鶴田町立水元小学校
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鶴田町立水元小学校 | |
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北緯40度45分29.34秒 東経140度23分57.29秒 / 北緯40.7581500度 東経140.3992472度座標: 北緯40度45分29.34秒 東経140度23分57.29秒 / 北緯40.7581500度 東経140.3992472度 | |
過去の名称 |
廻堰小学 妙堂崎簡易小学校廻堰分教場 妙堂崎尋常小学校廻堰分教場 廻堰尋常小学校 水元尋常高等小学校 水元国民学校 水元村立水元小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
廻堰村(1876年 - 1889年) 水元村(1889年 - 1955年) 鶴田町(1955年 - 2006年) |
併合学校 |
水元高等小学校 妙堂崎尋常小学校 木筒尋常小学校 野木尋常小学校 |
設立年月日 | 1876年11月15日 |
創立記念日 | 11月15日 |
閉校年月日 | 2004年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
本校 |
妙堂崎尋常小学校(1904年独立) 1886年 - 1904年 |
分校 |
妙堂崎分校(1948年独立) 1910年 - 1948年 木筒分校(1950年独立) 1910年 - 1950年 野木分校(1951年独立) 1910年 - 1951年 田の尻分校 1947年 - 2004年 |
所在地 | 〒038-3542 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
鶴田町立水元小学校(つるたちょうりつ みずもとしょうがっこう)は、青森県北津軽郡鶴田町にあった公立小学校。本項では、併合した水元高等小学校の沿革も併記する。
概要
[編集]鶴田町廻堰地区に位置し、同地区を学区としていた。閉校後は鶴田町歴史文化伝承館として活用されている[1]。
所在地
[編集]歴史
[編集]- 1876年(明治9年)11月15日 - 廻堰村字上桂井43番地に校舎を落成し、廻堰小学として開校[3]。
- 1886年(明治19年)4月 - 妙堂崎簡易小学校(妙堂崎村)へ統合し、「妙堂崎簡易小学校廻堰分教場」に改称[4]。
- 1890年(明治23年) - 小学校令改正に伴い、「妙堂崎尋常小学校廻堰分教場」に改称[5]。
- 時期不明 - 水元村字下桂井41番地に校舎を落成し、移転[5]。
- 1898年(明治31年)11月15日 - 校舎を2階建てに増改築。同日を創立記念日に制定[6]。
- 1902年(明治35年)
- 1903年(明治36年)
- 1904年(明治37年)3月31日 - 本校から独立し、「廻堰尋常小学校」に改称[8]。
- 1907年(明治40年) - 体育館を落成[9]。
- 1909年(明治42年)4月1日 - 水元高等小学校を統合。高等科[注 1]を併置し、「水元尋常高等小学校」に改称[10]。
- 1910年(明治43年)4月 - 妙堂崎尋常小学校・木筒尋常小学校・野木尋常小学校を統合し、分教場に移行[11]。
- 1912年(明治45年)
- 1913年(大正2年)4月1日 - 児童増加に伴い、女子控所を教室に転換[12]。
- 1916年(大正5年)4月1日 - 野木分教場に通学していた間山学区の児童を本校通学に変更[13]。
- 1925年(大正14年)
- 1936年(昭和11年)
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行に伴い、「水元国民学校」に改称[8]。
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 木筒分校が村立木筒小学校として独立[20]。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 野木分校が村立野木小学校として独立[21]。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 田の尻分校を通年制に変更し、3年生までの2学級編成に変更[2]。
- 1955年(昭和30年)3月1日 - 町村合併に伴い、「鶴田町立水元小学校」に改称[19]。
