燁司大
燁司 大(ようつかさ だい、本名:鈴木 大司(すずき だいし)、1973年9月25日 - )は、三重県松阪市出身で入間川部屋所属の元大相撲力士である。現役時の体格は身長178cm、体重153kg、最高位は東前頭11枚目(2004年1月場所)。得意手は突き、押し。血液型はB型。趣味は音楽を聞く事等。
来歴
小学校4年生から相撲を始め、日本大学では全国大会に出場するなど活躍した。入間川部屋に入門し、1996年1月場所に幕下付出で初土俵を踏んだ。同期には栃乃洋、海鵬、柳川らがいる。時間は掛かったものの着実に番付を上げて行き、1998年5月場所に十両に昇進するとともに、四股名を本名の鈴木から燁司に改めた。この燁司という四股名は、「火の出る様な相撲で華となれ」との願いを込めて入間川親方(元関脇・栃司)が名付けた。
突き押しが得意で1999年5月場所には新入幕を果たしたが、立合いが遅く幕内には定着することができなかった。一時は怪我や糖尿病に悩まされ幕下まで陥落したが、復活して2003年5月場所には再入幕を果たし、2004年1月場所には自己最高位の東前頭11枚目まで番付を上げた。しかし、2004年3月場所を最後に幕内から遠ざかると、肩の怪我もあり十両下位に低迷した。
2005年9月場所は西十両13枚目で勝ち越しまであと1勝(これが現役最後の白星となった)となってから膝を痛め、3連敗で負け越し。翌2005年11月場所は遂に東十両14枚目まで番付を下げ、初日から14連敗で幕下陥落が決定的になり、千秋楽には幕下で7戦全敗の玉光国との取組が組まれたが同日に引退届を提出し、約9年の力士生活に幕を閉じた。取組は不戦敗となり、十両では2000年7月場所の星誕期以来(ただし星誕期は15日皆勤)となる15戦全敗を記録した(前の場所から合わせると18連敗)。
引退後は準年寄・燁司を襲名し、入間川部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる。現役最後の対戦相手は14日目、日大同期の海鵬となった。また、思い出に残る取組として、1999年3月場所に水戸泉に勝って新入幕を確実にした一番を挙げた。2006年4月15日には両国国技館大広間で断髪式を行った。そして2006年9月には、先代二十山親方(元大関・北天佑)の死去に伴い、年寄・二十山を襲名し、2008年1月場所に栃乃花の引退・二十山襲名に伴い若藤を襲名、さらに同年9月場所後に関ノ戸を襲名、2009年7月場所の出島の引退・大鳴戸襲名および14代大鳴戸(元前頭・武雄山)の関ノ戸襲名に伴い小野川を襲名、2010年3月に北桜の引退・小野川襲名に伴い千田川を襲名、2011年4月6日に大相撲八百長問題を受けて退職した22代竹縄(元前頭・春日錦)に代わって竹縄を襲名した。2012年1月22日年寄名跡所有者の栃乃洋泰一が引退し竹縄を襲名したため、同日付で相撲協会を退職した。
「燁」は機種依存文字(JIS X 0212・JIS X 0213に収録)であり、代替できる漢字もないためインターネット上の記事では平仮名や記号等に置き換えられていたが、同時期の日本プロ野球に同じ「燁」の文字を使用する李承燁(イ・スンヨプ)が在籍していたことから、「ヨプ司」と誤記されたことがある[1][2]。
入門当初、本人は本名に因んだ「大司」(だいし・おおつかさ)という四股名を名乗ることを希望していたが、当時関取に同音の大至(だいし)が居た他、同部屋の皇司(おうつかさ)と混同を避けるため、泣く泣く断念したというが、やくみつるも十両昇進と同時に改名すると同様に「本名が大司だからそのまま「オオツカサ」にすればいいのに」と言ったネタを当時、「VANVAN相撲界」で連載中だったおチャンコクラブのネタとして書いている。
生涯成績
- 通算成績:357勝379敗12休 勝率.485
