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加山恵子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かやま けいこ
加山 恵子
本名 井瀬 須子 (いせ まつこ)
別名義 井瀬 昌枝 (いせ まさえ)
生年月日 (1940-03-23) 1940年3月23日(84歳)
出生地 日本の旗 日本 北海道
職業 女優
ジャンル 劇場用映画時代劇現代劇成人映画)、テレビ映画
活動期間 1961年 - 1969年
事務所 東映京都撮影所 (1961年 - 1965年)
主な作品
ひき裂かれた情事』(1966年)
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加山 恵子(かやま けいこ、1940年3月23日 - )は、日本女優である[1][2][3][4][5][6][7][8][9]。本名は井瀬 須子(いせ まつこ)[7]、初期芸名は井瀬 昌枝(いせ まさえ)[3][4][5][6][7][8][9]

人物・来歴

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東映京都の大部屋女優

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1940年(昭和15年)3月23日、北海道に生まれる[1][5]。幼少時に第二次世界大戦が始まり、小学校に就学する1946年(昭和21年)4月には、すでに戦争は終わっていた世代に当たる[1][5]

学歴、前歴等は不明だが、満21歳となる1961年(昭和36年)にはすでに東映京都撮影所におり、同年4月18日に公開された片岡千恵蔵の主演作『さいころ奉行』に「おもん」役を得て、出演していることが記録に残っている[4][5][8]。当時の芸名は井瀬 昌枝、役を得ても脇役、だいたいが端役であったため、多くは記録に残っていない[1][2][3][4][5][6][7][8]。1963年(昭和38年)11月20日に公開された『関の彌太っぺ』(監督山下耕作)、1964年(昭和39年)6月20日に公開された『』(監督田坂具隆)、1965年(昭和40年)5月22日に公開された『股旅 三人やくざ』(監督沢島忠)といった中村錦之助(のちの萬屋錦之介)の主演作に小さな役で出ていたが、『股旅 三人やくざ』の公開前後の同月、白川良夫が代表取締役、山内敏男が取締役本部長を務める新映プロダクション[10]が製作した成人映画BG物語 好きならあげる』で初めて主役に抜擢される[1][2][3][4][5][6][7][8]。クレジットには本名の井瀬 須子を使用[7]、同作の監督には、前年までは東映京都撮影所に監督として務めていたが独立した大西秀明(1923年 - 没年不詳)が務めた[7][11][12]。同作は、加山にとっては初めての主役であり東映以外の作品への出演であり[1][7]、監督の大西にとっても、初めての独立系作品であった[11][12]。しかし加山はまだ東映に籍が残っており、当時の京都撮影所長であった岡田茂が時代劇のために設立した東映京都テレビプロダクションが、NET(日本教育テレビ、現在のテレビ朝日)のために製作したテレビ映画新選組血風録』第13話『強襲十津川屋敷』に出演、同作は同年10月3日に放映されている[9]

独立系成人映画の時代

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同年11月には、国映が配給した『牝狼』(監督竜神昇)、東京企画が配給した『血と肉と罪と』(監督深田金之助)の2本の主演作と、加山が助演し六邦映画が配給した藤三恵子の主演作『娼婦真紀子抄 砂の穴』(監督深田金之助)の合計3本が立て続けに公開された[4][7][13]。いずれも加山 恵子と改称しての出演である[4][7][13]。『血と肉と罪と』は『血と肉』の題で同時期に六邦映画が配給したともされているが、同作と『娼婦真紀子抄 砂の穴』の2作は、東映京都撮影所の女優であった日高綾子[14]がいずれも企画・出演、同じく深田金之助(1917年 - 1986年)[15]がいずれも企画・監督した作品である[4][7][13]。深田も大西秀明と同じく、前年の撮影所第1次人員整理の際に東映を退社しており、『血と肉と罪と』および『娼婦真紀子抄 砂の穴』は深田が独立系成人映画に踏み出した最初の作品であった[15]

日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、内田高子香取環新高恵子松井康子西朱実朝日陽子火鳥こずえ華村明子森美沙湯川美沙、光岡早苗、路加奈子有川二郎里見孝二川部修詩佐伯秀男の名を挙げているが、加山には触れていない[16]。田中は、同じくおもな脚本家・監督として、若松孝二、高木丈夫(本木荘二郎の変名)、小林悟新藤孝衛糸文弘小川欽也小森白山本晋也湯浅浪男宮口圭南部泰三藤田潤一小倉泰美浅野辰雄渡辺護、片岡均(水野洽の変名)、福田晴一とともに深田金之助の名を挙げており[16]、深田の成人映画転向の第1作の主演女優である加山は、黎明期の独立系成人映画の重要な女優と言える。加山はこの後、日高・深田が組んだ『現代悪女伝 ピンクピンク作戦』(同年12月公開)、『砂の穴 情事のからくり』(1966年2月公開)、『快楽の罠』(1967年7月11日公開)の3作に主演した[2][3][4][5][6][7][14][15]

