「ケン・ローチ」の版間の差分
Prudence6270 (会話 | 投稿記録) |
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| 主な作品 = 『[[ケス]]』<br />『[[リフ・ラフ]]』<br />『[[大地と自由]]』<br />『[[麦の穂をゆらす風]]』 |
| 主な作品 = 『[[ケス]]』<br />『[[リフ・ラフ]]』<br />『[[大地と自由]]』<br />『[[麦の穂をゆらす風]]』<br />『[[わたしは、ダニエル・ブレイク]]』 |
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| 日本アカデミー賞 = |
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| カンヌ国際映画祭 = '''[[パルム・ドール]]'''<br />[[第59回カンヌ国際映画祭|2006年]] 『[[麦の穂をゆらす風]]』 <br />'''[[カンヌ国際映画祭 審査員賞|審査員賞]]'''<br />[[第43回カンヌ国際映画祭|1990年]] 『ブラック・アジェンダ/隠された真相』<br />[[第46回カンヌ国際映画祭|1993年]] 『レイニング・ストーンズ』<br />[[第65回カンヌ国際映画祭|2012年]] 『[[天使の分け前 (映画)|天使の分け前]]』<br />'''国際映画批評家連盟賞'''<br />[[第32回カンヌ国際映画祭|1979年]] 『 |
| カンヌ国際映画祭 = '''[[パルム・ドール]]'''<br />[[第59回カンヌ国際映画祭|2006年]] 『[[麦の穂をゆらす風]]』<br />[[第69回カンヌ国際映画祭|2016年]] 『[[わたしは、ダニエル・ブレイク]]』 <br />'''[[カンヌ国際映画祭 審査員賞|審査員賞]]'''<br />[[第43回カンヌ国際映画祭|1990年]] 『ブラック・アジェンダ/隠された真相』<br />[[第46回カンヌ国際映画祭|1993年]] 『レイニング・ストーンズ』<br />[[第65回カンヌ国際映画祭|2012年]] 『[[天使の分け前 (映画)|天使の分け前]]』<br />'''国際映画批評家連盟賞'''<br />[[第32回カンヌ国際映画祭|1979年]] 『ブラック・ジャック』<br />[[第44回カンヌ国際映画祭|1991年]] 『[[リフ・ラフ]]』<br />[[第48回カンヌ国際映画祭|1995年]] 『[[大地と自由]]』<br/>'''[[エキュメニカル審査員賞]]'''<br />1995年 『大地と自由』<br />[[第62回カンヌ国際映画祭|2009年]] 『[[エリックを探して]]』<br />'''現代映画賞'''<br/>[[第34回カンヌ国際映画祭|1981年]] 『まなざしと微笑み』 |
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| ヴェネツィア国際映画祭 = '''上院議会金メダル'''<br/>[[第53回ヴェネツィア国際映画祭|1996年]] 『[[カルラの歌]]』<br/>'''[[栄誉金獅子賞]]'''<br/>[[第51回ヴェネツィア国際映画祭|1994年]] 長年の功績に対して |
| ヴェネツィア国際映画祭 = '''上院議会金メダル'''<br/>[[第53回ヴェネツィア国際映画祭|1996年]] 『[[カルラの歌]]』<br/>'''[[栄誉金獅子賞]]'''<br/>[[第51回ヴェネツィア国際映画祭|1994年]] 長年の功績に対して |
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| ベルリン国際映画祭 = '''国際映画批評家連盟賞'''<br/>[[第22回ベルリン国際映画祭|1972年]] 『 |
| ベルリン国際映画祭 = '''国際映画批評家連盟賞'''<br/>[[第22回ベルリン国際映画祭|1972年]] 『家族生活』<br />'''エキュメニカル審査員賞'''<br />[[第44回ベルリン国際映画祭|1994年]] 『[[レディバード・レディバード]]』<br />[[第54回ベルリン国際映画祭|2004年]] 『やさしくキスをして』<br />'''[[金熊名誉賞|名誉金熊賞]]'''<br>[[第64回ベルリン国際映画祭|2014年]] 長年の功績に対して |
