フェデックス14便着陸失敗事故
着陸に失敗した事故機 | |
事故の概要 | |
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日付 | 1997年7月31日 |
概要 | パイロットエラー |
現場 |
アメリカ合衆国・ニューアーク国際空港 北緯40度41分14秒 西経74度10分27秒 / 北緯40.6872度 西経74.1742度座標: 北緯40度41分14秒 西経74度10分27秒 / 北緯40.6872度 西経74.1742度 |
乗客数 | 3 |
乗員数 | 2 |
負傷者数 | 5 |
死者数 | 0 |
生存者数 | 5(全員) |
機種 | マクドネル・ダグラスMD-11F |
機体名 | Joshua |
運用者 | フェデックス・エクスプレス |
機体記号 | N611FE |
出発地 | チャンギ国際空港 |
第1経由地 | クアラルンプール国際空港 |
第2経由地 | 中正国際空港 |
最終経由地 | アンカレッジ国際空港 |
目的地 | ニューアーク国際空港 |
フェデックス・エクスプレス14便着陸失敗事故(フェデックス・エクスプレス14びんちゃくりくしっぱいじこ)とは、アメリカ合衆国で発生した航空事故である。
ニューアーク・リバティー国際空港への着陸に失敗した14便は逆さまに反転したことで出火し、搭乗していた乗員乗客5名全員が負傷した[1]。
機体と乗員
FedExによりJoshuaと名付けられた機体は、建造番号48603、ライン番号553のマクドネル・ダグラス MD-11Fであり、3発のゼネラル・エレクトリック CF6-80C2D1Fエンジンを搭載していた。機体記号はアメリカ合衆国にてN611FEとして登録され、1993年にFedExに引き渡された。墜落前の機体の飛行時間は13,034時間、(離着陸で定義される)飛行回数は2,950回であり、以前に2件のインシデントを含んでいた。1994年1月のメンフィス国際空港では、バウンドした着陸をした際に機体底部に損傷を受け、同年11月にはテッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港にて尻もち事故に遭った。その事故の近日中にアンカレッジにて修理が施され、メンフィスの損傷は1995年4月のC整備にて修理された[2]。
46歳の機長は1988年にFedExに入社し、以前の勤務先であったフライング・タイガー・ラインから引き抜かれた。彼の総飛行時間は11,000時間であり、うち1,253時間はMD-11型機のものであった。39歳の副操縦士は1994年に入社し、以前はアメリカ空軍のパイロットとして3,703時間の飛行経験を有していたが、FedExでの飛行は592時間、MD-11型機の飛行はわずか92時間であった[2]:11–12[3][4][5]。
経緯
1997年7月31日、FedEx14便は東南アジアのシンガポールからマレーシアのクアラルンプールと台湾を経由し、アラスカのアンカレッジからニュージャージー州ニューアークに向かっていた。アンカレッジからの運航は機長と副操縦士のほかに、操縦室の補助座席に別の航空会社のパイロット1人とFedExの職員2人が搭乗していた。14便として運航されていた事故機の機体は1993年に就航した最新鋭機であった。
飛行中のパイロットらは着陸後の停止距離が小さいことを懸念しており、機長は滑走路に機体を早く降ろしたいと述べていた。機体は左エンジンの逆推力装置が作動しない状態で出発し、パイロットらは着陸時に自動ブレーキが作動しなかったことを機体の整備記録で知っていた。彼らはまた、滑走路データを誤解していたために、実際に利用可能なものよりも停止距離が短いと考えていた[2][6]。
フレア操作の開始まで着陸は正常であった。機体は着地してから飛び跳ね、右へ転回した。約1,100フィート後の2度目の着地では、右後輪が折れて右エンジンが滑走路と接触し、右の主桁が破壊されるまで右に回り続けた。機体は滑走路の右側で仰向けになって停止し、炎上した。搭乗者5名全員はコックピットの窓から脱出し、機体は炎で破壊された[7][6]。
事故調査
国家運輸安全委員会(NTSB)が完全な事故調査を実施し、有力な事故原因は機長の着陸時における機体の過剰制御と、不安定なフレア操作後の着陸復行の失敗であったと結論づけた。滑走路上空約17フィートから、おそらく機長はより早く着地するために機首を下げ、次に機体の降下を遅らせるため機首と推力を上げ、そして(最初の着地の際に)滑走路に機体を留めようとするため、再度機首を下げた。こうした最後の制御入力は、着陸を安定させるためには「遅すぎて大きすぎ」であり、2回目の着地にて、機体の高い降下率と右方向への横揺れが右後輪の支柱を圧縮し、右翼の後部主桁を破壊して右側の燃料タンクを破裂させた[2][7][6]。
