高見澤考史
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基本情報 | |
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国籍 |
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出身地 | 群馬県前橋市 |
生年月日 | 1975年4月30日(43歳) |
身長 体重 |
180 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2000年 ドラフト6位 |
初出場 | 2001年6月3日 |
最終出場 | 2002年10月13日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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高見澤 考史(たかみざわ こうじ、1975年4月30日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手(外野手)。
来歴・人物[編集]
プロ入り前[編集]
前橋工では2年の夏から一塁手のレギュラーを獲得し、3年次には主将を務めて春の群馬県大会で優勝したが、夏は桐生第一高等学校に敗れた。
卒業後は東京ガスに入社。2000年にドラフト6位でオリックス・ブルーウェーブに指名されて入団。この時期にオリックスが行っていた契約金ゼロ選手の一人だったため、「金より夢を選んだ男」として話題になった。
プロ入り後[編集]
50m6秒1の俊足で、2001年からメジャー入りしたイチローの穴を埋める選手として期待され、1年目から一軍出場を果たす。
2年目の2002年には62試合に出場し、プロ入り初ヒットを西武の松坂大輔から本塁打で記録。クリーンナップを任される試合もあるなどレギュラーを掴みかける。この年に一軍登録日数が60日に到達したため2000万円の出来高が支払われている。
しかし、2003年は故障に苦しみ一軍出場が無く、自由契約になった。故障でこの年の12球団合同トライアウトには参加できなかったが、翌年のトライアウトを目標に古巣の東京ガス野球部に練習生として参加。しかし腰痛に悩まされ、「手術すれば野球はできなくなる」という医師の言葉を受け現役続行を断念。
引退後[編集]
2004年12月よりさいたま市岩槻区のバッティングセンター、アーデルバッティングドームの店長を務め、2008年には経営権を買い取り代表取締役に就任している[1]。オリックス時代の同僚の福留宏紀など元プロ野球選手をスタッフに迎え、野球塾と言う形で小中学生を中心に指導を行っている。
詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2001 | オリックス | 6 | 7 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2002 | 62 | 171 | 154 | 20 | 43 | 8 | 1 | 4 | 65 | 26 | 1 | 1 | 3 | 1 | 11 | 0 | 2 | 44 | 2 | .279 | .333 | .422 | .755 | |
通算:2年 | 68 | 178 | 160 | 20 | 43 | 8 | 1 | 4 | 65 | 26 | 1 | 1 | 4 | 1 | 11 | 0 | 2 | 46 | 2 | .269 | .322 | .406 | .728 |
記録[編集]
- 初出場・初先発出場:2001年6月3日、対日本ハムファイターズ15回戦(グリーンスタジアム神戸)、2番・中堅手として先発出場
- 初安打・初本塁打・初打点:2002年4月19日、対西武ライオンズ4回戦(鹿児島県立鴨池野球場)、8回裏に松坂大輔からソロ
背番号[編集]
- 58 (2001年 - 2002年)
- 44 (2003年)
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ^ “野球塾&バッティングセンターのアーデルバッティングドーム > スタッフ紹介ページ”. ADEL Batting Dome Corporation. 2012年4月15日閲覧。
外部リンク[編集]
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