野崎孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

野崎 孝(のざき たかし、1917年大正6年〉11月8日[1] - 1995年平成7年〉5月12日[1])は、日本のアメリカ文学者、翻訳家

ライ麦畑でつかまえて』など一連のサリンジャー作品のほか、フィッツジェラルドヘミングウェイスタインベックなどの翻訳で知られる。

略歴[編集]

パン屋の長男として青森県弘前市に生まれる[1]。1929年、旧制弘前中学校(青森県立弘前高等学校の前身)に入学[1]、4年間を首席を通し[1]、語学の天才と讃えられる[1]。4年修了で旧制弘前高等学校弘前大学の前身)に入学[1]。1937年、東京帝国大学文学部イギリス人文学科に進み[1]中野好夫に師事[1]。卒業後は東京の商業学校などで教鞭を執る[1]第二次世界大戦で出征、中国大陸で転戦する。復員後は母校の弘前高等学校教授[1]を経て、1949年から1950年まで新制の弘前大学助教授[1]。上京後、1951年中央大学文学部教授、1970年旧・東京都立大学教授、定年後は帝京大学教授を務めた。

サリンジャーの訳者として[編集]

ライ麦畑でつかまえて』(J.D.Salinger The Catcher in the Rye )初刊は1964年に白水社から上梓。なお初訳の訳題は、1952年に橋本福夫訳で、"J・D・サリンガー"『危険な年齢』(ダヴィッド社)だった。野崎は当時の深夜放送からヒントを得て、若い世代の語法と感覚に迫った訳出を行い、当時の読書界に反響を起こした[1]。主人公ホールデン・コールフィールド少年が一方的に語る話し方は、50年代のアメリカのティーンエイジャーの口調を的確に捕らえたものと激賞されたが、野崎自身はその和訳は至難の業だったと述懐している[2]

2003年に村上春樹の新訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が、同じ白水社で出版するまで、約40年間にわたり定訳の位置を占め続け百数十版を重ねた。

著書[編集]

翻訳[編集]

「カナリヤ」「おさなき恋」「心理」「ミリー」「園遊会」「パーカーばあさんの生涯」「一杯の茶」「蠅」「入江にて」
「花ひらくユダの木」「サーカス」「墓」「マリア・コンセプシオン」
「氷の宮殿」「冬の夢」「金持の御曹子」「乗継ぎのための三時間」「泳ぐ人たち」「バビロン再訪」
  • 「ビール・ストリートに口あらば」(ジェイムズ・ボールドウィン、集英社ギャラリー世界の文学18 所収) 1990
  • 『雨の日の釣師のために』(D&G・パウナル編、TBSブリタニカ、釣文学35の傑作) 1991

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 野崎孝(のざき・たかし)”. 青森近代文学館. 2022年8月閲覧。
  2. ^ 『ライ麦畑でつかまえて』解説 - 白水社”. www.hakusuisha.co.jp. 白水社. 2022年8月24日閲覧。