韮山反射炉

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韮山反射炉
鉄フレームは1957年(昭和32年)の保存工事で追加されたもの。左端の四角の穴より燃料を投入し、その右の馬蹄型の穴より粗鋼を投入する。

韮山反射炉(にらやまはんしゃろ、:Nirayama Reverberatory Furnaces)は、静岡県伊豆の国市にある反射炉跡である[1]。築造当時の形で現存する反射炉であり、1922年大正11年)国の史跡に指定されている[2]

概要[編集]

韮山反射炉は、伊豆の国市中字鳴滝入に現存している反射炉の遺跡。日本に現存する近世の反射炉は、この韮山反射炉と萩反射炉山口県萩市)のみであるため貴重な遺構とされる[3]。1922年(大正11年)3月8日に敷地も含めて国の史跡に指定された[4]。また、2007年平成19年)、経済産業省により、近代化産業遺産に認定されている。さらに2009年には、萩反射炉などと共に九州・山口の近代化産業遺産群の構成資産としてユネスコ世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載され[5]、2015年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として正式登録された[6]

歴史[編集]

1840年天保11年)のアヘン戦争に危機感を覚えた韮山代官江川英龍は海防政策の一つとして、鉄砲鋳造するために必要な反射炉の建設を建議した。韮山反射炉は、1853年嘉永6年)の黒船来航を受けて、江戸幕府直営の反射炉として築造が決定された。

1853年、伊豆下田にて築造開始。翌1854年安政元年)、下田に入港したアメリカ合衆国マシュー・ペリー艦隊の水兵が敷地内に侵入したため、築造場所が田方郡中村字鳴滝に変更された。そのため建造当時は中村反射炉と称されている。韮山反射炉と称されるようになったのは明治以降である。1855年(安政2年)、江川英龍が死去すると、跡を継いだ息子の江川英敏が築造を進め、1857年(安政4年)に完成した。

江川英敏は、韮山反射炉を築造するにあたって、1857年、築造途中だった北炉完成のために、佐賀藩築地反射炉・多布施反射炉の築造に携わった技師田代孫三郎杉谷雍助以下11名を招き、技術協力を得た。

1857年から1864年まで、反射炉本体での鋳造が行われる。

1864年に閉鎖されたのち、1868年に幕府直営から江川家私営となる。 以降風化が進むが明治41年、韮山村有志が反射炉敷地を買い、陸軍省に献納したことにより、陸軍省所管となった反射炉は再工事され、翌年に落成、 以降韮山反射炉保勝会が維持・管理を行うこととなった[7]

特徴[編集]

韮山反射炉は、連双2基4炉を備える反射炉であり、大砲を自力製造したことが特徴である[8][9]

反射炉の設計は、ヒュゲェニン(Ulrich Huguenin)著『ロイク王立製鉄大砲鋳造所における鋳造法(Het Gietwezen in's Rijks Ijzer - geschutgieterij te Luik)』という蘭書が参考と推測される[10]

炉体は、外側が伊豆の特産品である伊豆石(緑色凝灰岩質石材)の組積造、内部が耐火煉瓦(伊豆天城山産出の土で焼かれた)のアーチ積となっている[11]。煙突も耐火煉瓦の組積で、その高さは約15.7メートル[12]。築造当時、暴風対策のために煙突部分の表面は漆喰で仕上げられていた[13]


韮山反射炉では、鋳鉄製と青銅製の大砲を製造した。種々の調査が行われているが、製造内容は確定していない。鋳鉄製18ポンド砲4門を製造、内2門が試打(試射)、銅製は5門以上製造との論文がある。

韮山反射炉に関連する大砲は次のとおり。

  • 18ポンドカノン砲 鋳鉄製。韮山反射炉で鋳造され、反射炉付属の錐台小屋で砲身の内部をくり抜いた。1番から4番まで4門製造された模様。
  • 24ポンドカノン砲 青銅製。1門製造された模様。なお、2015年現在、現地で展示されている24ポンドカノン砲は、銑鉄製で株式会社木村鋳造所が1998年にレプリカとして製造したもの。
  • 80ポンドカノン砲 青銅製。4門製造された模様。
  • 20ドイム臼砲 青銅製。2015年現在、現地で展示されている。韮山反射炉で製造されたものと言われている。
  • 29ドイム臼砲 青銅製。2015年現在、現地で展示されている。韮山反射炉の築造に先立ち、江川邸で作られた縮小サイズ反射炉で試作されたものと言われている。

なお、ドイム(拇)は、オランダの長さの単位で、2.57393636センチメートルに相当するが、幕末の日本では1ドイム=1センチメートルと定義されている。

所在地[編集]

韮山反射炉ガイダンスセンター

〒410-2113 静岡県伊豆の国市中字鳴滝入268

アクセス

脚注[編集]

  1. ^ 「史跡韮山反射炉保存修理事業報告書」韮山町教育委員会、1989年
  2. ^ 「江川家の至宝」橋本敬之、2015年、ISBN=978-4088850-022-7
  3. ^ 静岡県伊豆の国市 「史跡韮山反射炉 保存修理事業報告書」 平成元年3月 p.4
  4. ^ 静岡県伊豆の国市 「史跡韮山反射炉 保存管理計画」 平成26年9月 p.1
  5. ^ 公益財団法人 静岡文化財団 「幕末の産業革命 韮山反射炉 ~ 伊豆韮山代官 江川太郎左衛門の挑戦 ~」 2015年1月15日 p.165 978-4-905300-16-8
  6. ^ 静岡新聞朝刊 2015年7月6日 1ページ
  7. ^ 「韮山町史 第11巻」韮山町史編纂委員会、1996年、pp566-578
  8. ^ 「韮山町史 第11巻」韮山町史編纂委員会、1996年、pp.566-577
  9. ^ 「史跡韮山反射炉保存修理事業報告書」韮山町教育委員会、1989年、pp.12-25
  10. ^ 「史跡韮山反射炉保存修理事業報告書」韮山町教育委員会、1989年、pp.16-17
  11. ^ 「史跡韮山反射炉保存修理事業報告書」韮山町教育委員会、1989年、p.122
  12. ^ 「史跡韮山反射炉保存修理事業報告書」韮山町教育委員会、1989年、pp.133-142
  13. ^ 「史跡韮山反射炉保存修理事業報告書」韮山町教育委員会、1989年、p139

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度2分21.7秒 東経138度57分43.3秒 / 北緯35.039361度 東経138.962028度 / 35.039361; 138.962028