御経塚遺跡
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座標: 北緯36度32分46.8秒 東経136度35分56.9秒 / 北緯36.546333度 東経136.599139度
御経塚遺跡(おきょうづかいせき)は、石川県野々市市御経塚1丁目で発見された縄文時代後期から晩期の遺跡である[1]。国の史跡に指定されている。
概要
[編集]金沢平野に位置し、周囲には同じく縄文遺跡として著名なチカモリ遺跡、中屋遺跡、米泉遺跡などが位置する。
1954年(昭和29年)に地元の中学生が打製石斧等を発見し、遺跡が発見される。翌1955年(昭和30年)から石川考古学研究会によって発掘調査が行われた。多くの遺物が出土し、北陸地方の縄文時代晩期前葉の土器型式「御経塚式」や「八日市新保式」(八日市新保遺跡※現・チカモリ遺跡)の土器を併せて検討して設定)が設定されるなど、北陸地方縄文後晩期の土器編年の基礎が確立した。また、この発掘では御物石器が初めて出土状況が明確な状況で出土した。その後、大規模開発等に伴って発掘調査が重ねられたが、膨大な遺構や遺物が見つかったことから保存が図られ、1977年(昭和52年)3月8日には国の史跡に指定された。周辺は史跡公園として整備されており、復元された竪穴建物などがある。
出土した品は主に石器で、土掘り具とみられる打製石斧が多く出土し、石鏃やスクレーパーなどが目立つほか、御物石器、石棒といった祭祀用石器も多く出土している。出土した品は2010年(平成22年)6月29日に「御経塚遺跡出土品」として重要文化財に指定されている[2]。
交通
[編集]脚注
[編集]- ^ “御経塚遺跡 - いしかわの史跡”. 石川県史跡整備市町協議会. 2013年7月29日閲覧。
- ^ “重要文化財 御経塚遺跡出土品”. 野々市市教育委員会. 2013年7月29日閲覧。
参考文献
[編集]- 高堀 勝喜 編著『野々市町御経塚遺跡』野々市町教育委員会 1983年
- 布尾和史2013『北陸の縄文世界 御経塚遺跡』(シリーズ「遺跡を学ぶ」087)新泉社
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 野々市市観光マップ 御経塚遺跡 - 野々市市
- 全国遺跡報告総覧- 奈良文化財研究所