垂水島津家
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垂水島津家 | |
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本姓 | 島津氏庶流 |
種別 |
武家 士族 華族(男爵) |
主な根拠地 |
大隅国 鹿児島県 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
垂水島津家(たるみずしまづけ)は、島津氏の支流である武家・士族・華族だった家。島津貴久の甥・島津以久が大隅垂水を領したのに始まり、江戸時代には薩摩国鹿児島藩島津家の一門家、維新後には華族の男爵家に列せられた[1]
歴史
[編集]家祖は相州家から本家を相続した島津貴久の弟である島津忠将[1]。忠将は天文17年(1548年)に本田薫親を攻略し、代わって大隅清水領主となったが、永禄4年(1561年)に肝付氏の大隅廻城を攻めた戦いで戦死した[2]。
その子・以久は天正9年(1581年)の水俣の戦いなどで戦功を挙げ[3]、慶長4年(1599年)の所領替えで大隅国垂水を領するようになった[1]。以久は慶長8年(1603年)に佐土原藩主3万石となっているが(同藩は以久の三男・忠興の系譜で続く)、垂水島津家も以久の嫡子・彰久(父に先立って文禄の役で朝鮮で客死[4])の子の久信の系譜で続き、江戸時代を通じて垂水1万8000石を知行する薩摩藩の一門家として続いた[5][6](一門家には他に重富島津家、加治木島津家、今和泉島津家があった)。幕末維新期の当主・貴教は薩英戦争や戊辰戦争で戦功を挙げた[6]。
明治維新後には垂水島津家は当初士族に列していたが、垂水島津家の旧薩摩藩内での高い家格と、貴教の維新の功により、明治33年(1900年)10月27日付けで当時の当主貴暢(貴教の孫)が男爵に叙せられた[5]。垂水島津男爵家の住居は鹿児島県鹿児島市上竜尾町にあった[6]。
歴代当主
[編集]- 島津忠将...父:島津忠良(島津相州家)
子:島津以久(2代、後の佐土原島津家以久) - 島津以久...父:島津忠将
子:島津彰久(3代)
入来院重時(入来院氏本家)
島津忠興(佐土原島津家) - 島津彰久...父:島津以久
子:島津久信(4代) - 島津久信...父:島津彰久
子:島津久敏(5代)
島津久章(新城島津家祖) - 島津久敏...父:島津久信
子:島津忠紀(6代、養子、島津本宗家家久の子) - 島津忠紀...父:島津久敏(養父)
島津家久(実父、島津本宗家)
子:島津久治(7代) - 島津久治...父:島津忠紀
子:島津忠直(8代、養子、島津本宗家綱貴の子) - 島津忠直...父:島津久治(養父)
島津綱貴(実父、島津本宗家)
子:島津貴儔(9代、養子、島津本宗家吉貴の子) - 島津貴儔...父:島津忠直(養父)
島津吉貴(実父、島津本宗家)
子:島津貴澄(10代、養子、島津本宗家吉貴の子)
末川久救(末川氏本家祖)
川上久致(川上氏本家)
島津久兼(島津登家)
吉利将容(吉利氏本家) - 島津貴澄...父:島津貴儔(養父)
島津吉貴(実父、島津本宗家)
子:島津貴品(11代、養子、日置島津家久統の子) - 島津貴品...父:島津貴澄(養父)
島津久統(実父、日置島津家)
子:島津貴柄(12代) - 島津貴柄...父:島津貴品
子:島津貴典(13代)
島津久善(島津内蔵家)
桂久浮(桂外記家)
山田久満(山田氏本家) - 島津貴典...父:島津貴柄
子:島津貴敦(14代)
入来院公寛(入来院氏本家) - 島津貴敦...父:島津貴典
- 島津貴徳...
- 島津貴暢...
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 森岡浩 2012, p. 252.
- ^ 阿部猛 & 西村圭子 1990, p. 398.
- ^ 阿部猛 & 西村圭子 1990, p. 400.
- ^ 阿部猛 & 西村圭子 1990, p. 399.
- ^ a b 松田敬之 2015, p. 361.
- ^ a b c 華族大鑑刊行会 1990, p. 504.
参考文献
[編集]- 阿部猛、西村圭子『戦国人名事典 コンパクト版』新人物往来社、1990年(平成2年)。ISBN 978-4404017529。
- 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342。
- 松田敬之『〈華族爵位〉請願人名辞典』吉川弘文館、2015年(平成27年)。ISBN 978-4642014724。
- 森岡浩『日本名門・名家大辞典』東京堂出版、2012年(平成24年)。ISBN 978-4490108217。