石山 (滋賀県)

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石山
石山寺の東大門
石山寺の東大門
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 Flag of Shiga Prefecture.svg 滋賀県
市町村 Flag of Otsu, Shiga.svg 大津市
面積
 • 陸地 24.83km2
等時帯 UTC+9 (JST)
いしやまちょう
石山町
廃止日 1933年4月1日
廃止理由 新設合併
大津市、膳所町石山町大津市
現在の自治体 大津市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 滋賀県
滋賀郡
総人口 3,613
国勢調査1920年
隣接自治体 滋賀県
滋賀郡膳所町
栗太郡大石村下田上村
京都府
京都市東山区伏見区
宇治郡笠取村
石山町役場
所在地 滋賀県滋賀郡石山町
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石山(いしやま)とは、滋賀県大津市の町名、地区名である。石山寺ゆかりの地として有名で、立木観音などの歴史・文化資源が豊かである[1]。また、近江八景の1つ「石山の秋月」としても名を残す。広義には粟津以南の瀬田川より西側の鳥居川・北大路・国分・寺辺・南郷等の一体の地域を指す[2]。狭義には石山学区を指すことがあり、石山寺一~五丁目・石山寺辺町・平津一~二丁目・石山平津町・大平一~二丁目を指す[3]。この項目では広義の「石山」を取り扱い、またかつて存在した石山町についても取り扱う。

概要[編集]

1889年(明治22年)に外畑村・内畑村・赤尾村・南郷村・千町村・平津村・寺辺村・国分村・鳥居川村・北大路村の区域をもって石山村が発足し、1930年(昭和5年)に町制施行によって石山町になる[2]。その後、1933年(昭和8年)に膳所町とともに大津市に一部となる[2][4]。現行の大津市都市計画マスタープランでは中南部地域と南部地域の両方を跨いでいる[1]

小中学校の校区[編集]

大津市立の小中学校に通う場合、石山地域での学区は以下の通りである[3]

中学校 小学校 町名
粟津中学校 晴嵐小学校 松原町 ・栄町 ・唐橋町 ・鳥居川町(一部)
北大路中学校 鳥居川町(一部)・光が丘町 ・田辺町 ・蛍谷 ・園山一丁目 ・国分一丁目・国分二丁目 ・北大路一丁目 ・北大路二丁目 
石山中学校 石山小学校 石山寺一丁目 ・石山寺二丁目 ・石山寺三丁目 ・石山寺四丁目 ・石山寺五丁目 ・石山寺辺町 ・平津一丁目 ・平津二丁目 ・石山平津町 ・大平一丁目 ・大平二丁目
南郷中学校 南郷小学校 千町一丁目 ・千町二丁目 ・千町三丁目 ・千町四丁目 ・南郷一丁目 ・南郷二丁目 ・南郷三丁目 ・南郷四丁目 ・南郷五丁目 ・南郷六丁目 ・南郷上山町 ・赤尾町 ・石山千町・石山内畑町 ・石山外畑町 ・石山南郷町

地理[編集]

  • 山岳 : 千頭岳、伽藍山、岩間山、袴腰山
  • 河川 : 瀬田川

歴史[編集]

古代[編集]

縄文時代から人間の居住が確認され、淡水貝塚として有名な石山貝塚が石山寺の近く存在する[5][6]。また、石山での銅鐸の出土が見られ、弥生時代にも文化があったことが伺える[5]。また、国分大塚古墳などの古墳などが確認されている[7]。しかし、南部では山地に囲まれ、農耕可能な平野が少なかったので古墳時代中期ごろまで人が住みつかなかったとされる[8]

岩間寺本堂

寺社の創建と信仰文化[編集]

7世紀から8世紀にかけて日本の仏教信仰が盛んになり、これに伴い社寺が建立されることとなった[8]泰澄722年岩間寺を創建している[9]。その後、745年東大寺造営のための建設資材を集積する石山院が置かれ、これを基に良弁石山寺が創建された[10]。そして、815年空海が立木観音を建立した[11]

平安時代に入ると貴族による石山寺への石山詣が盛んとなる[12]瀬田川伽藍山による風光明媚な立地が人気を博し、さまざまな人が石山寺をめぐって文学を紡ぎだしてきたとされる[12]。特に紫式部源氏物語の執筆したとして、紫式部ゆかりの寺として有名である[13]。西国三十三所観音巡礼の第13番札所として庶民にも信仰されるようになる[14]

戦乱の地[編集]

