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第2次パーマストン子爵内閣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1863年の第3代パーマストン子爵ヘンリー・テンプル

第2次パーマストン子爵内閣英語: Second Palmerston ministry)は、1859年6月から1865年10月まで続いた自由党党首第3代パーマストン子爵ヘンリー・テンプル首相とするイギリス内閣。結党されたばかりの自由党による最初の政権である。

歴史

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1851年、当時のジョン・ラッセル卿第一次内閣英語版において外務大臣を務めていた第3代パーマストン子爵ヘンリー・テンプルがラッセルによって外相を解任されて以来、ラッセルとパーマストンはホイッグ党内を二分して対立を続けた。しかし1859年6月2日、少数与党政権の保守党政権を打倒しようという機運が野党ホイッグ党内で高まる中、パーマストンがロンドン郊外リッチモンドにあるラッセル邸を訪問する形で両者は和解した。そして同年6月6日、ロンドンのティールームのウィリシズ・ルームズ英語版においてホイッグ党、ピール派急進派英語版の3野党が結集し、正式に自由党の結党が行われた[1]

自由党は、翌6月7日にも保守党政権に内閣不信任案を提出して10日に可決させた。これに対して保守党政権の首相第14代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリーは後継首相を指名せずに内閣総辞職した。自由党が結党されたばかりで党首も決まっていないためだった[1]

パーマストンとラッセルはヴィクトリア女王から組閣の大命を受けた方を自由党の党首とすることで合意していた[1]。しかしパーマストンもラッセルも嫌っていた女王は、第2代グランヴィル伯爵グランヴィル・ルーソン=ゴアに組閣の大命を与えた。グランヴィルはホイッグ党2巨頭を差し置いて自分が組閣することは不可能と心得ていたので、パーマストンとラッセルから協力を取り付けられることを条件として組閣の大命を受けると女王に約束した。グランヴィルからの要請に対してパーマストンは協力を了解したが、ラッセルはかつての部下グランヴィルの下で働くことを拒否した。そのためグランヴィルは大命を拝辞することになった。これを知った女王はラッセルに怒り、パーマストンに組閣の大命を与えた[2]

こうして1859年6月12日にパーマストンが2度目の首相就任を果たした。以降1865年10月18日に首相在職のまま死去するまで、6年以上にわたってパーマストンが首相を務めることになる。

閣僚(閣内大臣)

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名前 役職 政党
1863年のパーマストン子爵 第3代パーマストン子爵
ヘンリー・テンプル
第一大蔵卿庶民院院内総務(首相) 自由党
キャンベル卿 セント・アンドリューズの初代キャンベル男爵
ジョン・キャンベル英語版
大法官(1861年に退任) 自由党
グランヴィル伯 第2代グランヴィル伯爵
グランヴィル・ルーソン=ゴア
枢密院議長貴族院院内総務 自由党
アーガイル公 第8代アーガイル公爵
ジョージ・キャンベル
王璽尚書 自由党
1860年から1863年のジョージ・ルイス 第2代準男爵英語版
サー・ジョージ・ルイス英語版
内務大臣
1861年7月に陸軍大臣転任(1863年4月死去)
自由党
1861年のラッセル伯 初代ラッセル伯爵
ジョン・ラッセル
外務大臣 自由党
1848年に描かれたニューカッスル公 第5代ニューカッスル公爵
ヘンリー・ペラム=クリントン
植民地大臣(1864年4月に死去) 自由党
ハーバート卿 リーの初代ハーバート男爵
シドニー・ハーバート
陸軍大臣(1861年7月に退任) 自由党
1870年頃のチャールズ・ウッド 第3代準男爵
サー・チャールズ・ウッド
インド大臣 自由党
サマセット公の似顔絵 第12代サマセット公爵
エドワード・シーモア英語版
海軍大臣英語版 自由党
1861年のグラッドストン ウィリアム・グラッドストン 財務大臣 自由党
1878年頃のカードウェル エドワード・カードウェル アイルランド担当大臣英語版
1861年にランカスター公領大臣転任
1864年に植民地大臣転任
自由党
1840年代のギブソン トマス・ミルナー・ギブソン英語版 商務庁長官 自由党
1860年代のグレイ 第2代準男爵
サー・ジョージ・グレイ
ランカスター公領大臣 自由党
1860年のエルギン伯 第8代エルギン伯爵
ジェイムズ・ブルース
郵政長官英語版

