クインシー・オウス=アベイエ

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クインシー・オウス=アベイエ
2007年のオウス=アベイエ
名前
本名 クインシー・ジェイミー・オウス=アベイエ
Quincy Jamie Owusu-Abeyie
愛称 クインシー
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
ガーナの旗 ガーナ
生年月日 (1986-04-15) 1986年4月15日(38歳)
出身地 アムステルダム
身長 180cm
体重 74kg
選手情報
在籍チーム オランダの旗 SVロビンホート
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1993-2002 オランダの旗 アヤックス
2002-2003 イングランドの旗 アーセナル
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2006 イングランドの旗 アーセナル 5 (0)
2006-2010 ロシアの旗 スパルタク・モスクワ 29 (3)
2007-2008 スペインの旗 セルタ・ビーゴ (loan) 21 (4)
2008-2009 イングランドの旗 バーミンガム・シティ (loan) 19 (2)
2009 ウェールズの旗 カーディフ・シティ (loan) 5 (0)
2010 イングランドの旗 ポーツマス 10 (0)
2010-2011 カタールの旗 アル・サッド
2010-2011 スペインの旗 マラガ 25 (2)
2011-2013 ギリシャの旗 パナシナイコス 38 (5)
2014-2015 ポルトガルの旗 ボアヴィスタ 7 (0)
2016-2017 オランダの旗 NEC 12 (0)
2020- オランダの旗 SVロビンホート
代表歴
2005-2006 オランダの旗 オランダ U-21 7 (1)
2008-2011 ガーナの旗 ガーナ 17 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クインシー・ジェイミー・オウス=アベイエQuincy Jamie Owusu-Abeyie1986年4月15日 - )は、オランダアムステルダム出身のサッカー選手。オランダのアマチュアクラブ・SVロビンホート所属[1][2]。ポジションはフォワード(CF, LWG)。

来歴[編集]

スパルタク・モスクワでのクインシー

アムステルダムに住むガーナ人の両親のもとに生まれ、アヤックス・アムステルダムのユース育成システムで9年間を過ごした。2002年、ハイベリーでのトライアル中に注目され、同年9月にアーセナルFCへ完全移籍[3]。17歳でアーセナルFCのトップチームでデビューする。2003年10月、カーリングカップロザラム・ユナイテッド戦で途中出場。同大会で2試合に出場した。

アーセナルFCのU-21チーム時代、対ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC U-17戦で1人で6得点を決めた[4]。アーセナルではマシュー・コノリーケリー・ギルバートと共にアーセナルFC関係者が“若手有望株三人衆”と呼んでいた。

FIFA ワールドユース選手権でU-20日本代表と対戦し、その驚異的な身体能力を見せつけた。フィジカルコンタクトに強い本田圭佑を含む日本選手が3人がかりでも高速ドリブルを止められず、アシストを記録した。

2006年1月31日、アーセナルがクインシーと同じポジションでプレーをするエマニュエル・アデバヨールセオ・ウォルコットを獲得した影響により、ロシアのスパルタク・モスクワへの移籍を決断する[5]

2007年1月にオランダ代表入りを断念し、国籍を持つガーナ代表入りを決意した。2008年1月、アフリカネイションズカップ2008にてガーナ代表として初キャップを記録した[6]

2010 FIFAワールドカップの初戦セルビア戦の後半終了間際にワールドカップ初出場を果たした。

エピソード[編集]

  • アーセナルのトップチームとの練習試合で彼のマークについていたコロ・トゥーレは「一人で止めるのは無理。潜在的な能力はクリスティアーノ・ロナウドをも凌駕する」と発言。
  • 2009年7月、本人が直接浦和レッズのクラブハウスに訪れるなど、獲得を検討されていた模様だが、金銭面で折り合わず合意には至らなかったことが、8月10日に行われた浦和レッズ主催のトークイベントで明らかになった。

脚注[編集]

外部リンク[編集]