壬申の乱では瀬田の唐橋は激戦地とされ、その後も交通の要所として何度も焼失することがあった[15]。また、瀬田川と大戸川が合流する供御瀬(くごのせ)は軍馬が渡河しやすく戦略上重要な拠点として利用され、幾度も戦乱に巻き込まれた[8]

なお、鳥居川町に位置する御霊神社は壬申の乱で敗れた大友皇子を祭神として祀ったものである[16]

封建時代の石山[編集]

石山寺周辺の地域は石山寺の寺領であり、近衛家に支配されることもあった[8]。江戸時代以降は膳所藩の支配下に置かれ[17]、藩の奨励で新田の開発が行われ[18]、農民の数も増えていった[19]。この頃、漁業が盛んに行われ、瀬田川の上下流や対岸どうしで相論が繰り返された[18]。また、通船計画や洪水防止のため、1670年から付近の農民を動員して瀬田川の浚渫工事が行われている[18]

近代[編集]

洪水防止として瀬田川の通水を円滑にするため浚渫工事が何度も行われてきたが、下流地域の反対が強く根本的な対策にはならなかった[20]1905年(明治38年)には淀川改良工事の一環として瀬田川の水量を自由に調節できる南郷洗堰が完成する[20][21]。この洗堰の完成によって以後60年間は琵琶湖の水害問題から解放されたといわれる[22]

1903年(明治36年)に隣接する膳所村粟津に東海道本線琵琶湖線石山駅が開業した。この当時は運送屋、宿屋、土産品屋、飲食店などが数軒立ち並んでいたがあまり発展していなかった[23]

1914年(大正3年)に石山まで大津電気軌道(後の京阪石山坂本線)が延伸した。

1927年(昭和2年)に東洋レーヨン株式会社(現:東レ)滋賀工場が石山に開かれる[24]。琵琶湖由来の良質な水と、穏やかな気候風土がレーヨン工業に適していると判断されたからである[25]。隣接する膳所村の旭人造絹糸株式会社と合わせて当時の日本のレーヨン生産高の半分を占め、膳所町粟津地域から石山にかけてはかつての農業地帯から工場街・住宅街・商店街が形成されていった[26]。現在の石山商店街もこの時に繁栄しはじめたものである[27]。また、大正末期から昭和初期にかけて鳥居川や北大路では人口・戸数が大幅に増加した[28]。このことで石山村は町としての体裁が整い、「石山町」に昇格した[17]1931年(昭和6年)の石山町全人口の内35%が工業従事者であった[28]。その後、1933年(昭和8年)に石山町・膳所町・大津市は解消合併し、「大大津市」が誕生した[29]。この合併によって大津市は財政的に豊かになったとされる[30]

第二次世界大戦では1945年(昭和20年)7月24日に東洋レーヨン大津工場が爆撃により16名が犠牲となった[31][32]

現代[編集]

戦後は空襲を受けた東レが再建を目指した一方で、商店街でも古着や軍隊の放出物質、日用雑貨などを売る人の姿が見られた[33]。その後の好景気により復興過程にあった商店街も活気を呈した[34]

1946年(昭和21年)に知的障害児や孤児を収容する近江学園が南郷で開園される[35][18]1973年(昭和46年)に石部(現:湖南市)に移転するが、日本の知的障害者福祉において先駆的な施設であったとされている[36][37]

1961年(昭和36年)に瀬田川洗堰が完成した[21]。続いて、1964年(昭和39年)には瀬田川下流の宇治市で天ケ瀬ダムが完成した[38]。天ケ瀬ダムの完成に伴い、石山外畑町などの地区が水没するため移転を余儀なくされ、県道大津南郷宇治線の道路開通や曽束大橋の完成で外畑周辺の景観や交通は大きく変わった[19]

昭和30年台後半からベッドタウン化が進み、1966年(昭和41年)から1971年(昭和46年)にかけて石山団地が形成されていった[39]。それに引き続く形で昭和40年台後半から南郷地域でも宅地開発が進み、人口も急増した[37]

地名の由来[編集]

「石山」の地名は石山寺の境内にある硅灰石に由来する[40]

交通[編集]

石山駅は南部方面へのバス交通の結節点となっている[41]。瀬田・大石・田上方面までも圏内に含む一大ターミナルとしての様相を持つ[42]

鉄道[編集]

道路[編集]

