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宮城時亮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宮城 時亮(みやぎ ときすけ、1838年天保9年3月[1] - 1893年明治26年)3月13日[2])は、幕末長州藩士、明治期の官僚宮城県令

経歴

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長州藩士の家に生まれた[1]

明治4年11月13日1871年12月24日)、入間県権参事に任官。明治5年11月7日1872年12月7日)、同参事に昇進[3]

1873年2月7日、宮城県参事に転任。1874年9月18日、同権令、さらに1878年6月14日、県令に昇進。この間、1875年6月から9月まで五等判事を兼任した[3]

士族に養蚕を奨励。県庁内に士族授産評議会を設置し、1877年に県下士族の授産勧奨法を施行した。また、1873年、官立宮城師範学校、1874年に同附属小学校宮城外国語学校を設立した。1875年には勧業試験場、警察出張所を設置した[1]

1878年7月3日、依願免本官となり退官した[3]

脚注

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  1. ^ a b c 『新編日本の歴代知事』138頁。
  2. ^ 『明治過去帳』372頁。
  3. ^ a b c 「正六位宮城時亮特旨進階ノ件」

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
  • 内閣「正六位宮城時亮特旨進階ノ件」明治26年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-019-00・任B00648100