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| ヨーロッパ映画賞 = '''[[ヨーロッパ映画賞 作品賞|作品賞]]'''<br />1991年 『リフ・ラフ』<br />1995年 『大地と自由』<br/>'''国際映画批評家連盟賞'''<br />2002年 『[[SWEET SIXTEEN]]』<br />'''[[ヨーロッパ映画賞 生涯貢献賞|生涯貢献賞]]'''<br/>2009年 |
| ヨーロッパ映画賞 = '''[[ヨーロッパ映画賞 作品賞|作品賞]]'''<br />1991年 『リフ・ラフ』<br />1995年 『大地と自由』<br/>'''国際映画批評家連盟賞'''<br />2002年 『[[SWEET SIXTEEN]]』<br />'''[[ヨーロッパ映画賞 生涯貢献賞|生涯貢献賞]]'''<br/>2009年 |
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| 英国アカデミー賞 = '''マイケル・バルコン賞'''<br/>1993年<br/>'''友愛賞'''<br/>2005年 |
| 英国アカデミー賞 = '''マイケル・バルコン賞'''<br/>1993年<br/>'''友愛賞'''<br/>2005年 |
2017年1月24日 (火) 18:48時点における版
ケン・ローチ Ken Loach | |||||||||||||||||||||||||||||
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第59回カンヌ国際映画祭にて (2006年) | |||||||||||||||||||||||||||||
本名 |
ケネス・ローチ Kenneth Loach | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1936年6月17日(87歳) | ||||||||||||||||||||||||||||
出生地 | イングランド ウォリックシャー州ヌニートン | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | イギリス | ||||||||||||||||||||||||||||
職業 | 映画監督、脚本家 | ||||||||||||||||||||||||||||
ジャンル | 映画 | ||||||||||||||||||||||||||||
活動期間 | 1962年 - | ||||||||||||||||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||||||||||||||||
『ケス』 『リフ・ラフ』 『大地と自由』 『麦の穂をゆらす風』 『わたしは、ダニエル・ブレイク』 | |||||||||||||||||||||||||||||
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ケン・ローチ (Ken Loach[1], 本名:ケネス・ローチ, 1936年6月17日 - ) は、イギリスの映画監督・脚本家。一貫して労働者階級に焦点を当てた作品を製作し続け、政治活動に熱心なことでも知られる。
来歴
1936年6月17日、イングランド・ウォリックシャー州ヌニートンで生まれた。イギリス空軍に2年間従軍した後、オックスフォード大学のピーターズ・カレッジで法律を学んだ。在学中はコメディ・グループThe Oxford Revueに俳優として参加していた。卒業後、1962年BBCに入社し、テレビシリーズの演出を務めた。
1967年、長編『夜空に星のあるように』で映画監督としてデビューした。2作目の『ケス』(1969年)は英国アカデミー賞作品賞と監督賞にノミネートされた。しかし、社会問題への市民の関心の低さや政治的な検閲が原因となり、1970年代から1980年代にかけて長い不遇時代を過ごした。
1990年代に入り、労働者階級や移民を描いた作品を立て続けに発表。そのうち『ブラック・アジェンダ/隠された真相』(1990年)と『レイニング・ストーンズ』(1993年)がカンヌ国際映画祭審査員賞、『リフ・ラフ』(1991年)と『大地と自由』(1995年)がヨーロッパ映画賞作品賞を受賞し、国際的に評価されるようになった。1994年には第51回ヴェネツィア国際映画祭で栄誉金獅子賞を受賞した。
2003年、日本の高松宮殿下記念世界文化賞の映像・演劇部門に選出された[2]。2006年、『麦の穂をゆらす風』が第59回カンヌ国際映画祭に出品され、69歳、13回目の出品で初のパルム・ドールを受賞した。
