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「田園調布」の版間の差分

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大阪の帝塚山みたいなレベルの低い住宅街を載せてんじゃねえよ
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*[[松濤]]
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*[[西宮七園]]
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*[[帝塚山]]
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2006年5月2日 (火) 05:35時点における版

世界 > アジア > 東アジア > 日本 > 関東地方 > 東京都 > 大田区 > 田園調布

東京都 >世田谷区 > 玉川地域 > 玉川田園調布

田園調布(でんえんちょうふ)は田園調布駅を中心にする高級住宅地である。 東京都大田区田園調布、同世田谷区玉川田園調布の一帯を指す。

概要

阪神間モダニズムと呼ばれる時代の小林一三の宅地開発を範として、イギリスの田園都市構想を参考に近代に開発された近郊住宅地がその始まりである。高度成長期の頃より、兵庫県芦屋御影と並ぶ高級邸宅街として併称されるようになった。特に駅西側に広がる、扇状に整備された区画一体は、銀杏の並木と相まって「高級住宅地」としての趣を備えている。

「田園調布」と名がつく地名は、大田区の田園調布1~5丁目・田園調布本町・田園調布南、世田谷区の玉川田園調布1~2丁目があるが、高級住宅街のイメージで語られる田園調布は、駅西側に広がる扇状の街路付近および玉川田園調布である。

駅東側や、東急東横線多摩川駅付近、東急多摩川線沼部駅が最寄の田園調布本町、田園調布南は、高級住宅地として語られる地区とは趣が異なる古い地域である。田園調布本町、田園調布南は、古くは上沼部村、下沼部村であった地域で、のち東京市大森区田園調布一丁目、二丁目であった。昭和45年の住居表示実施にあたって田園調布駅西側地区が一丁目、二丁目となるに際し、沼部駅付近の旧一丁目、二丁目一帯は、現在の「-本町」「-南」と改称された。

有名人

開発当初は中堅の勤労者向けの住宅地であったが、良好な住宅環境であったことから次第に評価が高まった。現在も長嶋茂雄石原慎太郎五木ひろし中井貴一野村克也沙知代など著名人や芸能人が多く住んでおり、政治家、芸能人、スポーツ選手以外にも、日本を代表する企業のオーナーや社長の邸宅が立ち並んでいる。1980年代には星セント・ルイスのギャグのネタ(田園調布に家が建つ)にもなった。かつては横井英樹高峰三枝子の家もあった(横井英樹邸跡は鈴木その子が購入した)。

歴史

多摩川沿いでは奈良時代頃に布を調(税としての特産物)として納めていた。よって明治時代市町村制により誕生した町村の名に「調布」をつける所が幾つかあった現在の田園調布を含む荏原郡調布村もその一つであった。その後、地名の由来を同じくする北多摩郡調布町(現在の調布市)と紛らわしいことから、調布村は、町制実施時に名称を東調布町となった。

現在の田園調布本町、田園調布南の地域は、古い文献にはは荏原郡沼部郷とみえる。江戸期には上沼部・下沼部の2村が並立したが、1889年に調布村の大字となった。

住宅地としての起源は1924年に田園都市会社が「田園都市多摩川台」として分譲を始めたことによる。目黒蒲田電鉄の調布駅が開設され、1926年に田園調布駅と改称した。その後、地名も「田園調布」となった。

大田区側を管轄する警察署や消防署も、以前は「東調布警察署」「-消防署」という名称であったが、1987年12月に警察署が、1994年11月1日に消防署がそれぞれ「田園調布-」と改称した。

会社(事業体)では東調布信用金庫があったが、統合により信用金庫が継承している(2005年現在)。

その他

  • 福島県西白河郡大信村が、町が造成した宅地に「田園調布」という名前をつけようとしたが、田園調布側からクレームがついたため、字を変えて「田園町府」とした。

著名な住人

関連項目