マレーシアの漫画
本項ではマレーシアの漫画(マレーシアのまんが、マレー語: komik, kartun, cergam[注 1][1])について述べる。マレー語の漫画は1930年代に新聞紙上の一コマ風刺漫画(カートゥーン)として始まり、第二次世界大戦と植民地からの独立 (1957) を経た後はコマ漫画(コミックストリップ)が新聞漫画の主流になった。1970年代末には風刺ユーモア雑誌が漫画の発表媒体として台頭した[2]。一般紙誌の添え物ではないストーリー漫画の出版物も1950年代から存在しているが、社会的に認知が高まったのは1980年代以降である。
マレーシアは主にマレー人と中国人、次いでインド人などからなる多文化国家であり、植民地時代から現在まで地政学的に複雑な状況に置かれてきた。伝統的な漫画文化はその条件に強く規定されていた[3]。多様な民族が調和する寛容な社会というマレーシア像は多くの作品に共通する特徴だが[4]、混合文化としてのマレーシアのアイデンティティはいまだに形成の途中であり、漫画文化も同様に発展途上だと述べる論者もいる[5]。それぞれの民族集団は自分たちの言語で漫画の出版を行っており[3]、元々大きくない漫画の市場は細分化されていた。それが理由でマレーシア漫画は日本や米国に見られるような固有の表現形式を発達させるに至らなかったという見方もある[6]。
1980年代後半以前のマレーシア漫画は主に米国コミックを手本にしてきたが[7]、それ以降は世界的な潮流に従って日本の影響が強まった[8]。伝統的な作品では、作中のキャラクターがどの民族集団に属するかは読者にとって重要であるため、コード化された外見的特徴によって明確に表現されていた[9]。一方で日本の漫画やアニメには、特定の国や人種に限定されるような文脈が排除されており「文化的に無臭(岩渕、1998)」という特徴がある[10]。日本の影響以降の従来の地理的・国家的制約によってアイデンティティが縛り付けられていない(顔、2011)
世代の漫画家は[5]、日本漫画のスタイルを流用して民族間の緊張関係が希薄なフィクションとしてのマレーシアを描く傾向がある[11]。日本漫画にならったセクシーな服装などは、多数派であるマレー系が信仰するイスラム教の価値観に反するとして読者から反発を受けることもある[12]。
歴史
[編集]マレーシアはいくつかの旧英国植民地が連合して1963年に成立した国家だが、この地域の漫画出版は19世紀の英領マラヤに起源を求められる。マラヤの貿易拠点だったシンガポールとペナンは出版業も盛んであり、後年まで漫画文化の中心地だった[14]。1938年にシンガポールに設置された南洋芸術学院では風刺漫画家も育成されていた[14]。クアラルンプールやジョホールバルで漫画出版が行われるようになったのは20世紀半ば以降で[14]、島嶼部マレーシアでは21世紀になるまで地域の漫画が発展しなかった[15]。
近代的な漫画 (一コマ漫画) は植民地主義とともに到来した。1868年にマラヤの英国商人のために創刊された英字紙『ストレーツ・プロデュース』は、本国の『パンチ』誌にならって風刺漫画を紙面の中心にしていた。同種の出版物としては日本で刊行された『ジャパン・パンチ』(1862)、中国の『チャイナ・パンチ』(1867) に続いてアジアで3番目だったと考えられている[16]。
英領マラヤに流入した移民労働者はそれぞれの母語で新聞を発行した。シンガポールの華字紙『中興日報』は1907年に最初の一コマ漫画を掲載した[16]。革命家孫文の支持派が母体の新聞で、初期の漫画作品はいずれも清王朝を攻撃する内容だった[17]。20世紀初頭の中国語風刺漫画は主に本国の政治を題材としており、1937年の盧溝橋事件以降は日本の中国侵略に激しい批判が向けられた。太平洋戦争が拡大して1942年に英領マラヤが占領されると、それらの漫画の作者は日本軍によって処刑されることになった[16][18]。
