得能佳吉
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得能 佳吉(とくのう かきち、1884年(明治17年)4月[1] - 1964年(昭和39年)6月19日[2])は、日本の内務官僚、実業家。官選岩手県知事。
経歴
富山県出身。得能通孝の六男として生まれる[3]。第四高等学校を卒業。1909年、東京帝国大学法科大学を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し警視庁警部となる[1][4]。
以後、岡山県試補、警視庁警視、山形県警察部長、滋賀県警察部長、台湾総督府警視兼同府警察官及び司獄官練習所長、拓殖局書記官、内務書記官、北海道庁書記官・内務部長などを歴任[3]。
1925年9月、岩手県知事に就任。公平無私な県政運営を行う。和賀妻堰・中央耕地の整備、公会堂建築、農学校移転などに尽力。1928年1月10日、農学校の敷地問題で知事を休職となる[1][5]。同年1月31日に退官した[4][6]。
その後は実業界に転じ、臨港倉庫 (株) 代表取締役、横浜桟橋倉庫 (株) 専務取締役を務めた[3]。その他に東京植民貿易語学校校長、東京保善商業学校校長、東京保善工業学校校長も務めた[7]。
脚注
参考文献
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 人事興信所編『人事興信録』第11版 下、1937年。
- 統計資料協会編『文化事績録 B巻』統計資料協会、1934年。
その他の役職 | ||
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先代 浜野虎吉 |
東京植民貿易語学校長 東京保善商業学校長 東京保善工業学校長 1929年 - 1933年 |
次代 赤司鷹一郎 |