白馬高地の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
白馬高地の戦い
戦争:朝鮮戦争
年月日1952年10月6日
場所朝鮮半島江原道鉄原郡
結果:国連軍の勝利
交戦勢力
国際連合の旗 国連軍
中華人民共和国の旗 中国
指導者・指揮官
金鐘五少将 江擁輝
戦力
第9歩兵師団 第38軍
損害
韓国側資料
  • 死傷者 3500[1]

中国側資料

  • 死傷者捕虜 9300[2]
韓国側資料
  • 死傷者捕虜 推定約10000[1]

中国側資料

  • 死亡1748[3]
  • 負傷3062[3]
  • 行方不明562[3]

白馬高地の戦い日本語:ペンマコジのたたかい、はくばこうちのたたかい、韓国語:白馬高地戰鬪、백마고지 전투中国語白马山战役英語Battle of White horse)は、朝鮮戦争中の1952年10月6日に開始された国連軍及び中国人民志願軍による戦闘。

395高地(395고지)をめぐって14日間、12回にわたる争奪戦を繰り広げ、頂上の主が7回も入れ替わるほどの激戦であった[1]。この戦闘で国連軍は21万9954発、中共軍は5万5000発の砲弾を使用した[4]

経緯[編集]

1952年、鉄原-金化地区では、アメリカ軍第9軍団が7月中旬に西から韓国軍第9師団、アメリカ軍第7師団、韓国軍第2師団を第一線に配置するとともに、アメリカ軍第40師団を予備として控置し、中共軍第15軍、第38軍と対峙していた[5]。夏の間は小康状態を保っていたが、秋になると中共軍が第9軍団の前哨陣地に対する大々的な攻撃をかけてきたため、国連軍も限定的ながらも積極的な攻勢をとることで熾烈な高地争奪戦が展開された[5]

第9軍団左翼の第9師団は1951年10月17日から鉄原地域に投入され、395高地から中江里(중강리)までの11キロにわたる鉄原平野を防御していた[6]。第9師団正面には中共軍第38軍の第114師第340団、第324団が配備されており、第113師が左隣接部のアメリカ軍第2師団正面に、第112師が予備として南山谷(남산골)付近に配置されていた[6]

第9師団の主抵抗線は、左端の395高地を除く大部分が鉄原平野を横切る開豁地であった[6]。一方、中共軍は暁星山をはじめ有利な高地を占領して第9師団の防御地域を瞰制(かんせい)していた[6]。そのため全般的に第9師団の防御は脆弱であり、さらに師団の主抵抗線5キロ前方にある蓬莱湖(봉래호)は作戦地域内の駅谷川(역곡천)を氾濫させるため、師団の作戦に大きな影響を及ぼした[6]

第9師団は9月22日から左第一線に第30連隊、右第一線に第29連隊を配置し、第28連隊を予備とする一方で、その他に配属された第51連隊を大隊単位で運用して主抵抗線を防御していた[6]。395高地の防御を担当した第30連隊は、395高地に第1大隊、中馬山(중마산)一帯に第2大隊、駅谷川南岸に予備の第3大隊を配置していた[6]

第30連隊が占領していた395高地は、鉄原の西南部を構成する重要な要衝であり、ここを中共軍に占領されれば鉄原平野を瞰制されるだけでなく、国連軍の兵站線である国道3号線をはじめとする多くの補給路が使用できなくなる[7]。そのためここには堅固な防御陣地が構築されていた[2]。また395高地西側の281高地(通称矢じり高地화살머리 고지)にも坑道と鉄筋コンクリート製の掩体壕群が構築されていた[2]。この2つの高地は国連軍にとっては進行の助けとなり、中共軍にとっては大きな障害であった[2]

当時第9師団は敵の企図について、395高地を奪取し、鉄原平野を制圧するとともに大攻勢の基盤を構築し、鉄原を中心とした広範囲の地域を統制することで、中部戦線で戦略的支点を確保し、自軍に大きな影響を及ぼそうとするものと判断し、防御態勢を強化した[8]

金鐘五少将は、将兵に中共軍の戦術を徹底的に教育させ、夜間射撃と白兵戦訓練を繰り返した[9]。さらに塹壕はすべて有蓋壕にし、負傷兵が退避することができる施設を構築した[9]。また砲兵を適時に動員できれば自軍の被害を最小限にして敵には十分な打撃を与えることができると考え、第9軍団長のジェンキンス中将と相談して砲兵支援が不足しないように措置した[10]。そのため第9師団には榴弾砲大隊3個、重迫撃砲中隊1個、戦車中隊1個の他に、第9軍団から米軍砲兵大隊3個と戦車中隊1個、それ以外に韓国軍砲兵大隊が配属された[2]

気象晴天が続き、夜間も月光により比較的観測が良好であるため、国連軍の航空支援に有利であった[8]