- 1956年(昭和31年)12月1日 - 創立80周年記念式典を挙行し、新校歌を制定[22]。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 田の尻分校の3年生を本校へ収容し、2年生までの複式1学級編成に変更[22]。
- 1964年(昭和39年)8月6日 - 鼓笛隊を結成[22]。
- 1966年(昭和41年)
- 1968年(昭和43年)5月1日 - センター方式による完全給食を開始[23]。
- 1969年(昭和44年)7月25日 - プール落成式を挙行[23]。
- 1974年(昭和49年)1月16日 - 学校文集「水元」を発刊[24]。
- 2004年(平成16年)3月31日 - 町立妙堂崎小学校と統合した町立水元中央小学校の開校に伴い、閉校[25]。
- 2008年(平成20年)7月1日 - 校舎を活用した町の歴史学習拠点「伝承館」が開業[9]。
その他
[編集]アクセス
[編集]- 青森県道153号山田鶴田線で鶴田町中心部から車で約5分。
- なお、「下桂井(旧:水元学校前)」バス停を通る弘南バス「五所川原 - 鶴田線 (廻堰経由)」は、2018年(平成30年)9月30日をもって廃止された[26]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 水元中学校→鶴田中学校水元校舎の前身
出典
[編集]- ^ a b “鶴田町歴史文化伝承館”. メデタイ・ツルタ. 鶴田町. 2024年9月29日閲覧。
- ^ a b 出典:『鶴田町誌 下巻』432頁~439頁「第十一章 教育・第三節 各学校」の「水元小学校」から。
- ^ 鶴田町町誌編纂委員会 1979, pp. 432, 435.
- ^ 鶴田町町誌編纂委員会 1979, pp. 433, 435.
- ^ a b c 鶴田町町誌編纂委員会 1979, p. 433.
- ^ a b 鶴田町町誌編纂委員会 1979, pp. 433, 436.
- ^ a b c 折登岩次郎 編『水元村誌』鶴田町役場水元支所、1956年6月30日、343頁。doi:10.11501/3005527。
- ^ a b 鶴田町町誌編纂委員会 1979, p. 434.
- ^ a b c d 「鶴田町歴史文化伝承館 創作発表の場 夢を発信 <廃校ルネサンス(25)旧水元小(青森県鶴田町)>」『河北新報』2023年10月29日。
- ^ 鶴田町(編)『広報つるた』第191号、1976年9月15日、2頁。
- ^ 鶴田町町誌編纂委員会 1979, pp. 454, 465, 472.
- ^ a b c 鶴田町町誌編纂委員会 1979, p. 436.
- ^ a b c 鶴田町町誌編纂委員会 1979, p. 437.
- ^ 鶴田町町誌編纂委員会 1979, p. 437-438.
- ^ 鶴田町町誌編纂委員会 1979, pp. 434, 438.
- ^ 鶴田町町誌編纂委員会 1979, p. 449.
- ^ 鶴田町町誌編纂委員会 1979, p. 454.
- ^ a b c 鶴田町町誌編纂委員会 1979, p. 438.
- ^ a b 鶴田町町誌編纂委員会 1979, p. 439.
- ^ 鶴田町町誌編纂委員会 1979, p. 472.
- ^ 鶴田町町誌編纂委員会 1979, pp. 439, 467.
- ^ a b c d 鶴田町町誌編纂委員会 1979, p. 440.
- ^ a b c 鶴田町町誌編纂委員会 1979, p. 441.
- ^ 鶴田町町誌編纂委員会 1979, p. 442.
- ^ 「鶴田・水元中央小で閉校式」『陸奥新報』2019年12月2日。オリジナルの2024年9月29日時点におけるアーカイブ。2024年9月29日閲覧。
- ^ (鶴田線(廻堰経由)・南広森線・下繁田線(川除経由)・再賀線の各路線が)平成30年9月30日の運行をもって廃止となります (PDF) - 弘南バス
参考文献
[編集]- 鶴田町町誌編纂委員会 編『鶴田町誌下巻』鶴田町、1979年3月31日。doi:10.11501/9570012。
- 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)「学校沿革 小学校」の803頁~804頁「水元小学校」(水元高等小学校の出典も同じ)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 鶴田町歴史文化伝承館 - 青森県鶴田町観光情報サイト「メデタイ・ツルタ」