マレー語の風刺漫画は中国語よりも遅れて発展した。その理由としては、手本とされていたアラブ系の新聞がイラストレーションを使用していなかったためだという説や[15]、マレー人が植民地の民族集団の中で特権的な地位におかれていたため政治風刺の動機が弱かったという説がある[16]。1930年代になるとマレー語紙にも社会情勢の変化に対する危機感が表され始め[19]、ワルタ・ジェナカ[注 3]にはS・B・アリーによる風刺漫画や読者投稿の素朴な作品が載るようになった[15]。マレー人自身の欠点(独立心のなさ、大雑把さなど)が槍玉に挙げられる一方、植民地政府や中国系・インド系移民が批判されていた[21]。もう一方のマレー語メジャー紙でイスラム色の強いウトゥサン・ザマン[注 4]では、1939年にマラヤ初の漫画キャラクターの一人である Wak Ketok(→ノックするおじさん)が登場した[15][23]。パ・パンディルのような伝統的な笑い話の系譜に連なるキャラクターだった[24]。同作は「マレー語ジャーナリズムの父[25]」と呼ばれたアブドゥル・ラヒム・カジャイが書いたコラムにアリ・サナットがイラストを添える構成で[26]、マレー民族主義を鼓舞して西洋化やマレー・アラブ人を攻撃する内容が多かった[27]。これら初期のマレー語漫画には伝統演劇のバンサワンや影絵芝居のワヤン・クリの影響があり、韻文のパントゥンやことわざを取り入れた文章が特徴的だった[28]。
日本占領期には英国支配のもろさを目撃したことでいずれの民族も独立意識を高めた[16]。後に建国の父と言われるトゥンク・アブドゥル・ラーマンは反日的・民族主義的な漫画を描いていた[28]。その一方で、水彩画家アブドゥラ・アリフは日本軍が発行したペナン新聞に親日的なプロパガンダ漫画を描いた[16][28]。アブドゥラ・アリフの作品は1942年に Perang Pada Pandangan Juru-Lukis Kita(→私たちの漫画家が見た戦争)としてマレー語・中国語・英語の文章をつけて書籍化された[16][28]。
戦後
[編集]第二次世界大戦が終結した直後の政治的空白期には共産ゲリラによるマラヤ危機が勃発し、民族間の対立が高まった。マレー人と中国人の漫画家は社会や政治を風刺する作品によって民族宥和と進歩主義を唱えた。ザ・ストレーツ・タイムズの社説漫画家Tan Huay Pengはその代表で、英国からの独立を訴えるシンボリックな作品を残した[16]。
マレーシア産のコミックストリップ(ストーリー性のあるコマ漫画)は1947年にまでさかのぼることができる。同年にシンガポールの雑誌 Kenchana は、米国漫画にはない東洋的な感性を持った作品の必要性を訴え、歴史冒険もののマレー語作品 Tunggadewa を初めて掲載した[29]。同誌を編集していた作家ハルン・アミヌラシドは初期のマレー語コミックのメンターとして大きな役割を果たした[30]。
一般紙誌ではないストーリー漫画主体の出版物がマラヤに入ってきたのは、1930年代に英国から雑紙として売られてきた『ザ・ビーノ』や『ザ・ダンディ』などのコミックブック(小冊子型式の定期刊行物)が最初だった[31]。マレー語のコミックブック第1号は1951年にインドネシアで刊行された Hang Tuah (Untuk Anak-Anak) だと考えられている。英雄ハントゥアの伝説が題材で、原作・作画とも作家ナシャ・ジャミンが手掛けていた[20]。シンガポールでは Pusaka Datuk Moyang(→ご先祖さまの宝)(1952) を皮切りにマレー語コミックブックが盛んに出版された[32]。米国ヒーロー・バットマンの翻案やSF風味の作品もあった。1955年に15歳で伝説の女王シティ・ワン・ケンバンをコミック化したノラ・アブドゥラは最初の女性マレー人漫画家だった。1960年代に入るとシンガポールのコミックブック出版は衰退し、シナラン・ブラザーズなどの出版社があるペナンが中心地となったが[20]、1960年代を過ぎるとそれも下火になった[33]。コミックの題材は初期には歴史や民話が主流で、やがて恋愛ものや探偵ものも現れた[34]。