全戦線にわたり中共軍の攻勢の兆候が出始めたので、偵察と警戒を強化していたが、10月3日、第38軍の文化教員が投降[2]。「第114師が10月4日 - 6日の間に、395高地に対する攻撃を行う」と供述した[8]。これによって第9師団は395高地の防御兵力を2個大隊に増強するとともに、師団予備をもって直ちに反撃できるように措置し、偵察を強化した[8]

編制[編集]

国連軍[編集]

  • 第9軍団 軍団長:ルーベン・ジェンキンス英語版中将
    • 第9師団 師団長:金鐘五少将
      • 第28連隊 連隊長:李周一大領
        • 第1大隊 大隊長:金三曾大尉
        • 第2大隊 大隊長:尹永模少領
        • 第3大隊 大隊長:崔昌龍中領
      • 第29連隊 連隊長:金鳳喆大領
        • 第1大隊 大隊長:李大哲少領
        • 第2大隊 大隊長:金慶珍朝鮮語版少領(10月11日戦死)、朴應格大尉(10月13日から)
        • 第3大隊 大隊長:朴燦剛中領
      • 第30連隊 連隊長:林益淳大領
        • 第1大隊 大隊長:金永先少領
        • 第2大隊 大隊長:金祥玉少領
        • 第3大隊 大隊長:趙南國少領
      • 第30砲兵大隊 大隊長:權五明大尉
      • 第9重迫撃砲中隊 中隊長:文逸秀大尉
    • 配属部隊
      • 第51連隊 連隊長:全富一大領
        • 第1大隊 大隊長:李基完少領
        • 第2大隊 大隊長:朴哲遠少領
        • 第3大隊 大隊長:金白泳少領
      • 第53戦車中隊 中隊長:趙七星大尉
    • 支援部隊
      • 第1砲兵団 団長:朴秉柱中領
      • 第50砲兵大隊
      • 第51砲兵大隊 大隊長:孫善陽少領
      • 第52砲兵大隊 大隊長:河永燮少領
      • 第49砲兵大隊(米軍)
      • 第213砲兵大隊(米軍)
      • 第955砲兵大隊(米軍)
      • 第73戦車大隊C中隊(米軍)
      • 米第5空軍
  • 第1軍団 軍団長:ポール・ケンドル英語版中将

中国人民志願軍[編集]

戦闘[編集]

10月6日夜、第114師の6個連(中隊)と2個排(小隊)は、山砲野砲榴弾砲116門、自走砲4門、戦車8両の支援下で、5方向からの395高地攻撃を開始した[2]。蓬莱湖のを破壊して駅谷川を氾濫させ、午後7時15分から第114師が395高地一帯を攻撃した[8]。第340団は1個営(大隊)を高地の主峰から北に長く突き出ている稜線に、1個営を主峰に投入した[8]。第30連隊は3回にわたる攻防戦を展開し、中共軍に大きな被害を与えて撃退した[8]。この日の夜、中共軍は395高地の攻撃に先立ち、395高地の西南方3キロの地点にある281高地に大々的な攻撃を開始した。第113師は15個砲兵連の支援の下で3個連と1個排を投入した[3]。この攻撃は395高地に対する陽動作戦と判断されたが、ここに配置されていたフランス大隊は支援火力の掩護下に白兵戦を展開し、中共軍の波状攻撃を撃退した[8]

10月7日夜、中共軍は395高地の攻撃を再開し、2個営をもって前哨陣地を包囲して圧力をかけてきた[8]。第30連隊は頂上から退却したが、約2時間後に師団から奪還命令を受けた第28連隊が逆襲してこれを奪還した[11]。第28連隊は奪還すると直ちに敵の反撃に備えて陣地を強化した[11]

10月8日早朝、高地一帯が濃い霧で覆われると、中共軍は5度目の攻撃を再開した。中共軍は前日までの攻撃が予期のとおりに進展しなかったので、第38軍の予備である第112師第334団を投入した[11]。第28連隊は濃い霧によって砲兵及び航空支援を十分に受けることができず、午前8時10分に主峰を中共軍に奪われた[11]。午後5時、第28連隊は第3大隊を投入して反撃を開始し、8時間余りにわたる激戦を繰り広げた末に主峰を奪還することに成功した[11]。しかしこれまでの戦闘で第28連隊と第30連隊は再編成が必要なほどに消耗していた[11]。第9師団は捕虜の供述から中共軍の攻撃が当分の間続くものと判断し、第51連隊を右第一線に配置するとともに、第29連隊を395高地で運用する腹案で第28連隊、第29連隊を師団予備に転換した[11]