全大臣

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役職 名前(太字は閣内大臣) 就任日
首相
第一大蔵卿
第3代パーマストン子爵ヘンリー・テンプル[注釈 1] 1859年6月12日 – 1865年10月18日
財務大臣 ウィリアム・グラッドストン 1859年6月18日
大蔵首席政務次官英語版 ヘンリー・ブランド英語版 1859年6月24日
財務担当政務次官英語版 サミュエル・レイング英語版 1859年6月24日
フレデリック・ピール英語版 1860年11月2日
ヒュー・チルダース 1865年8月19日
下級大蔵卿英語版 エドワード・ナッチブル=ヒュージェスン英語版 1859年6月24日 – 1865年4月21日
第7代準男爵サー・ウィリアム・ダンバー英語版 1859年6月24日 – 1865年4月21日
ジョン・バグウェル英語版 1859年6月24日 – 1862年3月25日
ルーク・ホワイト英語版 1862年3月25日 – 1866年6月2日
ウィリアム・アダム英語版 1865年4月21日 – 1866年6月26日
大法官 初代キャンベル男爵ジョン・キャンベル英語版 1859年6月18日
初代ウェストベリー男爵英語版リチャード・ベセル英語版 1861年6月26日
初代クランワース男爵英語版ロバート・ロルフ英語版 1865年7月7日
枢密院議長 第2代グランヴィル伯爵グランヴィル・ルーソン=ゴア[注釈 2] 1859年6月18日
王璽尚書 第8代アーガイル公爵ジョージ・キャンベル 1859年6月18日
内務大臣 第2代準男爵英語版サー・ジョージ・ルイス英語版 1859年6月18日
第2代準男爵サー・ジョージ・グレイ 1861年7月25日
内務省政務次官英語版 ジョージ・クライブ英語版 1859年6月18日
ヘンリー・ブルース 1862年11月14日
トマス・ベアリング 1864年4月25日
外務大臣 初代ラッセル伯爵[注釈 3]ジョン・ラッセル 1859年6月18日
外務省政務次官英語版 第3代ウッドハウス男爵ジョン・ウッドハウス 1859年6月19日
オースティン・レイヤード 1861年8月15日
陸軍大臣 リーの初代ハーバート男爵[注釈 4]シドニー・ハーバート 1859年6月18日
第2代準男爵英語版サー・ジョージ・ルイス英語版 1861年7月22日
第3代ド・グレイ伯爵ジョージ・ロビンソン 1863年4月28日
陸軍省政務次官英語版 第3代ド・グレイ伯爵ジョージ・ロビンソン 1859年6月18日
トマス・ベアリング 1861年1月21日
第3代ド・グレイ伯爵ジョージ・ロビンソン 1861年7月31日
ハーティントン侯爵スペンサー・キャヴェンディッシュ 1863年4月28日
植民地大臣 第5代ニューカッスル公爵ヘンリー・ペラム=クリントン 1859年6月18日
エドワード・カードウェル 1864年4月7日
植民地省政務次官英語版 チチェスター・フォーテスキュー 1859年6月18日
インド大臣 第3代準男爵サー・チャールズ・ウッド 1859年6月18日
インド省政務次官英語版 トマス・ベアリング 1859年6月25日
第3代ド・グレイ伯爵ジョージ・ロビンソン 1861年1月21日
トマス・ベアリング 1861年7月31日
第3代ウッドハウス男爵ジョン・ウッドハウス 1864年4月25日
第5代ダファリン=クランボイ男爵フレデリック・ハミルトン=テンプル=ブラックウッド 1864年11月16日
海軍大臣英語版 第12代サマセット公爵エドワード・シーモア英語版 1859年6月27日
海軍本部書記官長英語版 クラレンス・パジェット卿英語版 1859年6月30日
海軍本部文官長官英語版 サミュエル・ホイットブレッド英語版 1859年6月27日
ハーティントン侯爵スペンサー・キャヴェンディッシュ 1863年3月23日
ジェイムズ・スタンズフィールド英語版 1863年5月2日
ヒュー・チルダース 1864年4月21日
アイルランド担当大臣英語版 エドワード・カードウェル 1859年6月24日
第3代準男爵サー・ロバート・ピール英語版 1861年7月29日
アイルランド総督 第7代カーライル伯爵ジョージ・ハワード 1859年6月24日
第3代ウッドハウス男爵ジョン・ウッドハウス 1864年11月1日
ランカスター公領大臣 第2代準男爵サー・ジョージ・グレイ 1859年6月22日
エドワード・カードウェル 1861年7月25日
第4代クラレンドン伯爵ジョージ・ヴィリアーズ 1864年4月7日
救貧法庁長官英語版 トマス・ミルナー・ギブソン英語版 1859年6月24日
チャールズ・ペラム・ヴィリアーズ英語版 1859年7月9日
救貧法庁政務次官英語版 チャールズ・ギルピン英語版 1859年6月28日
ジョージ・ビング英語版 1865年2月22日
郵政長官英語版 第8代エルギン伯爵ジェイムズ・ブルース 1859年6月24日
第8代アーガイル公爵
ジョージ・キャンベル
1860年5月11日
第2代オルダーリーのスタンリー男爵英語版エドワード・スタンリー英語版 1860年8月17日
商務庁長官 空席
トマス・ミルナー・ギブソン英語版 1859年7月6日
商務庁副長官英語版 ジェイムズ・ウィルソン英語版 1859年6月18日
ウィリアム・クーパー英語版 1859年8月12日
ウィリアム・ハット英語版 1860年2月22日
教育委員会副委員長英語版 ロバート・ロウ英語版 1859年6月24日
ヘンリー・ブルース 1864年4月26日
主計長官英語版 ジェイムズ・ウィルソン英語版 1859年6月18日
