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2010年10月25日 (月) 08:20時点における版
ホッケンハイムリンク(ドイツ語:Hockenheimring Baden-Württemberg)は、ドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州ライン=ネッカー郡にあるサーキット。ニュルブルクリンクサーキットと隔年でF1ドイツGPが行われる。
サーキット概要
1932年の開設当初は、今の最終コーナーからさらにホッケンハイムの街側とその反対側に大きくコースが延びる、ほぼ直線同士を繋いだ全長12kmのコースだった。その後、1938年に街の反対側を曲線で繋いでかつてのオスト・カーブとなり、オーバルと直線を合わせた様な全長7.7kmのコースとなった。
しかし、1966年にアウトバーンがコース脇を通ることになったため、更にコースを短縮せざるを得なくなった。そこでジョン・フーゲンホルツがサーキットを再設計し、3つのロングストレートとスタジアムセクションを結んだコースとなった。
1968年に雨の中行われたフォーミュラ2のレース中、事故によってジム・クラークが死亡してしまう。安全性向上のため、2つの長いストレートにシケインが作られた。1つめのシケインはジム・クラークの名前を取り、クラークシケインと呼ばれ親しまれた。
その後、1980年のパトリック・デパイユの死亡事故を受けて、オストカーブ付近にも3つ目のシケインが作られた。その後は長きに渡って、森の中を走るストレートを3つのシケインで区切る形で構成する高速セクションと、曲がりくねった低速のスタジアムセクションの2つに分ける高速コースだった。しかし、1991年のエリック・コマスのクラッシュを受けてシケインが改修されるなど、小変更は何度か行われた。1980年代のオストシケインはただタイヤバリアで路面を区切っただけの急造シケインであり、タイヤバリアのタイヤが衝突の勢いでコース上に散らばる事がままあった。
右のコースで灰色のレイアウトはフォレストゾーンと呼ばれていた。旧コースは1コーナーからすぐに右に曲がり、インフィールドの入り口にショートカットする2.6kmのショートコースも存在し、ドイツツーリングカー選手権などで使われていた。
2001年のドイツGP終了後に大改修が行なわれ、全長6.823kmから4.574kmへ大幅短縮し、中高速コースへと生まれ変わった。さらに、森の中を時速360km以上で駆け抜けた超高速ロングストレートは姿を消し、よりタイトな近代レイアウトへと変化した。尚、現在の旧コースは、旧コース入り口の先からオストカーブまで舗装が剥がされ草が生い茂っており、切り開かれた森だけが、そこにかつての高速コースがあった名残を残している。
ホームストレート、及びインフィールドエリアはオールドコースのままである。そのため異様に道幅が狭い。ホームストレートの幅員も現在の基準で見ると非常に狭く、スタートしてすぐに右にターンするためスタート直後の事故も多い。2001年、スタートに失敗したミハエル・シューマッハにルチアーノ・ブルティが乗り上げ、宙を舞い上がる事故が有名である。
スタートするとまずは右の1コーナーへ。短いストレートの後、右に回り込んで左に切り返すシケインを通過。大きな弓状となった高速の4コーナーを通過し、旧コースの第3シケイン跡地に作られたヘアピンへ。短いストレートから右に曲がり新しく作られたインフィールドへ。また短いストレートを抜けて旧来から使われているインフィールドのヘアピンとS字へ。90度ターンの最終コーナーを抜けて1周である。現在のF1ではモナコと並んで1周の時間が短く、73~74秒ほどで周回できる。
補足
フランクフルトから車で南へ1時間の場所にあり、付近には古城街道など観光名所も多い。
現在の形に再設計したのは、ヘルマン・ティルケである。
現在のコースは、以前よりもオーバーテイク・ポイントが増え、スピードと距離を大幅減少させたことによって、安全性も高まった。これを推奨する意見の一方で、かつての高速バトルを懐かしむ声も多い。