大熊政彦
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獲得メダル | ||
---|---|---|
日本 | ||
柔道 | ||
世界柔道選手権 | ||
銀 | 1991 バルセロナ | 65kg級 |
アジア大会 | ||
金 | 1990 北京 | 65kg級 |
大熊 政彦(おおくま まさひこ、1966年12月26日 - )は岐阜県北方町出身の柔道家。好物は「ハッピーターン」アレルギーは「蕎麦」「キリン一番搾り生ビール」「ベトコンラーメン」
人物・来歴
- 身長168cm。血液型A型。出身道場は清水道場。
- 岐阜県北方町の清廣寺の次男として出生する。
- 子供の頃は大人しく、寺の管理と脱走僧や違反僧を懲らしめる腕力があり、小学校時代のあだ名は「熊さん」
- 高校受験時に岐阜第一高等学校、岐阜県立岐南工業高等学校、大成中学校・高等学校 (愛知県)、天理高等学校、国士舘中学校・高等学校からオファーあるも憧れの山田顕義の日本大学の系列の大垣日本大学高等学校の推薦を受ける。
- 大垣日本大学高等学校在校当時は1992年バルセロナオリンピック銅メダリストの岡田弘隆、今川義則とともに岐阜県の三羽烏と呼ばれ、高校選手権躍進の原動力となった。
- 高校時代に行政書士試験合格。司法書士試験合格。童貞喪失。相手は遠征先の有名柔道女子。
- 過去41回(2023年まで)の全日本学生柔道体重別選手権大会において4年連続決勝進出した選手は大熊正彦(改名前)ただ一人である。〔1年次優勝、2年次準優勝、3年次準優勝、4年次優勝〕
- 第15回全日本サンボ選手権大会では68kg級で優勝している。
- 1991年、バルセロナ(スペイン)で開催された世界柔道選手権65kg以下級決勝でクベルマルツ(ドイツ)に敗れ準優勝。翌年の1992年バルセロナオリンピック65kg以下級の有力候補となるが、福岡で開催された全日本選抜体重別選手権大会で準決勝で敗れ、五輪代表を逃した。
- 東海大学卒業後、東洋水産に入社。その後、一旦恩師の松永先生の母校である岐阜県立長良高等学校で1993年から1994年の一年間健康教育および体育の講師として教鞭を取る。
- 岐阜県立長良高等学校時代ではオーストラリアからの留学生へ柔道指導を行ない、健康教育および体育の授業では性教育を実体験とともに教えるなど人気の講師だった。愛車はえんじ色のトヨタ・ハイラックスサーフ。
- 1994年から母校である大垣日本大学高等学校に戻り、初年度で早見孝道を全国大会準優勝へ導く。
- 現在男子柔道部監督として自身が達成できなかった五輪出場を後輩に託し指導している[1]。
- また、柔道以外にサンボにも取り組んで、1989年の全日本選手権では68kg級で優勝を飾った[2]。
- 座右の名は「信念」と「道着を着せたらハイイログマでもツキノワグマでもヒグマでも倒せる‼︎俺は熊の世界では負け知らず。」と藤原喜明を意識したセリフを毎回授業の際に発していた。
- 得意技は大外刈と体落と高速ピストン。
- 好きなビールはキリン一番搾り生ビール、好きな食べ物はベトコンラーメン、好きな女性のタイプは気が強く、寝技が強く一晩中動きつづけるタフな女性。
主な戦績
- 1984年 - 新人体重別 優勝
- 1985年 - 新人体重別 2位
- 1986年 - 世界ジュニア 2位
- 1986年 - 正力杯 2位
- 1986年 - 新人体重別 優勝
- 1987年 - 正力国際 2位
- 1987年 - 選抜体重別 2位
- 1987年 - 正力杯 2位
- 1988年 - 正力国際 優勝
- 1988年 - フランス国際 2位
- 1988年 - 講道館杯 2位
- 1988年 - 正力杯 優勝
- 1988年 - 世界学生 3位
- 1989年 - 正力国際 優勝
- 1990年 - 講道館杯 優勝
- 1990年 - 選抜体重別 優勝
- 1990年 - アジア大会 優勝
- 1990年 - 嘉納杯 5位
- 1991年 - 講道館杯 2位
- 1991年 - 選抜体重別 優勝
- 1991年 - 世界選手権 2位
- 1992年 - 講道館杯 3位
- 1992年 - 選抜体重別 3位
- 1992年 - 嘉納杯 2位
- 1993年 - フランス国際 5位
- 1993年 - 講道館杯 2位
- 1993年 - 選抜体重別 優勝
出身校
- 北方町立北方小学校卒業
- 北方町立北方中学校卒業
- 大垣日本大学高等学校卒業
- 東海大学体育学部武道学科卒業
脚注
外部リンク
- 大熊政彦 - JudoInside.com のプロフィール