フライング・タイガー・ライン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
フライング・タイガー・ライン
IATA
FT*
ICAO
FTL*
コールサイン
TIGER*
設立 1945年
運航開始 1945年
運航停止 1989年 (フェデックスと合併)
本拠地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ロサンゼルス国際空港
テンプレートを表示
フライングタイガーで運航されていたボーイング747F貨物機(1981年撮影)

フライング・タイガー・ライン(Flying Tiger Line)とは、かつて運航を行っていた、アメリカ合衆国籍の貨物専門航空会社である。

日中戦争(支那事変)においてアメリカの「義勇軍」AVG: American Volunteer Groupとして自主参戦し、その後の第二次世界大戦中国ビルマ戦線にも参戦したことで有名な「フライング・タイガース」の元構成員が中心となり創業したことでも有名であり、かつては日本への定期貨物路線を持つだけでなく、在日アメリカ軍向けの軍需物資輸送のために在日米軍基地(横田、嘉手納等)にも飛来していた。また日本ではフライング・タイガー航空フラタイとも呼ばれていた。

概略[編集]

DC-4F(1955年)
DC-8-63F

第二次世界大戦終結後の1945年、元フライング・タイガースの搭乗員10人などによって、アメリカでは初めての貨物専門航空会社である前身のナショナル・スカイウェイ・フレイト(National Skyway Freight)が設立された。当初の機材は大戦終結によって余剰となった海軍払下げの輸送機C-93を用いていた。翌年にはかつての部隊名にあやかった「フライング・タイガー」という社名に変更された。

同社は1949年にアメリカ国内の貨物航空路運航を認可され、1950年代にはダグラス DC-4DC-6といったレシプロ貨物機により大西洋貨物路線を運航していた。また1950年に始まった朝鮮戦争では、アメリカ本国から兵站拠点となった日本や朝鮮半島にアメリカ及び国連軍の為の貨物チャーター便を多数運航していた。その後も民間貨物輸送のほか、世界各国に展開するアメリカ軍向けの貨物輸送便(MACチャーター便)を多数運航していた。

1961年にはカナディアCL-44輸送機を導入し、パレットローディング方式を活用するようになった。1965年には初のジェット輸送機となるボーイング707貨物専用機を導入し、1974年にはボーイング747貨物専用機を導入し、路線網を拡大するとともにその輸送力を増強した。なお1960年代後半-70年代前半にかけてヴェトナム戦争関連のMACチャーター便が多数運航された。

ボーイング747-273CF

1980年には米国第2位の貨物エアラインシーボード・ワールド航空(Seaboard World Airlines/SEW)を買収し、貨物専用機運航機数世界第一位の貨物エアラインに規模を拡大した。1980年代中頃には、フライングタイガーは世界の6つの大陸に貨物航空路を広げており、国際的にも多くの航空貨物を取り扱う航空会社のひとつであった。日本には成田国際空港大阪国際空港などにもボーイング747やダグラスDC-8貨物専用機を使用した貨物便を多数運航し、特に新東京国際空港(成田)には東アジア地域の拠点空港として多くの定期貨物便を運航していた。

ボーイング社により割り当てられた顧客番号(カスタマコード)は49であり、新造機に対してはボーイング747-249Fといった記号が付けられた。なお登録記号はN***FTが多く用いられた。同社の貨物専用機は機体表面にカラーペイントによる化粧塗装を行わず、保護剤のみを塗布するポリッシュド・スキン、ベアメタルと呼ばれる機体軽量化策が施されていた。これらは、アメリカン航空イースタン航空ノースウエスト航空といった旅客機や、日本航空大韓航空の貨物機でも存在していた。

フェデックスと合併後のボーイング727(塗装はそのままだが機体記号はフェデックスのものに変更されている)

1980年代後半に入ると、米国経済停滞による貨物需要の減少・スペース供給量過剰、航空規制緩和政策による市場競争の激化等により、業績が悪化した。1988年12月にフライングタイガーは宅配便サービス大手のフェデラルエクスプレスに買収されることが発表され、1989年8月7日に統合され「フライングタイガー」の名称は消滅した。

後に、元従業員らによりポーラーエアカーゴが設立された。同社は買収や合併を経て、現在はアトラスエア(ATLAS AIR)およびDHLの合弁会社として運航を行っている。同社の機体尾翼に描かれる「サークルP」デザインはかつてのフライングタイガーの「サークルT」デザインを踏襲したものとなっている。なおアトラスエアは米国籍会社のうちボーイング747-8Fを唯一運航しており、かつてのフライングタイガーの地位を継承する存在となっている。

フリート(合併時)[編集]

ボーイング製航空機の顧客番号(カスタマーコード)は49だった。

ボーイング747-121A-SF
ボーイング727-100
ダグラスDC-8-73F
導入早々に輸送力過剰(期待外れ)[1]を理由に手放したアメリカン航空、デルタ航空[2]コンチネンタル航空[3]から加わったフリートで、世界の747ではいち早くBCF(ボーイング・コンバーチブル・フレーター)へ改造されたグループである。また、パンナムから加わった-121SF型はすでにPA時代で改造されたものでありパンナム・カーゴ部門消滅の理由で導入された。
1980年に自社発注機(新造機)を導入した-249Fとシーボード編入機、カーゴルックス航空購入機があった。シーボード編入機(747-245Fという型式)では、合併直後に塗装変更をせずに太平洋横断を横断し成田率いる極東アジア路線を乗り入れた。シーボード時代では大西洋を横断し、欧州・中東を展開したため太平洋路線が存在しなかったため。これらは全て1989年のフェデラル・エクスプレス社へ編入されていった。編入後はレジを変えつつも1機(初代N631FE:現在このレジはMD‐11が引き継いでいる)のみを除いて旧フライングタイガーのハイブリッドカラーのままで飛ばしていたがこれらは当時完全新造機として導入を進めていたボーイングMD‐11フレイターへの切り替えを目論んでいたことで、他機材が塗装変更を進めている中で747放出を決定したことの売却前提のための措置であった。
全て全旅客型からの転用改造機で、当然アドバンス型ではなかった。

脚注[編集]

  1. ^ 当初パンアメリカン航空が発注したことを受けてアメリカの航空会社は挙って747を発注して納入。実際の集客状況はパンナムとノースウエスト、そしてユナイテッド航空以外の航空会社では芳しくなく特にデルタ航空は路線がアトランタからダラス経由ロサンゼルスと限られたため本領発揮にはほど遠い存在だった。このため、大量輸送よりも集客・燃料効率を重視としたことによりアメリカン航空はDC-10へ。デルタ航空はL-1011へ変更した。
  2. ^ 自社発注機は手放したものの、2010年ノースウエスト航空合併後で747-400を編入した上でデルタ航空の747として再登場した。
  3. ^ コンチネンタル航空はその後、低価格運航会社「ピープル・エクスプレス」を買収・合併した上で運航していた747-100/200Bを復活した。

関連項目[編集]

航空事故[編集]

外部リンク[編集]