愛知県立内海高等学校

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愛知県立内海高等学校
地図北緯34度45分42.14秒 東経136度53分53.29秒 / 北緯34.7617056度 東経136.8981361度 / 34.7617056; 136.8981361座標: 北緯34度45分42.14秒 東経136度53分53.29秒 / 北緯34.7617056度 東経136.8981361度 / 34.7617056; 136.8981361
国公私立の別 公立学校
設置者 愛知県の旗 愛知県
校訓 誠実・努力
設立年月日 1939年昭和14年)
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード D123210000786 ウィキデータを編集
高校コード 23165H
所在地 470-3321
愛知県知多郡南知多町大字内海字奥鈴ヶ谷1-1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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愛知県立内海高等学校の位置(愛知県内)
愛知県立内海高等学校

愛知県立内海高等学校(あいちけんりつ うつみこうとうがっこう)は、愛知県知多郡南知多町大字内海字奥鈴ヶ谷1-1にある県立の高等学校である。

概要[編集]

前身は1939年昭和14年)開校の内海町立内海高等裁縫女学校であり、1949年(昭和24年)に愛知県立半田高等学校内海分校となったのち、1957年(昭和32年)に愛知県立内海高等学校として独立した[1]1980年(昭和55年)から三河湾に浮かぶ日間賀島篠島に分校が存在したが、2001年平成13年)には日間賀島分校が、2004年(平成16年)には篠島分校が閉校した。

複合選抜の分類では、尾張1・2群Aグループになっている。

校訓[編集]

  • 校訓は「誠実・努力」。

設置学科[編集]

沿革[編集]

  • 1939年(昭和14年)3月30日 - 内海町立内海高等裁縫女学校が開校。[2]
  • 1942年(昭和17年)3月12日 - 専攻科を設置。[2]
  • 1944年(昭和19年)3月31日 - 内海町立内海女子実業学校に改称。[2]
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 内海町立内海高等学校に改称。定時制課程のみ。[2]
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 愛知県立半田高等学校内海分校に改称。定時制課程のみ。[2]
  • 1957年(昭和32年)4月1日 - 愛知県立内海高等学校として独立。全日制課程普通科/家庭科・定時制課程普通科。[2]
  • 1965年(昭和40年)3月31日 - 定時制課程を廃止。[2]
  • 1974年(昭和49年)5月24日 - 大字内海字柴井から大字内海字奥鈴ヶ谷に移転。
  • 1979年(昭和54年)9月24日 - 創立40周年記念式典。[2]
  • 1980年(昭和55年)4月1日 - 篠島分校と日間賀島分校が開校。[2]
  • 1989年(平成元年)11月4日 - 創立50周年記念式典。[2]
  • 1999年(平成11年)11月13日 - 創立60周年記念式典。[2]
  • 2001年(平成13年)3月31日 - 日間賀島分校が閉校。[2]
  • 2004年(平成16年)3月31日 - 篠島分校が閉校。[2]
  • 2009年(平成21年)11月14日 - 創立70周年記念式典。[2]
  • 2019年(令和元年) 11月9日 - 創立80周年記念式典。

特徴[編集]

「内海」という名称だが、名鉄知多新線 内海駅名鉄河和線 河和駅の2駅からほぼ等距離である。両駅から海っ子バスで10分程度。富貴駅以北から通う生徒の多くは、所要時間が短い・交通費が安いなどの理由で河和駅を利用する。[独自研究?]

自転車通学者は一定数いるが、多くはない。[要出典]内海方面からの幹線道路は歩道が続く。しかし、河和方面にはそれが無く、夏季には雑草が生い茂り、必然的に白線の外側にはみ出すため、事故の危険性が高いが、実際の通学生徒はその幹線道路を避けて登下校している。[独自研究?]

校門を出た敷地内にバスロータリーがある。保護者の車両は、原則校内進入禁止のため、ここで送り迎えをする。[独自研究?]

敷地は76万m2と広大であり、敷地内に自然林や池を有する[1]。この地区の他の高校にも見られるように、山を削った地形上にあるため、敷地内は段が複数ある。ただし、その敷地の広さのためか、コンクリートや石垣による土留めは、一部を除き無い。[独自研究?]

広大な敷地ではあるが、学校用務員の熱心な業務や生徒の部活動やボランティア活動によって敷地内はきれいに保たれている。敷地内には芝生が生え、きれいに刈り込まれている。

校風[編集]

基本方針[編集]

校訓「誠実 努力」

『何事にも誠実に取り組み、努力する人を育てる』を基本方針としている。

校庭が広く、互いにスペース的な干渉無く練習できる為[独自研究?]、部活動が盛んである。

生活・生徒指導[編集]

生徒への指導には一般的な基準があり、特にあいさつ、制服などの服装のしつけや指導については継続してしっかり丁寧に行っている。

2021年令和3年)度から制服をブレザータイプに変更し、ジェンダーレスに対応している。

また、いわゆるツーブロックといわれる髪型についても、生徒会役員を中心とした生徒議会で話し合い、その基準を生徒主体で決め、そしてそれが許可された(2022年(令和4年)度途中)。

かつての混迷期の反省として行われていたい不良めいた行動には格段厳しく対処する指導していたが、現在では生徒に寄り添った丁寧かつ粘り強い対応をするようになっている。

学校の特徴[編集]

かつては、下校途中の服装は着崩されていることが多かったが、特に制服をブレザーに変更して以降、丁寧な生活指導と相まって着崩しが目立つことはなくなっている。[独自研究?]

下記「学年の特徴」にあるようにSHR(スモールホームルーム)を取り入れ、少人数クラス・少人数授業を行っている。このおかげで、クラスの生徒同士の中が親密となり、クラス単位の行事は盛り上がるようになっている。

朝のホームルームの前に「朝の学習・朝の読書」を取り入れており、基礎学力の向上や落ち着いた授業開始に寄与している。

UFF(Utsumi Future Factory : うつみ つくろう みらい)というボランティア部が創部され(2022年(令和4年)度)、この部活動を中心にボランティア活動が充実している。

上記UFFも参加し、学校全体として地域清掃活動を主に行う「地域とあゆむボランティア」と高齢者施設を訪問する「大地の丘ボランティア」をそれぞれ年間6回程度行い、地域貢献を継続している。このボランティアの参加登録生徒は毎年約100名となる。

また毎年7月に、河和港と内海海岸(千鳥ヶ浜等)で清掃活動を行っている。

地元では「内高(うつこう)」や「内海」と略される。[独自研究?]

学年の特徴[編集]

少人数クラス:SHR(スモールホームルーム)

第1学年(2クラス→4クラス展開)[編集]

1年時は選択科目ごとに音楽課程と美術課程別にクラスを分けられる。なお、1年時は1組40人をA組・B組に20人ずつ分けるが、必ずしもA=美術、B=音楽ではない。

クラスは1-1A、1-2Bのようになる。A・Bは完全に別のクラスだが、生徒番号のみ連番であり、例えば1-2Bクラスの出席番号1番は1221番となる。

第2学年(2クラス→4クラス展開)[編集]

2年時は1クラス原則20人で、1組が文理混合クラス、2組以降が文系クラスである。クラスは2-1、2-2のようになる。

第3学年(2クラス→3クラス展開)[編集]

3年時は2クラスを3クラス展開にして、3組が文理混合クラス、1組・2組が文系クラスである。クラスは3-1、3-2のようになる。

部活動[編集]

運動部[編集]

文化部[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 中日新聞社開発局『愛知百科事典』中日新聞本社、1977年、p.152
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 沿革 愛知県立内海高等学校

関連項目[編集]

外部リンク[編集]