篠塚一平

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篠塚 一平 Football pictogram.svg
名前
カタカナ シノヅカ イッペイ
ラテン文字 SHINOZUKA Ippei
ロシア語 Иппэй Синодзука
基本情報
国籍 ロシアの旗 ロシア[1]
生年月日 (1995-03-20) 1995年3月20日(24歳)
出身地 千葉県我孫子市
身長 177cm
体重 67kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 大宮アルディージャ
ポジション MF
背番号 18
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2012-2017 ロシアの旗 スパルタク・モスクワ 0 (0)
2013-2017 ロシアの旗 スパルタク・モスクワII 47 (3)
2017-2019 日本の旗 横浜F・マリノス 20 (1)
2019- 日本の旗 大宮アルディージャ 0 (0)
代表歴2
2013 ロシアの旗 ロシア U-18 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2019年7月4日現在。
2. 2013年10月22日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

篠塚 一平(しのづか いっぺい、ロシア語: Иппэй Синодзука1995年3月20日 - )は、千葉県我孫子市出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダーJリーグ大宮アルディージャ所属。登録名は『イッペイ シノヅカ』。

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

父親が日本人で母親がロシア人のハーフ。生後5歳までをアメリカやロシアで過ごす[2]。小学校3年生より地元我孫子市のサッカー少年団チーム「隼」でサッカーを始める。中学時に柏レイソルジュニアユースのセレクションを受けるも不合格で[2]地元のカナリーニョFCに進み、中央学院高等学校サッカー部に入る。

東日本大震災後にロシアに一時避難するが、ビザの都合が付かず止む無く親元を離れロシアで生活[2]。間も無く育成に定評のあるアカデミア・チェルターノバ・モスクワのテストに合格した(チェルターノバ入団前にFCロコモティフ・モスクワ・ユースも入団テストを受けたが、合格しなかった、と本人は述べている)。中央学院高校ではレギュラーになれなかったが、チェルターノバでは身長が約10cm伸びてスピードが上がったこともあり、ドリブルを武器に強豪PFC CSKAモスクワFCスパルタク・モスクワ、ロコモティフ・モスクワ相手に大活躍し、スパルタク・モスクワ、FCゼニト・サンクトペテルブルクのスカウト網で注目された。2012年夏に17歳でスパルタク・モスクワと3年契約(2014年、契約を2017年まで再延長)[3]

スパルタク・モスクワ[編集]

契約後、しばらくユースチームに所属し、2012年10月のロシア・クラブユース全国大会では大会ベストMFに選出された[1]。2013年に入りシーズン後半では、スパルタクのリザーブチームに招集され、5月には劇的な逆転勝利のFCクラスノダール戦に初出場。リザーブリーグ優勝を達成した。最終戦は昇格後初めてスタメン出場。6月にスパルタクはファームチーム「スパルタクII」を創設し、ディビジョン2に参戦することを決定。2013-14シーズンは同チームに昇格。ディビジョン2第3戦8月4日のアバンギャルド戦に74分から交代出場し、プロデビューを果たした。その後は、出場機会を求めて2013年後半はリザーブリーグに出場。年明け、トルコ合宿後の後半戦に入り復帰。

2016-17のシーズンは、ロシア2部リーグで15試合出場(ゴール1、291分)。前半はサブとしてゲーム後半に出場機会を得た。2017年2月のトルコ合宿ではスタメンに起用されポーランド1部リーグのチーム相手にゴールを決めるなど活躍が期待されたが、リーグ戦後半から徐々に出場機会を失い主にU-23チームで過ごした。スパルタク・モスクワを2017年5月末に退団することが発表された。

横浜F・マリノス[編集]

2017年8月、横浜F・マリノスに加入[4]。この時点でマリノスは最大5名の外国籍枠がすべて埋まっていたが、後述の理由により選手登録および試合出場が可能である。9月23日、リーグ第27節のヴァンフォーレ甲府戦にて後半に途中出場し、日本での公式戦デビュー。ゴールも記録した[5]。10月14日、第29節の大宮アルディージャ戦で移籍後初先発。

