ウィリアム・ジョセフ・シーモア

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ウィリアム・ジョセフ・シーモア

ウィリアム・ジョセフ・シーモア(William Joseph Seymour、1870年5月2日 - 1922年9月28日)は、アメリカ合衆国の最初期のペンテコステ派指導者、牧師

生涯[編集]

ルイジアナ州黒人奴隷の両親から生まれる。正式な教育を受けたことが無かった。メソジスト監督教会に通う。

チャールズ・パーハムが開校したベテル・バイブル・カレッジに入学を申し込むが、南部の法律上、黒人が聖書学校の中に入ることができず、窓の外で授業を聞いた。

1906年ロサンジェルスホーリネス教会で説教し、「異言を語らない者は、聖霊のバプテスマを受けているとは言えない」と語った。同年にアズサ・リバイバルが起こり、アズサ通りからペンテコステ運動が広まった。

参考[編集]

  • 『リバイバルの源流を辿る』尾形守 マルコーシュ・パブリケーション社