尚思紹王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。126.33.197.15 (会話) による 2020年11月15日 (日) 07:18個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (陸上自衛隊知念分屯地から航空自衛隊知念分屯基地のリンクに変更)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

尚思紹王
琉球国中山王
琉球国王
在位 1406年-1421年

全名 思紹
神号 君志真物
居城 佐敷城
出生 1354年
死去 1421年
埋葬 1421年
佐敷ようどれ
王世子 尚巴志王
子女 尚巴志
家名 第一尚氏
王朝 第一尚氏王統
父親 鮫川大主(伝承)
母親 大城按司の娘(伝承)
テンプレートを表示

尚 思紹王(しょう ししょうおう、1354年 - 1421年)は、琉球王国第一尚氏王統・初代国王(在位:1406年 - 1421年)。本名は思紹で、尚姓は後に送られたものである。もと山南(南山)国の佐敷按司。神号は君志真物(きみしまもの)。父は鮫川大主、母は大城按司の娘。

概要

1406年、嫡男・尚巴志は中山王・武寧を滅ぼし、永楽帝に使いを遣わして、父思紹を奉じて中山王とした。在位16年の間に明に30回の進貢をしている。また思紹の時代、永楽年間は動乱の時代でもあり、南山に勢力を伸ばし、1416年には北山を滅ぼし、琉球統一の動きをみた。

思紹夫妻らの墓所・佐敷ようどれは、航空自衛隊知念分屯基地内にある。

系譜

  • 父:不詳。『中山世譜』に遺老伝(古老の言い伝え)として、父は鮫川大主との説を紹介している。
  • 母:不詳。大城按司の娘(同じく遺老伝)
  • 妹:馬天祝女
  • 妃:不詳。美里子の娘(同じく遺老伝)
    • 長男:尚巴志
    • 次男:美里大親
    • 三男:(伝承)平田大比屋(子孫は孫氏となる)
    • 四男:与那原大親
    • 五男:(伝承)手登根大比屋(五世孫からは淑氏となる)
    • 長女:佐敷祝女

参考文献

関連項目