2014年、第64回ベルリン国際映画祭で金熊名誉賞を受賞した。
2016年、第69回カンヌ国際映画祭で障害者差別を背景に雇用支援金(英国の障害年金に相当)の現状を描いた『わたしは、ダニエル・ブレイク』がパルムドールに選ばれ、2度目の受賞を果たす[3]。
作風
左翼を任じ、一貫して労働者階級や第三世界からの移民たちの日常生活をリアリズムに沿って描いている。作品のスタイルとしては、俳優の自然な演技を引き出し、リアルな状況を作り出すことを重視している。そのため、シーンは最初から順番に撮影し、時には即興演技に委ねたり、脚本製作時に結末を意図的に執筆しないこともある。有名俳優以上に若い才能を好む傾向にある。
主な監督作品
- キャシー・カム・ホーム Cathy Come Home (1966年) テレビ映画
- 夜空に星のあるように Poor Cow (1967年)
- ケス Kes (1969年)
- 家庭生活 Family Life (1971年)
- A Misfortune (1973年) テレビ映画
- ブラック・ジャック Black Jack (1979年)
- 狩場の管理人 The Gamekeeper (1980年)
- まなざしと微笑み Looks and Smiles (1981年)
- ファザーランド Fatherland (1986年)
- ブラック・アジェンダ/隠された真相 Hidden Agenda (1990年)
- リフ・ラフ Riff-Raff (1991年)
- レイニング・ストーンズ Raining Stones (1993年)
- レディバード・レディバード Ladybird Ladybird (1994年)
- 大地と自由 Land and Freedom (1995年)
- カルラの歌 Carla's Song (1996年)
- マイ・ネーム・イズ・ジョー My Name Is Joe (1998年)
- ブレッド&ローズ Bread and Roses (2000年)
- ナビゲーター ある鉄道員の物語 The Navigators (2001年)
- SWEET SIXTEEN Sweet Sixteen (2002年)
- 11'09''01/セプテンバー11 11'09'01 - September 11 (2002年) オムニバス
- やさしくキスをして Ae Fond Kiss... (2004年)
- 明日へのチケット Tickets (2005年) オムニバス
- 麦の穂をゆらす風 The Wind That Shakes the Barley (2006年)
- ハッピー・エンド Happy Ending (2007年) オムニバス『それぞれのシネマ』の一篇
- この自由な世界で It's a Free World... (2007年)
- エリックを探して Looking for Eric (2009年)
- ルート・アイリッシュ Route Irish (2010年)
- 天使の分け前 The Angels' Share (2012年)
- ジミー、野を駆ける伝説 Jimmy's Hall (2014年)
- わたしは、ダニエル・ブレイク I, Daniel Blake(2016年)[3]
著書
- 『ケン・ローチ 映画作家が自身を語る』グレアム・フラー編、村山匡一郎・越後谷文博訳 (フィルムアート社、2000年10月)
脚注
- ^ Loachはどじょうの意で、発音はロウチで音引きではない。
- ^ 彼はこの賞のスポンサーが「反動的」メディアであるフジサンケイグループであり、中曽根康弘がバックにいる(当時、主催の日本美術協会会長は中曽根のブレーンとして知られた瀬島龍三)ことも知っていたが、敢えてこれを受けた。ローチはその賞金の一部を、日本のどこか適当な労働運動に寄付したいと考え、人の勧めで国鉄分割民営化に反対したためにJRから閉め出された闘争団に寄付した。ローチはイギリス国鉄民営化で、労働条件の切り下げやリストラに揺れる様を描いた『ナビゲーター ある鉄道員の物語』(2001年)を発表しており、かねてから民営化反対論者であった。ローチは「ナカソネなどからの賞金を受け取って、そのカネをナカソネが進めた国鉄分割・民営化に反対して闘っている人にカンパするってのはなかなかいいよね」と発言した。
- ^ a b “カンヌ最高賞受賞のケン・ローチ監督作が公開、心臓病の男性が行政に立ち向かう”. 映画ナタリー. (2016年11月10日) 2016年11月10日閲覧。