54年)から嬬恋村によって行われた発掘調査では、3軒の民家を確認できたが、出土品に焦げたり燃えたりしたものが極めて少ないことから、常温の土石が主成分であることがわかっている。また、一部は溶岩が火口付近に堆積し溶結し再流動して流下した火砕成溶岩の一部であると考えられている。2000年代の発掘では、火山灰は遠く栃木県鬼怒川から茨城県霞ヶ浦埼玉県北部にまで降下していることが確認された[12]。また、大量に堆積した火山灰は利根川本川に大量の土砂を流出させ、天明3年の水害、天明6年の水害などの二次災害被害を引き起こした[13][13]

天明の大飢饉との関連

天明の浅間山噴火は、天明の大飢饉の原因となり、東北地方で約10万人の死者を出したと長らく認識されていたが、東北地方の気候不順による不作は既に1770年代から起きていることから直接的な原因とは言い切れない。一方で同じ年には、東北地方北部にある岩木山が噴火(4月13日・天明3年3月12日)するばかりか、アイスランドラキ火山(Lakagígar)の巨大噴火(ラカギガル割れ目噴火、6月8日)とグリムスヴォトン火山(Grímsvötn)の長期噴火が起き、桁違いに大きい膨大な量の火山ガス成層圏まで上昇。噴火に因る塵は地球の北半分を覆い、地上に達する日射量を減少させたことから、北半球に低温化・冷害をもたらした。このため既に深刻になっていた飢饉に拍車をかけ事態を悪化させた面がある。「火山の冬#有史時代の事例」も参照。

出典

  1. ^ 天明3年の大噴火”. webcache.googleusercontent.com. 2021年4月26日閲覧。
  2. ^ tenmei eruption / 1783年噴火 (天明噴火)|災害と緊急調査|産総研 地質調査総合センター / Geological Survey of Japan, AIST”. www.gsj.jp. 2021年4月26日閲覧。
  3. ^ 歴史的大規模土砂災害地点を歩く - いさぼうネット”. isabou.net. 2021年4月26日閲覧。
  4. ^ 1783年天明浅間山大噴火
  5. ^ 浅間火山の地質と活動史”. 高橋正樹(日本大学文理学部地球システム科学科). 2021年8月2日閲覧。
  6. ^ 井上公夫. 浅間山天明噴火で吾妻川・利根川を流下した天明泥流. NAID 40021076326. https://ci.nii.ac.jp/naid/40021076326. 
  7. ^ 鈴木毅彦「東京とその周辺における火山災害の歴史と将来」『地學雜誌』第122巻第6号、東京地学協会、2013年、1088-1098頁、doi:10.5026/jgeography.122.1088ISSN 0022-135XNAID 130003395479 
  8. ^ 1783 天明浅間山噴火 『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書』 平成18年3月、中央防災会議
  9. ^ 福地慶大「浅間火山・鬼押出し溶岩上の植生分布とその規定要因」『日本地理学会発表要旨集』2013年度日本地理学会春季学術大会セッションID: 231、日本地理学会、2013年、31頁、doi:10.14866/ajg.2013s.0_31NAID 130005473337 
  10. ^ 福地慶大「浅間火山・鬼押出し溶岩上の植生分布」『日本地理学会発表要旨集』2012年度日本地理学会秋季学術大会セッションID: 619、日本地理学会、2012年、100095頁、doi:10.14866/ajg.2012a.0_100095NAID 130005456868 
  11. ^ 井上公夫, 石川芳治, 山田孝, 矢島重美, 山川克己「浅間山天明噴火時の鎌原火砕流から泥流に変化した土砂移動の実態」『応用地質』第35巻第1号、日本応用地質学会、1994年4月、12-30頁、doi:10.5110/jjseg.35.12ISSN 02867737NAID 110003356476 
  12. ^ 石弘之『歴史を変えた火山噴火 -自然災害の環境史-』(刀水書房、2012年) 105ページ
  13. ^ a b 天明3年(1783年)浅間山噴火 国土交通省 利根川水系砂防事務所

関連項目