マラヤ連邦は1957年に英国からの独立を果たし、周辺地域の再編とシンガポールの脱退を経て現在のマレーシアが成立した。表現の自由を基本理念としていた植民地政府と異なり、独立政府はマスメディアを統制して統治の道具にしようとした。各言語の新聞からは政治風刺漫画が姿を消し、その代わりに冒険ものやユーモアものの海外産コミックストリップが多数掲載された[35]。『フラッシュ・ゴードン』[35]、『ターザン』、『マンドレイク・ザ・マジシャン』、『聖者サイモン・テンプラー』のような欧米作品は新聞各紙の呼び物となった[36]。ラジャ・ハムザ、ルジャブハッド、ミシャールらマレー人漫画家による作品も新聞に掲載された[28]。ラジャ・ハムザは戦後期の重要な漫画家で[31]、ブリタ・ハリアン紙の Keluarga Mat Jambul(→マット・ジャンブルの家族)は英国の『ザ・ガンボルズ』を手本にした家族もののユーモア作品だった[35][37]。ハムザはそのほかウトゥサン・ムラユ紙の Dol Keropok & Wak Tempeh など村落生活や古典文芸を題材にした連載を多数持ち[31]、後進のラットに影響を与えた[35]。
1960年代から1970年代にかけてはマレーシア漫画の黄金期だとされている[38]。1970年代以降、国民的なアイデンティティを育成する文化政策によって自国産の漫画が増え始め、海外作品の掲載を止める新聞も現れた[35][37]。1973年には漫画家・イラストレーター協会[注 5]が設立され、実作者の地位を向上させた[39]。同年に漫画家が主体となってスアラサ社が設立され、マレー文化教育を主眼とする児童向けコミックブックを刊行して3万部のヒットを生み出した。同じく1973年にはマレーシアの国立美術館がアジア各国の一コマ漫画作品の展示を初めて行った[40]。
1970年代にはラット、ナン (Zainal Osman)、メオール・シャリマン、ジャーファル・タイブ、ザイナル・ブアン・フッシンのような新しい世代の漫画家が登場した[38]。ラットは1970年ごろからコマ漫画の Keluarga Si Mamat(→ママットの家族)や一コマ漫画 Scenes of Malaysian Life(→マレーシアの生活風景)を数十年にわたって新聞に連載し[38]、一般によく知られる存在となった[35]。時事スケッチに風刺性を込めた Scenes of Malaysian Life が人気を博したことで、一時期姿を消していた一コマ社説漫画が新聞各紙に再び掲載されるようになった[41]。ラットは1980年代に新聞社専属からフリーになって自作のマーチャンダイジングを手掛け、マレーシア漫画界ではまれな経済的成功を収めた[38]。マレー伝統文化を追憶した著書『カンポンボーイ』は国際的にも広く読まれている[42]。英字紙ニュー・ストレーツ・タイムズの系列で活躍したラットに対して、マレー語紙のウトゥサン・ムラユでは1976年にナンが登場し、タクシードライバーが主人公の家族もの Din Teksi や、スラップスティック Barber's Corner を描いた[43][44]。
この時期に特筆すべきなのは、1978年に漫画家のジャーファル・タイブやミシャールらが発刊した『ギラギラ』である[47]。マレー語の「gila」は英語の「mad」に当たり[44]、米国『MAD』誌のひな形にならったユーモア雑誌だった。誌面はマレー語文学、民話、歴史、映画のパロディ漫画から構成されており、一時は発行部数20万部まで拡大して国内最大の雑誌となった[48]。それまでマレーシアの漫画家はほかに本業を持つのがほとんどだったが、同誌は原稿料を専業漫画家が成り立つ水準にまで引き上げた[49][注 6]。また若い漫画家を育成し、漫画家の相互交流や地位向上を促す役割も果たした。大手出版社による Gelihati(→クスクス笑い[50])など後発のユーモア誌も現れ、2003年までに50誌以上が乱立した[48]。『ギラギラ』出身の漫画家ウジャンは80年代前半に Aku Budak Minang(→僕はミナンの子ども)や Atuk(→おじいちゃん)をヒットさせてマレーシア漫画界を活性化させた。2作はアニメ化もされている。ウジャンは自身でもティーン向けユーモア誌 Ujang (1993) などを創刊した[51]。20世紀末までにユーモア誌の市場は飽和し、各誌は宗教テーマの Lanun、芸能界テーマの Mangga などジャンルを細分化することで生き残りを図った。最初の女性向け雑誌 Cabai は希少な女性漫画家チャバイ(Sebariah Jais) を看板作家としていた。言語ごとの市場が限られていたことから、マレー語ではなく英語で出版したり、サイレント漫画に特化する雑誌も現れた[51]。
