コンテンツにスキップ

ヨセフ・タル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ヨセフ・タルヘブライ文字:יוסף טל, ラテン文字:Josef Tal1910年9月18日 - 2008年8月25日)は、イスラエル作曲家

生涯

[編集]

ドイツ帝国領ポーゼン近郊のピンネ(現在のポーランドポズナン近郊のプニェヴィ)で、ヨーゼフ・グリュンタールとして生まれた。生後すぐに一家はベルリンに移り住んだ。父のユリウス・グリュンタールはユダヤ教ラビで、ユダヤ高等学院で古代言語学を教えていた。ヨーゼフは幼いころからシナゴーグで音楽に親しんだ。

ベルリン音楽大学(現在のベルリン芸術大学)でパウル・ヒンデミットマックス・トラップピアノ作曲を、ハインツ・ティーセン音楽理論を、クルト・ザックス楽器法を、ジークフリート・ボリスソルフェージュを、レオニード・クロイツァーにピアノ教授法を、それぞれ学んだ。またヒンデミットから音楽大学の電子音楽研究所を紹介された。1931年に音楽大学を卒業し、ダンサーや歌手あるいは無声映画のピアノ伴奏者として働いた。

ナチス政権が成立すると、ユダヤ人の彼の仕事がなくなったため1934年パレスチナに移住した。彼と家族はキブツで生活したが馴染むことができず、エルサレムに居を移してピアノ教師として生活し、時にはパレスチナ管弦楽団でハープ奏者として活動した。

1937年、パレスチナ音楽院のピアノ・音楽理論・作曲の教師として招かれた。1948年から1952年にかけてエルサレム音楽アカデミーの院長を務めた。1951年ヘブライ大学の講師に招かれ、1961年にそこにイスラエル電子音楽センターを設立した。1965年には同大学の上級教授となり、のちに音楽学部長となった。教え子にベン=ツィオン・オルガドナオミ・シェメルなどがいる。

また国際現代音楽協会のイスラエル代表として熱心に活動し、ベルリン芸術アカデミーとベルリン高等研究所の会員でもあった。

作品には3つのヘブライ語オペラ、4つのドイツ語オペラ、6つの交響曲、13の協奏曲室内楽曲、電子音楽などがある。

ギャラリー

[編集]

文献

[編集]
  • Elmar Weingarten, Habakuk Traber (Hrsg): Verdrängte Musik. Berliner Komponisten im Exil. Argon, Berlin 1987, ISBN 3-87024-118-7, S. 376.
  • Shlomo Markel: On Notation for Electro Acoustic Music and Interactive Environment for Composition. Dissertation, Technion, Haifa 1993.
  • Yohanan Ron: The Music of Josef Tal – Selected Writings. The Israeli Music Archive, Tel Aviv University, Department of Musicology, 2000.
  • Jehoash Hirshberg: Josef Tal In: Stanley Sadie (Hrsg.): The Grove Dictionary of Music and Musicians|New Grove Dictionary of Opera. 1992, ISBN 0-333-73432-7/ISBN 1-56159-228-5.
  • Jehoash Hirshberg: Joseph Tal's Homage to Else. In: Ariel – A Quarterly Review of Arts and Letters in Israel. No. 41 (1976), S. 83–93.

受賞歴

[編集]

外部リンク

[編集]