1966年(昭和41年)4月、プロダクション鷹が製作した扇町京子の主演作『女体標本』(監督木俣堯喬)に助演した後[7]、同年5月には、当時、木俣と提携していた若松プロダクションが製作した『ひき裂かれた情事』(監督若松孝二)に主演[1][6][7]、同作は、加山の代表作とされる[1]

加山の初主演作を監督した大西秀明は、独立2作目以降「大西孝典」と改称し、同年10月に公開された『女郎妻』から映建工芸での製作・監督を開始しており[11][12]、加山は同作にも主演した[1][2][3][4][5][6][7]。以降、加山は、同社の作品はほとんどの作品に主演、ないしは助演でも出演した[1][2][3][4][5][6][7]。1967年(昭和42年)12月16日に公開された『十一人の侍』(監督工藤栄一)に「芸者」役で端役出演、2年ぶりの東映京都撮影所作品であった[2][3][4][5][6][7][8]。翌1968年(昭和43年)5月1日に公開された『徳川女系図』(監督石井輝男)は、同撮影所が製作したメジャー系成人映画であり、加山は「おゆき」役で出演している[1][2][4][5][6][7][8]

1969年(昭和44年)2月に公開された『甘きつつ噛む』(監督大西孝典)に主演して以降、同作を最後に作品歴が途切れる[1][2][3][4][5][6][7][8][9]。同作を製作・監督した大西も、同作を最後に「健康を害して」映画界を引退している[11]。同時期に東映から独立した深田金之助は、加山が主演した『快楽の罠』を最後に2年前にすでに沈黙している[15]。以降、加山の消息は伝えられておらず、存命であれば、2015年(平成27年)には75歳の高齢である[1][5]

再評価

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2010年(平成22年)8月27日 - 同29日、神戸映画資料館で行われた竹中労の『日本映画縦断』にフォーカスした「竹中労の仕事 パート1」の特集上映で、加山の出演作『欲情の河』(監督木俣堯喬、1967年)が16mmフィルム版の上映用プリントで上映された[17]

フィルモグラフィ

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特筆(「井瀬昌枝」「井瀬須子」)以外すべて「加山恵子」名義、「出演」である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][13][18][19]東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)等の所蔵状況についても記す[3][20]

  • 女のよろこび』 : 製作・企画・脚本川島三十三、監督宇礼始、共演森三千代神原明彦、製作外苑プロダクション中央映画テレビとも[19])、配給大蔵映画、1967年4月7日公開(成人映画・映倫番号 14885) - 主演・「芳子」役
  • 美女拷問』 : 製作上原貞郎、監督小森白、脚本鳴滝三郎、主演美矢かほる、製作・配給東京興映、1967年4月公開(成人映画・映倫番号 不明) - 出演・「平田久作の妻」役、上映用ポジプリントをNFCが所蔵[20]
  • 『快楽の罠』 : 製作・出演日高綾子、製作・監督深田金之助、脚本八束基、共演毛利小夏・月宮於登女、製作創作8プロダクション、配給東京興映、1967年7月11日公開(成人映画・映倫番号 不明) - 主演
  • 受胎』 : 企画・監督・脚本木俣堯喬、主演谷口朱里、製作プロダクション鷹、配給国映、1967年8月1日公開(成人映画・映倫番号 14987) - 出演・「春子(静観の妻)」役
  • 処女残酷』 : 監督渡辺護、共演火鳥こずえ、製作・配給東京興映、1967年10月3日公開(成人映画・映倫番号 15051) - 主演・「友子」役
  • 熟れた感触』 : 監督武田有生、製作20世紀プロダクション、配給不明、1967年公開(成人映画・映倫番号 不明) - 主演
  • 欲情の河』 : 企画・監督・脚本木俣堯喬、主演水城りか、製作・配給プロダクション鷹、1967年公開(成人映画・映倫番号 不明) - 出演、61分の上映用ポジプリントをNFCが所蔵・64分の16mmフィルム版上映用ポジプリントが現存[17]
  • 奥の手指南』 : 監督橋本忠典、製作映建工芸、1967年公開(成人映画・映倫番号 不明) - 主演
  • みだれつぼ』 : 監督橋本忠典、製作映建工芸、1967年公開(成人映画・映倫番号 不明) - 主演
  • 十一人の侍』 : 企画岡田茂・天尾完次、監督工藤栄一、脚本田坂啓国弘威雄鈴木則文、主演夏八木勲、製作東映京都撮影所、配給東映、1967年12月16日公開(映倫番号 14725) - 出演・「芸者」役、100分の上映用ポジプリントをNFCが所蔵[3]・101分の原版が現存・東映チャンネルが放映[28]
  • 処女よさらば』 : 監督橋本忠典、主演祝真理、製作映建工芸、配給不明、1969年2月公開(成人映画・映倫番号 15425)
  • 甘きつつ噛む[4][5][7](『泣きつつ噛む』[19]) : 監督大西孝典、製作映建工芸、配給不明、1969年2月公開(成人映画・映倫番号 15428) - 主演

