尾形守

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尾形 守
生誕 (1953-03-08) 1953年3月8日(64歳)
山梨県上野原市
職業 牧師、宣教学者、神学校教師

尾形 守(おがた まもる、1953年3月8日 - )は、日本の牧師、宣教学者、神学校教師である。

幼年時代[編集]

ノン・クリスチャンの家庭に生まれたが、尾形一家は山梨の山中にいた隠れキリシタンの家族と交際があったという。

学生時代[編集]

早稲田大学商学部に入学後合気道に励み初段にまでなるが、心が満たされることはなかった。また、合気道の先輩が自殺した事件は尾形に衝撃を与えた。その頃早稲田大学を会場に行われたジャネット・リンの伝道集会をきっかけにイエス・キリストを救い主と信じ、1974年6月23日尾山令仁牧師からバプテスマを受ける。また尾山牧師から福音派聖書信仰に立った弟子訓練を受け、尾山師が校長を務める東京神学校で学びを受けた。この神学生時代に、ホームレス伝道で有名な森本春子からも、山谷の彼女の教会にて熱心に訓練を受けた。

東京神学校卒業後、現在東京及び上野原希望の教会伝道師である洋子夫人と結婚し、妻を連れてアメリカ合衆国に留学、ベテル神科大学院大学とフラー神科大学院大学に学ぶ。後大学院では教会成長論、霊の戦い、インナー・ヒーリング、力の伝道の世界的権威から直接指導を受けた[1]。博士論文は日本と韓国の教会の歴史を比較したものである[2]。そしてフラー神科大学院大学を中心とした聖霊の第三の波を日本のキリスト教界に紹介することになった。

ミニストリー[編集]

尾形師は日本に帰国してから、直後の1985年4月13日に吉祥寺に「吉祥寺クリスチャンセンター」を設立し、聖書信仰に立ったキリスト教(プロテスタント)の開拓伝道を開始(これが現在の東京及び上野原希望の教会の始まりである)。1986年に尾山令仁師から牧師按手礼を受け[3]、日本教会成長研究所調査員、共立基督教研究所宣教学研究員として、神学研究に従事。茨城キリスト教大学チャプレン、聖書キリスト教会牧師を務める。また茨城キリスト教大学専任講師、東京神学校助教授として教鞭をとる。

開拓伝道当初、尾形師は、教会成長論と霊的戦いの神学から、日本のカルト、異端を調査し、異端、カルトにとらわれた人を解放することや、またカルト及び異端と正しい教会の見分けや、教会自体がカルトや異端等に陥らないようにする為に活動し、書籍も著した。これはフラー神科大学院大学で師事したピーター・ワグナー教授の講義に多くを負っている。 90年代には新・新宗教ブームの精神的背景としての心の癒しブームがあったが、それに対してキリスト教の霊的・聖書的癒しを実際のミニストリーに適用していった。尾形守はアメリカでインナー・ヒーリングの第一人者であるチャールズ・クラフト教授から直接指導を受けていたのである。

2000年頃からは毎年、沖縄県にて行われている「癒しセミナー」の講師・奉仕者、又、米オレゴン州での教会や神学校の招きによる礼拝説教やセミナーの講師としても活躍する。

更に2003年からは、毎月第3月曜日に、新宿アルタ前の路傍伝道(午後7時から約1時間)及び新宿シャローム教会での徹夜祈祷会(10:30PM-翌日4:30AM)を自ら主宰し続けている。前者の路傍伝道の模様は、日本のクリスチャン新聞にも掲載されたことがある。

経歴[編集]

著書[編集]

英語論文[編集]

  • A comparative study of church growth in Korea and Japan : with special application to Japan

脚注[編集]

  1. ^ 教会成長論と霊の戦いピーター・ワグナー、インナー・ヒーリングはチャールズ・クラフト、力の伝道はジョン・ウインバーに師事した
  2. ^ 博士論文 A Comparative Study of Church Growth in Korea and Japan with Special Application to Japan を英語から加筆翻訳した『日韓教会成長比較: 文化とキリスト教史』が日本で出版されている。古屋安雄が序文。ISBN 4938858037
  3. ^ 按手を受けた年は、キリスト教新聞社発行の「キリスト教年鑑」の記載による。
  4. ^ アジアの人々への謝罪運動尾山公式ブログ
  5. ^ 2010年8月からは、新宿シャローム教会の都合により、ほとんどの月が半徹夜祈祷会となった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]