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大川市立大川小学校

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大川市立大川小学校
地図北緯33度12分35秒 東経130度22分24秒 / 北緯33.209767度 東経130.373397度 / 33.209767; 130.373397座標: 北緯33度12分35秒 東経130度22分24秒 / 北緯33.209767度 東経130.373397度 / 33.209767; 130.373397
過去の名称 大川尋常高等小学校
大川国民学校
大川町立大川小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大川市
併合学校 若津尋常高等小学校
榎津尋常高等小学校
設立年月日 1924年大正13年)4月
共学・別学 男女共学
学期 2学期制(2024年度から)
学校コード B140221200016 ウィキデータを編集
所在地 831-0005
福岡県大川市向島1850
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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大川市立大川小学校(おおかわしりつ おおかわしょうがっこう)は、福岡県大川市向島にある市立小学校

概要

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歴史
1873年明治6年)創立の小学校3校(小保・啓迪・存誠)が1892年(明治25年)に統合し、「大川尋常小学校」となった。1899年(明治32年)には3校に分離したが、1924年大正13年)に再統合し「大川尋常高等小学校」となった。現校名になったのは、大川市が発足した1954年昭和29年)。2023年令和5年)には創立150周年を迎えた。
学校教育目標
「志をもち、自ら学び、心豊かに、たくましく生きる子どもの育成」
校章
校名の「大」と「川」の文字を図案化して3つ組み合わせて三角形にしたものを背景にして、中央に「學」の文字を配している。
校歌
通学区域
大川市行政区名による「向島町、若津町、榎津町、東町、榎津中央町、小保東町、小保西町、小保団地町」。中学校区は大川市立大川桐英中学校[1]

沿革

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  • 1873年(明治6年)
    • 4月5日 - 「小保小学校」が小保町に創立。
    • 4月29日 - 「啓迪[2]小学校」が若津上町の民家に創立(後の「若津小学校」)。
    • 5月8日 - 「存誠[3]小学校」が榎津町の覚了寺に創立(後の「榎津小学校」)。
  • 1876年(明治9年) - 存誠小学校、榎津東町(現・大川税務署南側)に校舎を新築。
  • 1886年(明治19年) - 小学校令が施行される。
    • 若津小学校に尋常科と簡易科を設置し、向島に簡易科の教場を設置。
    • 榎津小学校も、同じように設置し、酒見に簡易科の教場、小保に分教場を設置。
  • 1887年(明治20年)4月 - 榎津東町(現・ヴィラベルディ)に町村組合立榎津高等小学校を創立。
統合
  • 1892年(明治25年)4月 - 榎津・若津の両小学校が統合の上、「大川尋常小学校」(4年制)となる。
分散
  • 1899年(明治32年)4月 - 大川尋常小学校が以下の3校に分散・独立。
    • 「分立若津尋常小学校」(現・三柱神社北側)
    • 「向島尋常小学校」
    • 「榎津尋常小学校」
  • 1907年(明治40年)4月 - 榎津尋常小学校が新築移転。
  • 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育)が4年制から6年制に改められる。
  • 1910年(明治43年)2月 - 若津尋常小学校、「教授訓育の成績が特に優秀」として文部大臣賞受賞。
  • 1918年大正7年)4月 - 学校組合の解散により、町村組合立榎津高等小学校が廃止される。このため、榎津小に高等科が併置され、「榎津尋常高等小学校」となる。
  • 1919年(大正8年)3月 - 分立尋常小学校と向島尋常小学校が合併の上、「若津尋常小学校」となる。向島に分校を設置。
  • 1922年(大正11年) - 若津尋常小学校、現住所に校舎の一部が完成。
  • 1923年(大正12年) - 講堂を中心とし、左側に若津尋常小学校、右側に榎津尋常高等小学校の児童を収容の上、2校併置となる。
再統合
  • 1924年(大正13年)4月 - 若津尋常小学校と榎津尋常高等小学校を合併の上、「大川尋常高等小学校」(尋常科6年・高等科2年)となる。児童数1,892名、職員数35名。大川商工学校と大川家政女学校が併置される。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「大川国民学校」(初等科6年・高等科2年)と改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる。
    • 国民学校の初等科が、新制小学校「大川町立大川小学校」に改組・改称。
    • 国民学校の高等科は、青年学校普通科とともに、新制中学校「大川町立大川中学校」に改組・改称。当初、小学校に併設される。
  • 1953年(昭和28年)6月 - 筑後川大洪水により、校舎一階まで浸水する。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 市町村合併により、「大川市立大川小学校」(現校名)と改称。火災により校舎の一部を焼失。
  • 1955年(昭和30年)3月 - 木造新校舎(第2棟)が竣工。
  • 1956年(昭和31年)3月 - 木造新校舎(第5棟)が竣工。
  • 1959年(昭和34年)1月 - 大川小の生徒数増加のため、宮前分教場を設置。
  • 1960年(昭和35年)4月1日 - 宮前分教場が分離の上、大川市立宮前小学校として独立。
  • 1962年(昭和37年) - 木造校舎(第3棟)が竣工。
  • 1963年(昭和38年) - 木造校舎(第4棟)が竣工。
  • 1965年(昭和40年)9月 - 25メートル二面のプールが竣工。
  • 1966年(昭和41年)3月 - 鉄筋新校舎(第I棟)が竣工。
  • 1988年(昭和43年)3月 - 新体育館完成。
  • 1989年(平成元年)3月 - 鉄筋コンクリート新校舎(管理棟)が竣工。
  • 1990年(平成2年)3月 - 鉄筋コンクリート新校舎(教室棟)が竣工。
  • 1991年(平成3年)
    • 3月 - 鉄筋コンクリート新校舎(第2棟・給食室)が竣工。
    • 9月 - 台風被害により、体育館が使用不能となる。
    • 12月 - 屋外アスレチック、飼育小屋等の整備工事が完了。
  • 1992年(平成4年)2月 - 新校舎が落成。
  • 2013年(平成25年)- 管理棟校舎屋上に太陽光ソーラーパネルを設置。
  • 2020年(令和2年)4月 - 大川市立中学校2校(大川・大川南)の統合で、敷地内に大川市立大川桐英中学校が開校。小学校3年生以上の外国語活動・外国語科等において中学校からの乗り入れ授業などの連携・協力を行い、小中一貫型教育を推進。
  • 2024年(令和6年)4月 - 大川市立小学校で2学期制が導入される[4]

著名な出身者

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交通

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最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停留所
  • 西鉄バス 「福田病院向島口」停留所 下車徒歩約5分。
    • 佐賀駅⇒大川橋⇒福田病院向島口<<<<大川樟風高校前<<<<高木病院前<<<<国際医療福祉大学前<<<<新茶屋<<<<(省略)<<<<西鉄柳川駅
最寄りの幹線道路

周辺

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明治橋交差点

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西
 
国道208号
ROUTE 208
 
若津
Wakatsu
福岡県道734号標識
柳川
Yanagawa
福岡県道716号標識

←  →
福岡県道716号標識
 
福岡県道734号標識
 
 
若津港
Wakatsu Port
 

脚注

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  1. ^ 「大川市立小中学校の通学区域を定める規則」
  2. ^ 読みは「けいてき」。
  3. ^ 読みは「ぞんせい」。
  4. ^ 市内小学校の2学期制実施」 - 大川市ウェブサイト

参考資料

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  • 「大川市誌」(1977年(昭和52年)12月21日発行, 大川市)p.1279~ 教育・文化

関連項目

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外部リンク

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