- 幕内成績:49勝59敗12休 勝率.454
- 現役在位:60場所
- 幕内在位:8場所
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1996年 (平成8年) |
幕下付出60枚目 6–1 |
東幕下31枚目 3–4 |
東幕下42枚目 4–3 |
西幕下32枚目 4–3 |
西幕下21枚目 4–3 |
西幕下13枚目 1–6 |
1997年 (平成9年) |
西幕下38枚目 3–4 |
西幕下48枚目 6–1 |
東幕下22枚目 6–1 |
西幕下8枚目 5–2 |
東幕下4枚目 4–3 |
東幕下2枚目 3–4 |
1998年 (平成10年) |
東幕下6枚目 4–3 |
東幕下5枚目 6–1 |
西十両12枚目 9–6 |
西十両8枚目 7–8 |
東十両11枚目 9–6 |
西十両7枚目 7–8 |
1999年 (平成11年) |
西十両9枚目 9–6 |
西十両筆頭 8–7 |
東前頭15枚目 9–6 |
東前頭12枚目 7–8 |
西前頭13枚目 0–3–12[3] |
東十両7枚目 9–6 |
2000年 (平成12年) |
西十両2枚目 3–12 |
西十両10枚目 8–7 |
東十両6枚目 8–7 |
東十両5枚目 6–9 |
西十両7枚目 5–10 |
西十両11枚目 9–6 |
2001年 (平成13年) |
東十両5枚目 7–8 |
西十両5枚目 6–9 |
西十両7枚目 8–7 |
西十両4枚目 6–9 |
西十両7枚目 6–9 |
東十両11枚目 3–12 |
2002年 (平成14年) |
東幕下8枚目 3–4 |
東幕下14枚目 4–3 |
東幕下12枚目 4–3 |
東幕下8枚目 5–2 |
西幕下2枚目 5–2 |
西十両10枚目 9–6 |
2003年 (平成15年) |
東十両7枚目 10–5 |
西十両筆頭 9–6 |
東前頭13枚目 6–9 |
東十両筆頭 8–7 |
西前頭13枚目 7–8 |
西前頭15枚目 9–6 |
2004年 (平成16年) |
東前頭11枚目 5–10 |
東前頭17枚目 6–9 |
東十両3枚目 6–9 |
東十両5枚目 7–8 |
西十両6枚目 8–7 |
西十両5枚目 4–11 |
2005年 (平成17年) |
西十両9枚目 6–9 |
西十両12枚目 8–7 |
東十両10枚目 7–8 |
西十両11枚目 6–9 |
西十両13枚目 7–8 |
東十両14枚目 引退 0–15–0 |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
- 鈴木 大司(すずき だいし)1996年1月場所-1998年3月場所
- 燁司 大(ようつかさ だい)1998年5月場所-2005年11月場所
年寄変遷
- 燁司 大司(ようつかさ だいし)2005年11月27日-2006年9月【準年寄】
- 二十山 大司(はたちやま -)2006年9月28日-2008年1月24日(栃乃花から借用)
- 若藤 大司(わかふじ -)2008年1月24日-9月29日(皇司から借用)
- 関ノ戸 大司(せきのと -)2008年9月29日-2009年7月23日(岩木山から借用)
- 小野川 大司(おのがわ -)2009年7月23日-2010年3月9日(北の湖から借用)
- 千田川 大司(せんだがわ -)2010年3月9日-2011年4月6日(元前の山から借用)
- 竹縄 大司(たけなわ -)2011年4月6日-2012年1月22日(栃乃洋から借用)
脚注
- ^ スポーツ報知 2005年11月30日
- ^ 小野川親方が年寄「千田川」に名跡変更 スポニチアネックス 2010年3月9日
- ^ 左鼡径部蜂窩織炎により3日目から途中休場
関連項目
外部リンク
- よう司 大 - 日本相撲協会