ウィリアム・クーパー英語版 1859年8月12日
ウィリアム・ハット英語版 1860年2月22日
建設庁長官英語版 ヘンリー・フィッツロイ英語版 1859年6月18日
ウィリアム・クーパー英語版 1860年2月9日
法務長官 サー・リチャード・ベセル英語版 1859年6月18日
サー・ウィリアム・アザートン英語版 1861年7月4日
サー・ラウンデル・パーマー 1863年10月2日
法務次官英語版 サー・ヘンリー・キーティング英語版 1859年6月18日
サー・ウィリアム・アザートン英語版 1859年12月16日
サー・ラウンデル・パーマー 1861年7月8日
サー・ロバート・コリアー英語版 1863年10月2日
軍事法務総監英語版 トマス・ヘッドラム英語版 1859年6月24日
スコットランド法務長官英語版 ジェイムズ・モンクリーフ英語版 1859年6月24日
スコットランド法務次官英語版 エドワード・メイトランド英語版 1859年6月27日
ジョージ・ヤング英語版 1862年11月11日
アイルランド法務長官英語版 ジョン・フィッツジェラルド英語版 1859年6月
リカード・ディージー英語版 1860年2月
トマス・オハガン英語版 1861年
ジェイムズ・ローソン英語版 1865年
アイルランド法務次官英語版 ジョン・ジョージ英語版 1859年6月
リカード・ディージー英語版 1859年
トマス・オハガン英語版 1860年2月
ジェイムズ・ローソン英語版 1861年
エドワード・サリバン英語版 1865年
王室家政長官英語版 第3代セント・ジャーマンズ伯爵英語版エドワード・エリオット英語版 1859年6月18日
王室侍従長英語版 第3代シドニー子爵英語版ジョン・タウンゼンド英語版 1859年6月23日
王室侍従次長英語版 キャッスルロッセ子爵英語版ヴァレンタイン・ブラウン英語版 1859年6月23日
主馬頭 第2代アイレスバリー侯爵英語版ジョージ・ブルーデネル=ブルース英語版 1859年6月24日
王室会計長官英語版 バリー子爵ウィリアム・ケッペル英語版 1859年6月23日
王室会計監査官英語版 プロビー卿英語版グランヴィル・プロビー 1859年6月23日
儀仗衛士隊隊長
(貴族院与党幹事長)
第4代フォーリー男爵英語版トマス・フォーリー英語版 1859年6月28日
国王親衛隊隊長
(貴族院与党副幹事長)
第3代デュシー伯爵英語版ヘンリー・レイノルズ=モートン英語版 1859年6月28日
バックハウンド長官英語版 第5代ベスバラ伯爵ジョン・ポンソンビー 1859年6月18日
侍従長及び事務長官英語版 アルフレッド・パジェット卿英語版 1859年7月1日
王室女官長英語版 サザーランド公爵夫人ハリエッタ・サザーランド=ルーソン=ゴア英語版 1859年6月22日
ウェリントン公爵夫人エリザベス・ウェルズリー英語版 1861年4月25日
侍従たる貴族院議員英語版 第14代ケイスネス伯爵英語版ジェイムズ・シンクレアー英語版 1859年6月23日 – 1866年6月26日
第3代キャモイズ男爵英語版トマス・ストーナー英語版 1859年6月23日 – 1866年6月26日
第4代リヴァーズ男爵英語版ジョージ・ピット=リヴァーズ英語版 1859年6月23日 – 1866年4月28日
第2代ド・タブリー男爵英語版ジョージ・ウォーレン英語版 1859年6月23日 – 1866年6月26日
第3代クレモーン男爵英語版リチャード・ドーソン英語版 1859年6月23日 – 1866年6月26日
第2代マスーアン男爵英語版フレデリック・マスーアン英語版 1859年6月23日 – 1866年6月26日
第7代トリントン子爵ジョージ・ビング英語版 1859年6月23日 – 1884年4月27日
第7代バイロン男爵ジョージ・バイロン英語版 1837年7月17日 – 1860年3月31日
第3代ハリス男爵英語版ジョージ・ハリス英語版 1860年3月31日 – 1863年5月4日
第4代マラハイドのタルボット男爵ジェイムズ・タルボット英語版 1863年5月4日 – 1866年6月26日
侍従たる貴族院議員英語版
(特別)
第7代バイロン男爵ジョージ・バイロン英語版 1860年3月31日 – 1868年3月3日

脚注

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注釈

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  1. ^ 庶民院院内総務も兼務
  2. ^ 貴族院院内総務も兼務(1859年6月18日-1865年10月29日)
  3. ^ 在職中の1861年7月30日にラッセル伯爵に叙される
  4. ^ 在任中の1861年1月15日にリーの初代ハーバート男爵に叙される

出典

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  1. ^ a b c 君塚直隆 2006, p. 222.
  2. ^ 君塚直隆 2006, p. 223.

参考文献

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  • 君塚直隆『パクス・ブリタニカのイギリス外交 パーマストンと会議外交の時代』有斐閣、2006年。ISBN 978-4641173224 

関連項目

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先代
第2次ダービー伯爵内閣英語版
イギリスの内閣
1859年6月 - 1865年10月
次代
第2次ラッセル伯爵内閣