マレーシアの漫画

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マレーシアの漫画は、マレーシアで制作される漫画である。マレーシア社会が有している多言語文化を背景に、マレー語中国語英語と多言語で作品が発表されている。また他国に比較して、児童漫画及び少女漫画の比重が極めて高い点も特徴である。

概要[編集]

マレー系の国民的漫画家ラットによると、マレーシアの漫画は1950年代に始まった。そのころ民話を題材にして絵物語風の作品を描いていた漫画家にラジャ・ハムザがいる。その後1980年代前半までストーリー漫画はそれほど発展せず、新聞に載る社説漫画や4コマ漫画、あるいは米国の『MAD』に影響を受けた風刺漫画が中心だった。1981年時点でマレーシアにいる漫画家は全部で100人余りで、女性はおらず、有名なのは15人ほどだったという[1]。ラット自身は1970年ごろから新聞漫画で活躍をはじめ、土着文化へのノスタルジーや現代史への関心をユーモラスに描いた代表作『カンポンボーイ』など、独自のスタイルのストーリー漫画を確立した。しかし、より若い世代の漫画家は、過去のマレーシア漫画の伝統よりむしろ日本漫画やアメリカのスーパーヒーローコミックやオルタナティブ・コミックからの影響を強く受けている[2]

『少年週報』と『青苗週刊』が創刊された1985年が、マレーシアにおける漫画の草創期とされる[3]。『少年週報』の専属漫画家となった張瑞成は『神童』や『超能少年』を発表、『青苗週刊』でも黄奱棋森林木王永基などが作品を発表。その後、黄奱棋、森林木、黄瑞発などにより成年漫画である『正牌老夫子』が隔週刊で連載された。1986年になると『新晩報』、『中国報』、『新生活報』、『生活電視』などの多くの雑誌でマレーシア漫画家の作品が発表され、張少林楊孝栄黄寿忠李国文などがこの時期にデビューしている。当時は日本の漫画を無断で翻訳した海賊版の市場が大きかったこともあり、日本の影響を強く受けた作品が主流であったが、張少林や楊孝栄などは香港の漫画の影響を強く受けた作品を発表し、特に楊孝栄はその後香港の黄玉郎の出版社に参加している[4]

1990年代に入ると、雑誌から単行本が主流となっていく。余有勤の『武神』、丘光耀の『林連玉』や『林吉祥伝』、陳中偉の『童年』、柳丁の『鳥人正伝』、郭豪允の仏教漫画シリーズなどが登場し、また後にマレーシアを代表する維明杜英才祖安もこの時期にデビューしている。また、1980年代に活躍した漫画家が創作活動から出版活動に転進したのもこの時期である。張瑞成は『漫画週刊』を発行するとともに集英漫画社を設立、日本からの授権を得ることなく日本の漫画を翻訳出版、そこでの収益を利用して『漫画少年』を創刊し、陳天星張振怡張桂明などの新人を発掘したが、その販売は不振が続き『漫画少年』は廃刊となり、マレーシア漫画家の育成計画は短期間で失敗している[3]

1993年になると漫画城出版社が香港より周聖を招聘し、マレーシアにおいてアシスタントの育成を目指した。同時に陳永発の『猟魔』や『水滸外伝』、張振怡の『鬼故事』、蔡再鴻の『烏龍家族』、熊人の『鉄拳』などを出版し、マレーシア漫画産業の発展を目指した。しかし販売不振により廃刊となり、マレーシアの漫画作品を掲載した雑誌は消滅した。

こうした状況の下、マレーシアの漫画家は海外市場を目指すようになり、1997年にはシンガポールの亜太出版社が陳国勝黄慶栄林鉅秦劉錦漢張開振などの大量のマレーシア漫画家の作品を出版している。しかし同年に発生したアジア通貨危機により販売数量は極めて限定的となり、マレーシア漫画家の受難期は続くこととなる。こうした中、蔡天発余有権左手人Blue史美星JONDEP蘇文徳陳耀竜黄建隆などは積極的な創作活動を行っていた。

2000年代に入ると、多くの漫画家が海外市場を目指すようになった。その代表格が陳永発であり、アメリカ合衆国において『Doom Patrol』や『Batman』などの雑誌で多くの作品を発表している。海外での活躍によりマレーシア国内の漫画市場も再構築され、平方集団は『Gempak』を創刊、2003年6月には中国語市場を目標に『漫画王』を創刊し、張家輝蔡詩中李国靖劉怡廷林詩敏BEN李沢権藘穏亢丁偉光何声超何声強などの多くの漫画家を育成し、マレーシアの漫画市場の再構成に成功している。

