西崎聡
![]() |
基本情報 | |
---|---|
国籍 |
![]() |
出身地 | 福岡県糸島郡志摩町(現:糸島市) |
生年月日 | 1982年8月1日(41歳) |
身長 体重 |
174 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2006年 大学生・社会人ドラフト3巡目 |
初出場 | 2007年5月1日 |
最終出場 | 2009年9月20日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
西﨑 聡(にしざき さとし、1982年8月1日 - )は、福岡県糸島郡志摩町(現:糸島市)出身の元プロ野球選手(投手)。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
7歳で野球を始める。糸島高入学後に本格的に投手となり、3年夏は同校46年ぶりの県大会8強[1]。西崎伸洋(元横浜)とバッテリーを組んでいた。
高校卒業後は、九州国際大学へ進み3年時に明治神宮大会出場、4年秋はリーグ最多勝[1]。2005年に社会人野球のJR北海道に入団。北広島駅に勤務していた。第76回都市対抗野球大会[2]で登板。
2006年、プロ野球ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから大学生・社会人ドラフト3巡目で指名を受け入団。
プロ入り後[編集]
2007年はOP戦で3度登板し無失点の好スタート。5月1日に初めて一軍登録され、その日の広島東洋カープ戦(広島市民球場)の8回に3番手としてプロ入り初登板を果たした。しかし1アウトを取る間に2被安打1四球1死球の3失点という結果で、一軍には定着しきれなかった。イースタンでは51イニングを投げて防御率3.18とそこそこの結果を残している。
2010年は一軍登板がなく、同年10月3日に戦力外通告を受けた。のち引退。
現在は白寿生科学研究所に勤務している。
選手としての特徴・人物[編集]
サイドスロー気味のスリー・クォーターから繰り出す、独特のバネの効いた最速148km/hのストレートはキレと伸びが特徴。変化球は、スライダー・シンカーを併せ持つ。遅れて出てくる腕の振りが打者の打ちづらさとなり、大きな武器となっている。
直球・変化球共に、制球力が大きな課題である。
2007年の春季キャンプでは、抜くボール、シンカーを教わるべく高津臣吾に弟子入り志願した。
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | ヤクルト | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 20 | 3.2 | 5 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 7 | 7 | 17.18 | 1.91 |
2008 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 21 | 4.0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2.25 | 2.00 | |
2009 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 4 | 1.0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.00 | |
通算:3年 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 45 | 8.2 | 11 | 0 | 5 | 0 | 3 | 5 | 0 | 0 | 8 | 8 | 8.31 | 1.86 |
記録[編集]
- 初登板:2007年5月1日、対広島東洋カープ4回戦(広島市民球場)、8回裏に3番手で救援登板、1/3回3失点
- 初奪三振:2008年8月19日、対読売ジャイアンツ16回戦(明治神宮野球場)、8回表に木村拓也から空振り三振
背番号[編集]
- 30 (2007年 - 2010年)
脚注[編集]
- ^ a b 2001プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社
- ^ - 都市対抗野球大会80年史
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 西崎聡 - NPB.jp 日本野球機構