ユーモア誌以外には海外作品の人気が高かった[52]。米国や旧宗主国である英国のコミックブックは広く売られていた。また中国系やインド系の住民はそれぞれの母国で出版された作品を輸入していた[53]。1980年代後半からは日本・台湾・香港作品の海賊版が大量に出回り、国内産業の発展にとっては妨げとなった。海賊版は専門の出版社から公然と刊行されていたが、市場が小さいことで政府当局や海外の著作権者から黙認されていた。主な流通ルートは中国系の貸本屋(または漫画喫茶)だった[8]。
地元産コミックはマレー系作家が主だったが[53]、1984年時点でマレー語コミックブック出版社は数社を数えるのみだった。月刊発行数は1万5千部程度でほとんどのタイトルが短命だった。ジャンルは歴史や冒険ものが多かった。米国のコミックを真似てマレーシア風味を加えた多様なジャンルの作品を出す出版社や、フォトコミックを専門とする出版社もあった[54]。中国語コミックは1970年代に丁喜が描いた社会派作品や、1980年代に張瑞成、黄奱棋、森林木らが結成した漫画人出版社が嚆矢とされる。1990年代後半には『哥妹俩』(2013年映画化[55])のような子供向け作品が人気を集めた[56]。
1980年代には一般紙ニュー・ストレーツ・タイムズに国内外のコミックを紹介するコラムが連載され、コミックの社会的認知が高まった。コラムの著者ダニエル・チャンは1984年にマレーシア初のコミック・コンベンションを開催した[54]。それを機会に、マレーシア人のファンによって米国マーベル・コミックス風の同人誌 APAzine が出版された[注 7][54][57]。その後はクアラルンプールを中心に米国コミックの専門店が置かれるようになった[54]。高価な米国コミックは熱心なマニアがファン層の中心であり、人気は1990年代にピークを迎えた[58]。
20世紀末のアジア通貨危機以降には地域の漫画文化にグローバリゼーションの波が及んだ[59]。この時期、インターネットの普及と軌を一にして日本のアニメと漫画が大々的に流入した[60]。それ以降の世代は伝統文化や歴史よりもSFやファンタジーのようなジャンルに関心が高く、日本をはじめとする海外の作品から強く影響を受けている[61]。1990年代前半以前の国内作品はほとんど復刻されず[4]、ラットやルジャブハッド、ジャーファル・タイブらが発展させた伝統的な作風は継承されていない[4][62]。
このころ国内コミック出版もビジネスとして成熟し始め[54]、2000年代には漫画とアニメーション、芸能、ゲーム、広告、グッズ販売の連携が進んだ[63]。1998年設立の新興出版社アート・スクウェア・グループは、月2回刊誌『ゲンパック』など、漫画とアニメやゲーム(ACG)の情報を組み合わせた雑誌をヒットさせて頭角を現した[35][64]。同社は雑誌連載作品を単行本化する出版モデルを取り入れ、海外漫画の正規ライセンス版のほか地元作品を数多く出版してマレーシア人作家に活躍の場を作り出した[64]。また韓国の学習漫画を出版して学校関係者や親世代にアピールしたり、デジタル展開や新人賞の設立によって漫画の普及を推し進めた[63]。多くのアート・スクウェア作品は、フラットなカラーリングの絵柄、キャラクター設定、プロットなどに日本漫画からの影響が明らかだった[65]。代表的な作家には、高校生活を描いた4コマギャグ[66]『ラワック・キャンパス(秀逗高校)』を描いたキース(張家輝)や[64]、少女漫画の第一人者で『メイド・メイデン』など日本の流行を取り入れた作品で知られるカオルがいる[5][67]。香港のカンフー漫画や米国のスーパーヒーロー・コミックに影響を受けた作家も多く[68]、DCコミックスにスカウトされた陳永発などがいる[35]。アート・スクウェアを始めとする中国系出版社はマレーシア漫画界で大きな存在感を持つようになり[69]、2009年にはマレーシア中国語漫画協会が発足した[70]。