施設[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 大津市マスタープラン 2017, p. 77.
  2. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 (1979-04-08). 角川日本地名大辞典 25滋賀県. 角川書店. p. 98. 
  3. ^ a b 大津市立学校及び幼稚園通学区域一覧表(平成29年9月15日現在)”. 大津市教育委員会学校教育課. 2017年10月28日閲覧。
  4. ^ 市域の変遷”. 大津市. 2017年10月29日閲覧。
  5. ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 (1979-04-08). 角川日本地名大辞典 25滋賀県. 角川書店. p. 745. 
  6. ^ 石山貝塚”. 大津市歴史博物館. 2017年10月28日閲覧。
  7. ^ 国分大塚古墳”. 大津市歴史博物館. 2017年10月28日閲覧。
  8. ^ a b c d 南郷 1993, p. 84.
  9. ^ 第十二番岩間山正法寺(岩間寺)”. 西国三十三所札所会. 2017年10月28日閲覧。
  10. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 (1979-04-08). 角川日本地名大辞典 25滋賀県. 角川書店. p. 746. 
  11. ^ 第二十番札所立木山立木山寺”. 新西国霊場会. 2017年10月28日閲覧。
  12. ^ a b 石山寺の歴史”. 石山寺. 2017年10月28日閲覧。
  13. ^ 大津市における主要な文化的資源について (PDF)”. 国土交通省. p. 10. 2017年10月29日閲覧。
  14. ^ 大津市における歴史的事象について (PDF)”. 国土交通省. p. 11. 2017年10月29日閲覧。
  15. ^ 瀬田唐橋”. 大津市歴史博物館. 2017年10月28日閲覧。
  16. ^ 晴嵐 1980, p. 49.
  17. ^ a b 石山 1993, p. 21.
  18. ^ a b c d 南郷 1993, p. 85.
  19. ^ a b 南郷 1993, p. 86.
  20. ^ a b 大津市史 1986, p. 9.
  21. ^ a b 瀬田川洗堰~洗堰の歴史”. 国土交通省近畿地方整備局琵琶湖河川事務所. 2017年10月28日閲覧。
  22. ^ 大津市史 1986, p. 10.
  23. ^ 晴嵐 1980, p. 235.
  24. ^ 沿革”. 東レ株式会社. 2017年10月28日閲覧。
  25. ^ 晴嵐 1980, p. 207.
  26. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 (1979-04-08). 角川日本地名大辞典 25滋賀県. 角川書店. pp. 748-749. 
  27. ^ 大津市史 1986, p. 11.
  28. ^ a b 晴嵐 1980, p. 237.
  29. ^ 大津市史 1986, p. 68.
  30. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 (1979-04-08). 角川日本地名大辞典 25滋賀県. 角川書店. p. 749. 
  31. ^ “大津市に落とされた模擬原爆”. 滋賀報知新聞. (2011年8月11日). http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0008208 2017年10月29日閲覧。 
  32. ^ 大津市史 1986, p. 69.
  33. ^ 晴嵐 1980, p. 240.
  34. ^ 晴嵐 1980, p. 241.
  35. ^ 通史(年表) (PDF)”. 近江学園. 2017年10月29日閲覧。
  36. ^ 石野美也子 (2014). “糸賀一雄研究3-近江学園を築いた3人の思想を通して考える知的障害者福祉” (PDF). 日本社会福祉学会第62回秋季大会報告要旨集: 5-6. http://www.jssw.jp/conf/62/pdf/A01-3.pdf. 
  37. ^ a b 大津市史 1986, p. 207.
  38. ^ 天ケ瀬ダム”. 国土交通省近畿地方整備局淀川ダム統合管理事務所. 2017年10月29日閲覧。
  39. ^ 大津市史 1986, p. 133.
  40. ^ 石山寺”. 大津市歴史博物館. 2017年10月28日閲覧。
  41. ^ 大津市マスタープラン 2017, p. 71.
  42. ^ 晴嵐 1980, p. 247.

参考文献[編集]

  • 大平山のあゆみ編集委員『大平山の歩み』大平会、1971年3月。
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 25滋賀県』角川書店、1979年4月8日。ISBN 9784040012506
  • 晴嵐史編集委員会『晴嵐史話』晴嵐コミュニティ推進委員会、1980年9月1日。
  • 大津市『新修大津市史9 南部地域』大津市役所、1986年11月29日。
  • 南郷地区10年式記念誌編集委員会『南郷学区10周年記念誌』大津市南郷学区自治連合会、1993年5月。
  • 60周年記念事業実行委員会『石山町・大津市合併60周年記念誌「わが町いしやま」』大津市石山学区自治連合会、1993年11月7日。
  • 大津市『大津市都市計画マスタープラン2017-2031』(PDF)大津市都市計画部都市計画課、2017年4月3日。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]