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考える人 (ロダン)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『考える人』
フランス語: Le Penseur
作者オーギュスト・ロダン
製作年1904年
種類ブロンズ像
所蔵ロダン美術館パリ

『考える人』(かんがえるひと、フランス語: Le Penseur英語: The Thinker)は、オーギュスト・ロダンによる彫刻作品である[1][2]。沈思する男性の裸体坐像として知られ、『地獄の門』の欄間中央に据えられた人物像である[1]

ロダンは、1880年にフランス政府から装飾美術陳列館英語版の正面大扉の制作を依頼され、ダンテ・アリギエーリの『神曲』「地獄篇」に想を得て『地獄の門』を構想し、その中央上部に置く要の像として本作を制作した[3]

本作は、地を見下ろして瞑想するダンテを象徴した像と説明されることがあり、当初は「詩人」と題される予定であったとされる[3]。一方で、裸体表現や体格の点から、単純にダンテ像とみなすことには慎重な見解もある[4]。今日一般に用いられる『考える人』の名称は、鋳造家が用いていた呼称が通称化したものと説明されている[3]

概要

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『地獄の門』

『考える人』は、1880年に始まった大規模な注文制作である扉口装飾『地獄の門』の一部であった。ロダンはこの作品を、ダンテ・アリギエーリの14世紀初頭の叙事詩『神曲』、とくに「地獄篇」に基づいて構想した[3]。『地獄の門』に配置された人物像の多くは『神曲』に関わるものとされ、『考える人』は門の中央上部欄間に置かれる要の像として構想された[3][1]

本作は当初「詩人」と題される予定であったとされる[3]。この像については、地獄を見下ろし瞑想するダンテを象徴したものとする説明がある[3]。他方で、ダンテは『神曲』の中で衣服をまとっているのに対し、この像は裸体であり、また像の体格もダンテの人物像とは一致しないとして、この解釈を限定的に見る見解もある[4]。ロダンは、ミケランジェロの伝統に連なる英雄的な裸体像によって、知性の双方を表そうとしたとされる[5]。また、この像をロダン自身の自画像的表現とみなす見方もある[4][6]。ただし、こうした解釈は資料により異なるため、本記事では断定を避ける。

『考える人』という名称は、『地獄の門』の細部を作製した鋳造家が、ミケランジェロによるロレンツォ2世・デ・メディチ像、すなわち「思索する人」を意味する『イル・ペンシエローソ』(Il Pensieroso)との類似に注目して名づけたものとされる[3][4]

この彫刻のモデルは、ロダンの他の作品と同じく、筋骨たくましいフランスのボクサーレスラーであったジャン・ボーとされる。ボーは、フェルディナント・ホドラーによる1911年のスイス・フラン紙幣にも描かれている。

作品

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原作はパリのロダン美術館にある。像の高さは72センチメートルで、ブロンズで制作され、表面には精緻なパティナ処理と研磨が施されていた。像は岩に座り、人々の行為と運命について思いをめぐらせる人物として表される。前かがみになり、右肘を左腿に置き、右手の甲で顎の重みを支える姿勢は、深い思索と瞑想の表現として受け取られてきた。

原型は1881年から1882年にかけて制作された[2]。1888年に『地獄の門』から独立した作品として大型化され、1904年のサロン出品後に広く知られるようになった[3]。1902年には高さ181センチメートルへ拡大された。記念碑的な大型版は、ロダンにとって初めて公共空間に設置された作品となった。この人物像は下から見上げられることを想定して設計されており、通常は高い台座の上に展示される。ただし、台座の高さは所有者や展示場所によって異なる。

『考える人』は、単独の像として広く知られているが、もとは『地獄の門』の上部に置かれる人物像であった。このため、作品の解釈には、単に「思索する人物」として見るものと、『地獄の門』を見下ろす人物として、罪や苦悩、創造、詩作と結びつけて理解するものがある。

鋳造

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『考える人』最初期のブロンズ鋳造像(1884年)、オーストラリアメルボルンビクトリア国立美術館
『考える人』の3Dスキャンによるインタラクティブ・レンダリング

『考える人』は複数の版で鋳造され、世界各地に所在している。ただし、模型から鋳造像へ至る制作過程の詳細は、なお完全には明らかになっていない。記念碑的な大きさのブロンズ鋳造像は、およそ29体が美術館や公共空間に存在するとされる。さらに、記念碑的な大きさと習作大の双方で、さまざまな縮尺の彫刻や石膏像がある。石膏像にはブロンズ風に彩色されたものも多い。比較的新しい鋳造像の中には没後に制作されたものもあり、それらは原制作とは区別される。