2001年に発刊された『アーバン・コミックス』はインディー・コミック出版の先駆けである[71]。同誌の出版者ムハマド・アザール・アブドゥラは2007年に国の助成を受け、アマチュアを含めた漫画家の相互交流と漫画文化の振興を目的とした団体PeKomik[注 8]を結成した[72]。PeKomikは2012年に他の団体と共同でゲームと漫画の大規模なコンベンションMGCCon[注 9]を開催し、コミックファンダムの存在をマレーシア社会に周知させた[73]。
現代
[編集]2010年代以降にはウェブトゥーンのようなデジタル配信手段が登場したことで新世代の漫画家が数多く活動するようになった[75]。Twitter(現X)やFacebookのようなソーシャル・ネットワーキング・サービスで発表された作品が書籍化される事例もある[76][77]。若者文化を描くブログ漫画で知られる黑色水母(黄俊杰)はマレーシア中国語漫画のニューウェーブと考えられている[78]。
マレーシアではほかのアジア国家と同じく伝統的に女性漫画家が少なく、2010年代までにある程度の成功を収めたのはノラ・アブドゥラ、チャバイ、カオルなど7人を数えるのみだったが[79]、近年ではインディー出版やデジタル出版で作品を発表する女性が登場している[80]。国際的に権威あるアイズナー賞を最初に受賞したマレーシア作品は女性漫画家エリカ・エンによる自伝的作品『フライド・ライス』である(2020年ウェブコミック部門)[81]。
2000年代以降には、米国式のコミックブックに代わる出版形式としてグラフィックノベル(一般書店で売られる書籍形式の漫画)にも関心が寄せられている[73]。国の出版助成金を受けてグラフィックノベルを出すインディー作家もいる[82]。マレーシア教育省は2010年から正規の英語教育に『黒馬物語』、シャーロック・ホームズ、『地底旅行』のような古典文学のグラフィックノベル版を取り入れている[83]。2022年には漫画の書籍が一般書店でもっとも人気の高いジャンルにまで成長した。主要な出版社は中華系の[84]カドカワ・ゲンパック・スターツとイスラム系のKomik-Mで、自国産と日本の作品が若い世代の人気を二分している。そのほか Bekazon のようなユーモア誌も出版され続けている[85]。
カドカワ・ゲンパック・スターツはアート・スクウェアが日本のカドカワの出資を得て2015年に社名変更した会社で、漫画出版のほかアニメーション、ゲーム、小説などのマルチメディア・コンテンツ事業の展開や[86]、アニメーター学校の設立を行っている[87]。カドカワはこの資本提携により、マレーシアを拠点にASEANや中東諸国への進出を図っている[88]。
作品の特徴
[編集]マレー語ユーモア誌
[編集]『ギラギラ』(1978) の流れを汲むユーモア誌は70~80ページ前後で、読者は男女どちらもいた。性別や民族による違い、職場、マレー文化、歴史などをテーマにしたセクションからなり、多くの漫画家が1ページずつ描いていた[89]。言語は公用語のマレー語がほとんどで、描き手もマレー人が多かった[54]。 作品の特徴としては、
- 過激さを避けた穏当なユーモア
- 愚か者が賢いふりをするがなぜか上手くいく
- 文化的ステレオタイプを笑いの種にする
- 実在人物ではなく類型的なキャラクターをパロディ化する
などが挙げられている。マレーの文化ではユーモアが重要な地位を占めており、漫画家は伝統演劇や文芸から笑いを取り入れていた[89]。
その一方で、ユーモア誌が持つ批判精神は一般のマレー社会にあまり見られないものだった[54]。『ギラギラ』が登場する1970年代以前には漫画で自由な社会批判は行われておらず、政府高官の描写や、センシティブな題材(公用語の呼称問題、マレー人の法的優位、スルタン特権など)は避けられていた[90]。80年代に風刺漫画の表現の自由が拡大した理由としては、
- マレー人が政治的に優位な地位を占めていたから