大宮アルディージャ[編集]

2019年7月4日、大宮アルディージャへの完全移籍が、横浜F・マリノスおよび大宮アルディージャから発表された[6][7]

代表[編集]

2013年1月11日にU-18ロシア代表でデビューを果たしたが、将来は日本代表でプレーすることが夢だと話している[8][9]

人物・エピソード[編集]

  • 日本で生まれ、日本の義務教育を修了しているため、Jリーグでは外国籍枠から除外される[10]
  • 幼少期はロナウジーニョに憧れ、ドリブルばかりしていた[2]
  • ロシア語は片言しか話せなかったが、モスクワ移住後に現地の高校に通い始め、わずか1年で流暢にロシア語を操れるようになった。また、中央学院高等学校を中退しているが、父親と絶対にロシアの高校を卒業すると約束している(2014年に卒業)。
  • 2011年4月29日にはロシアのテレビ番組「フットボールクラブ」で、当時CSKAモスクワに在籍していた本田圭佑に会いに行く内容が放送された。

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ロシア リーグ戦 ロシア杯オープン杯 期間通算
2013-14 スパルタク
モスクワII
39 3部 13 1 - - 13 1
2014-15 19 1 - - 19 1
2015-16 2部 0 0 - - 0 0
2016-17 15 1 - - 15 1
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2017 横浜FM 37 J1 6 1 0 0 0 0 6 1
2018 26 14 0 10 1 2 1 26 2
2019 0 0 6 2 1 1 7 3
大宮 18 J2
通算 ロシア 2部 15 1 - - 15 1
ロシア 3部 32 2 - - 32 2
日本 J1 20 1 16 3 3 2 39 6
日本 J2
総通算 67 4 16 3 3 2 86 9

代表歴[編集]

タイトル[編集]

クラブ
代表
  • U-18ロシア代表
    • バレンチン・グラナトキン・メモリアル 優勝:2013年1月
個人
  • ロシア・クラブユース全国大会 大会ベストMF:2012年10月

脚注[編集]

  1. ^ a b イッペイ・シノヅカ22歳の逆輸入。ロシアと日本、マリノスへの想い。”. Number Web (2017年10月20日). 2017年12月25日閲覧。
  2. ^ a b c d 知られざる、あの選手の成長物語 - イッペイ シノヅカの成長物語 前編 Jリーグ、2017年12月28日閲覧
  3. ^ 若きサムライがロシアU-18代表に。Sモスクワ・篠塚一平、17歳の夢。”. Number Web (2012年12月13日). 2013年10月22日閲覧。
  4. ^ “イッペイ シノヅカ選手 加入のお知らせ” (プレスリリース), 横浜F・マリノス, (2017年8月3日), http://www.f-marinos.com/news/detail/2017-08-03/180000/183349 2017年8月3日閲覧。 
  5. ^ 【横浜M】MFイッペイが公式戦デビュー弾も3失点で敗戦、斎藤も負傷交代”. スポーツ報知 (2017年9月23日). 2017年9月24日閲覧。
  6. ^ イッペイシノヅカ選手 大宮アルディージャへ完全移籍のお知らせ | ニュース一覧”. 横浜F・マリノス 公式サイト. 2019年7月4日閲覧。
  7. ^ イッペイ シノヅカ選手 横浜F・マリノスより完全移籍 | 大宮アルディージャ公式サイト” (日本語). www.ardija.co.jp. 2019年7月4日閲覧。
  8. ^ スパルタクで上を目指すドリブラー。U-18ロシア代表、篠塚一平の決断。”. Number Web (2013年10月18日). 2013年10月22日閲覧。
  9. ^ ロシアU-18代表デビューを果たした、日本人高校生・篠塚一平の成長曲線。”. Number Web (2013年4月5日). 2013年10月22日閲覧。
  10. ^ プロサッカー選手の契約、登録および移籍に関する規則 (PDF)”. 日本サッカー協会. 2017年10月20日閲覧。
  11. ^ ロシア・セカンドディビジョン中央地区に2013-14から参戦。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]