ヘレン・クラーク

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ヘレン・クラーク
Helen Clark
生年月日 (1950-02-26) 1950年2月26日(74歳)
出生地 ニュージーランドの旗 ニュージーランド ハミルトン
出身校 オークランド大学
所属政党 ニュージーランド労働党
称号 旭日大綬章[1]
配偶者 ピーター・ディヴィス
サイン

在任期間 2009年4月17日 -
事務総長 潘基文
アントニオ・グテーレス

ニュージーランドの旗 ニュージーランド
37代目首相
在任期間 1999年12月5日 - 2008年11月19日
国王
総督
エリザベス2世
マイケル・ハーディ・ボーイズ
シルビア・カートライト
アナンド・サティアナンド

ニュージーランドの旗 ニュージーランド労働党
12代目党首
在任期間 1993年12月1日 - 2008年11月19日
副党首 マイケル・カレン
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ヘレン・エリザベス・クラークHelen Elizabeth ClarkONZ1950年2月26日 - )は、ニュージーランドの元政治家。37代目ニュージーランド首相

経歴

1950年2月26日にオークランド郊外のワイカト郡ハミルトンに誕生する。父は農夫で母は学校教師である。オークランド大学政治学を学び修士号を取得。1973年から1981年までオークランド大学講師を務めた。この間、1971年ニュージーランド労働党に入党している。1977年に当時大学院生だったピーター・デイヴィス(社会学者、現・オークランド大学社会学部教授)と出会い5年間同棲した後、1981年に結婚した(デイヴィスとは夫婦別姓敬称はMissまたはMs[2])。デイヴィスとの間に子はいない。

1981年議会総選挙に労働党から出馬し初当選。住宅大臣兼環境保全大臣(1987年 - 1989年)、副首相兼保健大臣(1989年 - 1990年)、労働大臣を歴任し、野党・労働党党首(1993年 - 1999年)として活躍した。1999年11月の総選挙で労働党は勝利しニュージーランド国民党より政権を奪回。第37代ニュージーランド首相に就任し、3期連続して政権運営を担当した。選挙により選ばれた初の女性首相であり、ニュージーランドの女性首相としてはニュージーランド国民党のジェニー・シップリー(在任1997年 - 1999年)に継いで二人目である。

2008年11月の総選挙でニュージーランド労働党は議席を減らし、ライバルのニュージーランド国民党に政権の座を明け渡すことになった。これを受けてクラークは党首を辞任することを表明し、新党首にはフィル・ゴフが就任した。党首辞任後はニュージーランド労働党外務報道官に就任した。

2009年3月、潘基文国際連合事務総長(当時)は国際連合開発計画総裁にクラークを指名。192か国加盟の国際連合総会承認を経て、同年4月17日に国際連合開発計画(UNDP)初の女性総裁に就任。2017年4月に退任。

2010年2月にオークランド大学より名誉法学博士号の学位を授与された。

2017年11月、旭日大綬章受章。同年11月には薬物政策国際委員会メンバーに選出された。同年12月にワイカト大学名誉博士。

来日

首相就任後、2001年4月、2005年6月、2008年5月に来日している。UNDP総裁として2009年11月、2010年11月、2013年5月~6月に来日している。当時、総裁特別顧問として任命した駐日代表の弓削昭子と親交を深めた。

政治活動・政策

脚注

  1. ^ 旭日大綬章に坂本剛二氏ら=俳優の大村崑さん小綬章-秋の叙勲 時事通信 2017年11月3日
  2. ^ ニュージーランドは、伝統的には夫婦同姓が主流ではあるが、法律的に、別姓や結合性を選択することが可能である。
  3. ^ 2007年3月22日、アメリカ ワシントンD.C.で、ブッシュ大統領と首脳会談を行ったが、安全保障において、クラーク首相が「ニュージーランドはいかなる事情があっても核兵器及び原子力技術を保有しない」と述べたため、ブッシュ大統領が「ニュージーランドとアメリカとの自由貿易協定」について難色を示した。

関連項目

先代
ジェニー・シップリー
ニュージーランドの首相
1999年12月5日 - 2008年11月19日
次代
ジョン・キー
先代
マイク・ムーア
ニュージーランド労働党党首
1993年12月1日 - 2008年11月11日
次代
フィル・ゴフ