その他、児童漫画も同時期に徐有利の『哥妹倆』及び呂寿聡の『榴槤公主』が出版され、教育的な内容により学校教育との連携に成功している。学校経由による団体定期購読というビジネスモデルが成功してからは、他の出版社からも児童漫画雑誌が続々と創刊され、2006年には漫頭社の『OKA』、平方集団の『秀逗高校』、『小班長』、『聡明世界』、彩虹漫画の『KK小超人』、嘉陽出版の『漫頭』、『GOGO学堂』などが創刊されている。

マレーシアの漫画産業発展に伴い、2009年5月に「マレーシア中文漫画協会」が設立され、マレーシアにおける漫画産業の発展を目的に活動を開始した。同年11月には「第1回中文職業漫画大賞」を発表、2011年8月には「第2回中文職業漫画大賞」、2012年12月には「中文新人漫画大賞」が発表され、マレーシア独自の漫画家の育成に寄与している。また毎年クリスマス前後にクアラルンプールで開催されるComic Fiestaがあり、会場では企業ブース以外に個人による同人誌、同人グッズ販売ブースが設置されている。2014年6月7日から6月8日にかけてクアラルンプールでComic Art Festival Kuala Lumpur(CAFKL)が初めて開催され、商業ブースが主となるComic Fiestaに対し、同人作品を主体としたイベントが初めて開催されている。

特徴[編集]

マレーシアの漫画作品の特徴は児童漫画と少女漫画に特化している点にある。児童漫画は保守的なマレーシア社会で長く漫画が受け容れられてこなかったことが原因であり、教育的な内容を中心とすることで学校教育との連携を図り、「教材」として読者を獲得することを目的とした結果である。現在マレーシアでは出版社による漫画家の学校訪問が行われており、そこで定期購読を獲得するビジネススタイルが一般的となっている。また、読者の年齢層が未だに中学生未満が主体[5]であることから少女漫画も数多く発表されている。その少女漫画に関しては純愛をテーマとしており、イスラム教の影響を受けるマレーシア社会においてはキスシーンなどの表現はタブーである、表現方法の制限があるが、劉怡廷などにより人気ジャンルとして確立されている。少年漫画に関しては、現状ではマレーシア産の少年漫画の連載までには至っていない。

また漫画の創作スタイルも日本とは異なり、出版社の中でのチーム分業制を採用している場合が一般的である。これはチームでの会議により作品の内容が決定され、それに従い漫画家が作品を創作し、アシスタント作業は出版社のアシスタントチームが請け負い、色付作業やセリフに関しては漫画家の意見は反映されるものの専門スタッフが行うというものである。これは漫画家の絶対数が不足していることと、カラー作品が一般的であるマレーシアの出版事情、更に作品を英語、マレー語、中国語の3ヶ国語で出版する必要があるマレーシア社会の特徴を反映させた結果である。

販売方法であるが一般書店流通、上記で述べた学校教育との連携以外に、ブックフェアなどでの出版社ブースによる販売も大きな地位を占めている。また頻繁にサイン会が実施されるなど、漫画家と読者の距離がきわめて近いこともその特徴である。

主な出版社[編集]

  • 平方集団
  • 青苹果工作室
  • 元気出版
  • 彩虹漫画
  • 嘉陽出版
  • Gala Unggul Resources
  • The Vision Engine

参考文献[編集]

  • マレーシア漫画協会編『マレーシア漫画協会紀年会刊 2009』(2009年 クアラルンプール)
  • マレーシア漫画協会編『マレーシア漫画協会紀年会刊 2011』(2011年 クアラルンプール)
  • 台北市漫画従業員工会編『国際マンガサミット 台湾淡水大会 講演資料』(2009年 台北)

注釈[編集]

  1. ^ 小野耕世「ラットと語る(解説)」『カンポンのガキ大将』晶文社、1984年、148-153頁。ISBN 978-4794940247 
  2. ^ チェンジュ・リム 著、中垣恒太郎 訳「歴史的記憶のメディアとしてのマンガ/コミックス.シンガポールとマレーシアのコミック」、ジャクリーヌ・ベルント 編『世界のコミックスとコミックスの世界 : グローバルなマンガ研究の可能性を開くために』京都精華大学国際マンガ研究センター〈国際マンガ研究1〉、2010年。ISBN 978-4-905187-02-8http://imrc.jp/images/upload/lecture/data/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C.pdf2017年11月24日閲覧 
  3. ^ a b 『マレーシア漫画協会紀年会刊 2009』
  4. ^ 『マレーシア漫画協会紀年会刊 2011』
  5. ^ 第10回国際マンガサミット富川大会 産業報告

関連項目[編集]