安全勧告
事故の結果として、NTSBはMD-11型機の運用の安全性を向上させるために調査結果と結論に基づき、FAAが「設計降下率の制限やロール角制限、制御入力のロール速度、ピッチ角、片輪着陸、揚力低下の影響、着陸装置の支柱や車輪底部の構造的荷重の影響といった、着陸装置、主翼、胴体を含む構造的不具合に寄与しうる諸要因についての情報を含める」ために、新たなパイロット訓練装置を開発することや、フレア操作への安定したアプローチの実行、不安定な着陸フレアの識別、およびフレアから着陸までの間の適切な高い降下率の回復技術、着地前のピッチにおけるオーバーコントロールの回避と回復技術、跳ねた着陸時のオーバーコントロールと尚早な減捻の回避のための技術を含む、これらの状況からの回復に関するシミュレーター訓練のためのシラバスを提供し、先を見越した着陸復行への適応指導を促すことなどを含む新しい勧告を出した[2][7][6]。
その後
この事故により、機長は2000年10月30日にFedExを解雇されたが、同社のパイロット組合はその決定を非難し、事故は機体の構造的欠陥により引き起こされたと言及し告訴することを発表した[8]。
映像化
- メーデー!:航空機事故の真実と真相 第12シーズン第5話「Death at Narita」
脚注
- ^ Ranter, Harro. “ASN Aircraft accident McDonnell Douglas MD-11F N611FE Newark International Airport, NJ (EWR)”. aviation-safety.net. Aviation Safety Network. 2020年5月19日閲覧。
- ^ a b c d e Crash During Landing, Federal Express, Inc. McDonnell Douglas MD-11, N611FE, Newark International Airport, Newark, New Jersey, July 31, 1997. National Transportation Safety Board. (2000-07-25). NTSB/AAR-00/02 2017年12月27日閲覧。
- ^ “Operations 2 - Group Chairman Factual Report”. National Transportation Safety Board (1997年11月21日). 2020年5月19日閲覧。
- ^ “NTSB DISCUSSES 1997 FEDEX CRASH AT NEWARK”. www.joc.com. Associated Press (2000年7月25日). 2020年5月19日閲覧。
- ^ “PILOT SAW HARD LANDING BEFORE NEWARK CRASH A 1997 FEDEX FLIGHT WENT FROM ROUTINE TO LIFE-THREATENING IN A MATTER OF MINUTES.”. Greensboro News and Record. Associated Press (Washington). (1998年12月2日) 2020年5月19日閲覧。
- ^ a b c d “Destabilized Approach Results in MD-11 Bounced Landing, Structural Failure”. Accident Prevention (Alexandria, VA: Flight Safety Foundation.) 58 (1): 1–8. (January 2001) .
- ^ a b c Dismukes, Key; Berman, Benjamin A.; Loukopoulos, Loukia D. (2007-01-01). The Limits of Expertise: Rethinking Pilot Error and the Causes of Airline Accidents. Hampshire, UK: Ashgate Publishing, Ltd.. pp. 85–94. ISBN 978-0-7546-4965-6
- ^ “TMF: Union Contests Firing of FedEx MD-11 Pilot/Fedex Corp.”. boards.fool.com. Knight Ridder/Tribune Business News (2000年11月9日). 2020年5月19日閲覧。