- 漫画がマレー伝統芸能から権威への不満を解放する役割を受け継いだから
- 漫画は幼稚なメディアだと考えられていたため、政府から政治的脅威と見なされなかった
のような説がある[91]。
中国語コミック
[編集]判型が小さいカラー印刷の中国語コミックブックが存在する[92]。マレーシアの中国語漫画は4コマやショートギャグが主体である[93]。中華文化圏の一般的な作品と異なり、伝統家屋や遊び、食品のようなマレーシア文化の要素が取り入れられることが多い[92]。またマレー語・中国語といった複数の言語が混じるマレーシア特有の言語文化も反映されている[94]。1990年代からは中国語教育を受ける小学生を対象にした教育的な内容の児童漫画がもっとも主流のジャンルになっている[92]。ゲンパック社の学習漫画シリーズ「どっちが強い⁉」は日本で翻訳出版されて累計190万部を超えるヒットとなった[95][96]。
公的な規制
[編集]マレーシアの雑誌は「道徳を損なう」とみなされると内務省から発行許可を取り下げられる可能性がある[97]。政府は人種間の宥和を方針に掲げており[98]、特定の民族への加害や不利益となる表現は規制の対象となる[6]。政府批判に対して警告が行われることもある[97]。1983年に『ギラギラ』でデビューしたズナールは辛辣な風刺で知られており、2010年ごろに当局から単行本を発禁にされたり、安全保障法に基づいて身柄を拘束されたことがある[90]。
風刺漫画以外のコミックは児童向けメディアという観点からの規制を受ける。体の線が露わになるタイトな服装や、男女間のキス、銃を人間に突きつける描写などは許可されていない[90]。2010年代以降の作家には、政府の規制や出版社のガイドラインによって創作の自由が制限されることを嫌って商業出版よりも自己出版を選ぶ者がいる[99]。
アーカイブ
[編集]マレーシアでは漫画は学術的に注目されておらず、研究所や図書館でも系統的な資料収集は行われていない[100]。初期のマレー語コミックブックについては、1952年から1966年までの間に出版された270誌のコレクションが大英図書館に所蔵されている。植民地時代に公的な納本制度を通じて収集されたもので[33]、マレーシア国立図書館にもマイクロフィルム版が譲渡されている[101]。それらの研究はあまり進んでいない[102]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ "cergam" は "cerita gambar"(→物語+絵)の略[1]。
- ^ a b c d 時代区分はMuliyadi 2012, p. 122に基づく。
- ^ 日刊紙ワルタ・マラヤの週刊付属紙[20]。
- ^ ウトゥサン・ムラユ紙の日曜版で[22]、マレー人によって出版された最初の新聞だった[3]。
- ^ PERPEKSI (Persatuan Pelukis Komik Kartun dan Ilustrasi)
- ^ 1984年時点で『ギラギラ』はページ当たり最大35リンギットの原稿料を支払っていた。これはマレーシアの平均収入と比べると米国の1000ドルに匹敵した。一方で新聞漫画の原稿料は、版権料が低い海外作品と競合していたため1作5リンギット程度であった[49]。
- ^ APA=アマチュア・プレス・アソシエーション。
- ^ Persatuan Penggiat Komik Malaysia(→マレーシア漫画家協会)
- ^ Malaysian Games and Comic Convention
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関連文献
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外部リンク
[編集]- 渡部宏樹 (2023年8月4日). “東南アジア最大のアニメ・マンガ・ゲームのイベント クアラルンプール「コミック・フィエスタ(Comic Fiesta)」レポート”. Media Arts Current Contents. 2024年9月16日閲覧。