ロダンは1881年ごろ、最初の小型石膏像を制作した。最初のブロンズ版は1884年に制作され、メルボルンビクトリア国立美術館に所蔵されている。最初の等身大模型は、1904年にパリのサロン・デ・ボザールで発表された。公募によってブロンズ鋳造の費用がまかなわれ、この像はパリ市の所有となってパンテオン前に設置された[7]。1922年、このブロンズ像はロダン美術館へ移された。

その後、大小4種類の『考える人』が制作されたとされる[3]。日本語版の旧稿では、制作工程として1881年から1882年ごろの原型と、1902年から1903年ごろの拡大版があり、それぞれの型から鋳造された像が存在すると説明されていた。辞典類では、日本では国立西洋美術館京都国立博物館などに作品があることが確認できる[3][1]。また、静岡県立美術館をはじめ、世界各国20以上の美術館に複製が所在すると説明されている[2]

主な所在

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ロダン美術館の『地獄の門』に置かれた『考える人』
静岡県立美術館ロダン館の『考える人』

『考える人』は複数が鋳造され、世界各国20以上の美術館に複製が存在する[2]

日本では、国立西洋美術館京都国立博物館静岡県立美術館などに収蔵されている[3][1][2]。このほか、名古屋市博物館所蔵の『考える人』は、同館の大規模改修に伴う長期休館に合わせて、友好館協定を結ぶ陸前高田市岩手県)の陸前高田市立博物館に無償で貸し出され、2023年11月3日から展示されている。陸前高田市によれば、展示期間は2027年秋までの予定である[8][9]

美術市場

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2022年6月、『考える人』の鋳造像1体が、パリのクリスティーズで売りに出され、1400万ユーロの評価額が付けられた。この鋳造像は、アントワーヌ・ブールデルアリスティド・マイヨールとともに仕事をしたアレクシス・リュディエが創設したリュディエ鋳造所英語版で、1928年ごろに制作されたものであった[10]

受容

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マックス・リンデ英語版は、1904年に記念碑的な大型版の複製を鋳造させ、自邸の庭園に設置した。そこでエドヴァルド・ムンクは、現在はベーンハウス英語版に所蔵される絵画『リンデ博士の庭のロダンの考える人』を描いた。この鋳造像はのちにデトロイト美術館へ移った[11]

チャールズ・チャップリンの映画『独裁者』では、『ミロのヴィーナス』とロダンの『考える人』が、左腕を伸ばした姿に改変されて登場する[12]。この場面については、ナチス式敬礼への暗示を通じて、芸術がナチス・ドイツのプロパガンダに取り込まれることを扱ったと説明されている[13]小林信彦はこの改変について、「チャップリンのギャグ」であると分析している[14]

映画『ナイト ミュージアム2』では、生命を得た『考える人』の像が登場する。質問を受けた像は「私は考える…私は考える…私は考える…」と口ごもり、その後はヴィーナス像に言い寄る[15]

マンハイムで開始された、国内外のストリートアート作家による大規模壁画プロジェクト(Stadt.Wand.Kunstドイツ語版)では、ロダンの『考える人』が取り上げられ、壁画『The Modern Thinker』が制作された。

類似する彫刻

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座って思索する人物像は、古代以来さまざまな地域で制作されてきた。

カルディツァの考える人英語版は、テッサリアカルディツァ周辺で発見された新石器時代の粘土製小像である。この遺物は紀元前3900年ごろに年代づけられ、細部にはやや粗さがあるものの、上方を見上げる力強い男性という印象を与える。この小像は、ギリシャで発見された最大級の新石器時代遺物とされる[16][17]

イェフドの考える人英語版は、イスラエルイェフド英語版で行われた発掘調査で発見された像である。この像は、「考える人」に似た姿勢で陶製の壺の上に座っており、青銅器時代(紀元前1800年から紀元前1600年頃)に年代づけられる。墓の中から発見され、短剣、槍先、斧頭、ナイフ、雄羊、ロバなど、供物として埋葬されたと考えられる品々を伴っていた[18]

ルーマニアチェルナヴォダの考える人英語版テラコッタ製彫刻である対となる女性像「座る女」とともに、後期新石器時代の作品として今日まで残る。研究により、ハマンジア文化英語版が生み出した彫刻作品である[19][20]

また、ミケランジェロによるウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチの墓像は、思索する人物像としてロダンの『考える人』との関連でしばしば言及される。この墓像はフィレンツェサン・ロレンツォ聖堂にあるメディチ家礼拝堂に置かれており、顔を陰に沈め、肘を箱の上に置く思索者として公爵を表している[21][22]

脚注

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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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