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n キネ旬[1980], p.202.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l Keiko Kayama, インターネット・ムービー・データベース (英語)、2015年4月2日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 加山恵子井瀬昌枝東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年4月2日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 加山恵子井瀬昌枝井瀬昌代(表記誤記)文化庁、2015年4月2日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 加山恵子井瀬昌枝井瀬昌代(表記誤記)KINENOTE, 2015年4月2日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 加山恵子井瀬昌枝allcinema, 2015年4月2日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 加山恵子井瀬昌枝井瀬須子日本映画データベース、2015年4月2日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i 井瀬昌枝井瀬昌代(表記誤記)日本映画製作者連盟、2015年4月2日閲覧。
  9. ^ a b c d e 井瀬昌枝テレビドラマデータベース、2015年4月2日閲覧。
  10. ^ 年鑑[1966], p.383, 497, 516.
  11. ^ a b c d キネ旬[1976], p.83.
  12. ^ a b c 大西秀明 - 日本映画データベース、2015年4月2日閲覧。
  13. ^ a b c d e f g h 年鑑[1967], p.324-333.
  14. ^ a b 日高綾子 - 日本映画データベース、2015年4月2日閲覧。
  15. ^ a b c d 深田金之助 - 日本映画データベース、2015年4月2日閲覧。
  16. ^ a b 田中[1976], p.85-86.
  17. ^ a b 上映プログラム神戸映画資料館、2010年8月付、2015年4月2日閲覧。
  18. ^ 年鑑[1969], p.343-344.
  19. ^ a b c キネ旬[1973], p.5, 15, 20, 26, 29, 46, 61, 85, 76, 101, 104.
  20. ^ a b c d 平成16年度独立行政法人国立美術館事業実績統計表独立行政法人国立美術館、2015年4月2日閲覧。
  21. ^ さいころ奉行東映チャンネル、2015年4月2日閲覧。
  22. ^ 幽霊島の掟、東映チャンネル、2015年4月2日閲覧。
  23. ^ 用心棒市場、東映チャンネル、2015年4月2日閲覧。
  24. ^ 関の彌太ッペ、東映チャンネル、2015年4月2日閲覧。
  25. ^ くノ一化粧、東映チャンネル、2015年4月2日閲覧。
  26. ^ 股旅三人やくざ、東映チャンネル、2015年4月2日閲覧。
  27. ^ 新選組血風録 13-25、東映チャンネル、2015年4月2日閲覧。
  28. ^ 十一人の侍、東映チャンネル、2015年4月2日閲覧。
  29. ^ 徳川女系図、東映チャンネル、2015年4月2日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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画像外部リンク
さいころ奉行
1961年4月18日公開
東映京都撮影所東映

1964年6月20日公開
(東映京都撮影所・東映)
血と肉
1965年11月2日公開
極東映画社六邦映画
娼婦真紀子抄 砂の穴
1965年11月公開
創作8プロダクション・六邦映画)
女色ごと師
1965年12月7日公開
新大阪宣弘社・極東映画社)
女色ごと師(同上)
鏡の秘事
1966年1月公開
新映プロダクション
女体標本
1966年4月公開
プロダクション鷹
新拷問刑罰史 拷問
1966年7月公開
小森プロダクション東京興映新東宝興業関西
結婚より同棲
1966年10月公開
寺坂プロダクション・東京興映)
美女拷問
1967年4月公開
(東京興映)
処女残酷
1967年10月3日公開
(東京興映)
十一人の侍
1967年12月16日公開
(東映京都撮影所・東映)
徳川女系図
1968年5月1日公開
(東映京都撮影所・東映)
処女よさらば
1969年2月公開
映建工芸
加山恵子
1966年9月1日発行
(『成人映画 9』、現代工房