10月9日、午前0時を過ぎると中共軍は攻撃を開始し、約3時間にわたる波状攻撃によって、午前3時頃、主峰とその右側稜線の一部を占領した[11]。夜が明けると第9師団は、頂上に1万7000発の砲弾と航空機による火力を集中し、夜に第29連隊をもって逆襲を開始した[11]。正午頃、第29連隊は主峰を占領した[11]

10月10日早朝、中共軍は攻撃を開始し、午前4時頃から手榴弾の投擲戦と白兵戦が展開された[11]。第29連隊第1大隊が主峰から9合目の稜線に後退した後、第2大隊の増援を受けて反撃し、午前6時半に頂上を奪還した[12]

10月11日夜、再び中共軍によって高地を占領される[12]

10月12日朝、第30連隊が第29連隊を超越して高地を奪還したが、中共軍の反撃を受けて再び高地を占領された[12]。続いて第29連隊が激しい肉弾戦を展開し、10月15日に頂上奪還に成功した[12]。勢いに乗った第29連隊は395高地北方のラクダ稜線上の前哨陣地を奪還し、中共軍を完全に撃退した[12]。ほぼ壊滅状態に陥った第38軍は隷下の部隊を逐次に撤収させて戦線から離脱したものと判断された[12]。また281高地のフランス大隊も多くの人的消耗を出しながら最後まで陣地を確保し、第9師団の395高地確保に寄与した[12]

戦闘後[編集]

記念碑

第9師団の戦闘期間中、適時適切な予備隊の投入及び部隊交代などによって将兵に活力を与え目標奪取のための闘志を堅持することができたこと、強力な砲兵及び航空支援を受けられたこと、これらが複合的に作用したため395高地を確保することができた[1]アメリカ空軍は昼間669回、夜間76回出撃し、第9師団の395高地確保に寄与した[13]

第38軍は損失が大きく第23軍と交代して後方任務に就いた[13]

第9師団を指揮した金鐘五少将は10月26日付で陸軍士官学校校長に転任した。後任は金點坤准将が赴任し、狙撃稜線の戦闘を指揮するようになった[14]

395高地は激しい砲撃によって、山の高さが1メートルほど低くなり禿山となった[10]。その姿が白馬が伏せている様に見えたため、後に「白馬高地」と呼ばれるようになった[1]。また第9師団もこの戦闘から白馬部隊と呼ばれるようになった[10]

師団長の金鐘五少将、第28連隊小隊長のチョン・ナクコ少尉、第29連隊第9中隊所属の金マンス軍曹に殊勲十字章が授与された[15]。連隊長の李周一、金鳳喆、林益淳にはレジオン・オブ・メリットが授与された[16]。大隊長の朴燦剛と金慶珍(戦死)にシルバースターが授与された[17]

朝鮮戦争休戦後、韓国軍第5師団と鉄原郡大馬里(대마리)の住民は記念館と戦跡碑、慰霊碑を建てた[18]。また、2012年11月20日に鉄原郡に開業した京元線の駅は、この戦闘にちなんで白馬高地駅と名付けられている。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 国防軍史研究所 2010, p. 69.
  2. ^ a b c d e f g 軍事歴史研究所 2011, p. 305.
  3. ^ a b c d 軍事歴史研究所 2011, p. 306.
  4. ^ “[統一に向けて未来を開こう]4. 朝鮮戦争の激戦地” (朝鮮語). 江原道民日報. (2015年1月20日). http://www.kado.net/news/articleView.html?idxno=716241 2015年10月27日閲覧。 
  5. ^ a b 国防軍史研究所 2010, p. 63.
  6. ^ a b c d e f g 国防軍史研究所 2010, p. 64.
  7. ^ “朝鮮戦争の決定的戦闘―⑨白馬高地戦闘” (朝鮮語). KONAS. (2010年6月22日). http://www.konas.net/article/article.asp?idx=21968 2015年10月27日閲覧。 
  8. ^ a b c d e f g h i 国防軍史研究所 2010, p. 65.
  9. ^ a b “남도현의 Behind War:김종오 장군(9)-①―백마고지에서 원수 같은 중공군 38군을 만나다” (朝鮮語). 朝鮮日報. (2015年11月23日). http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2015/11/22/2015112200660.html 2015年12月1日閲覧。 
  10. ^ a b c “남도현의 Behind War:김종오 장군(10)-①―중공군 38군의 절반을 죽인 백마고지의 빛나는 승리” (朝鮮語). 朝鮮日報. (2015年11月25日). http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2015/11/24/2015112401084.html 2015年12月1日閲覧。 
  11. ^ a b c d e f g h i j k 国防軍史研究所 2010, p. 67.
  12. ^ a b c d e f g 国防軍史研究所 2010, p. 68.
  13. ^ a b “[朝鮮戦争60年]大邱で抱いた強軍の夢(205)白馬高地の血戦” (朝鮮語). 中央日報. (2010年11月2日). http://nk.joins.com/news/view.asp?aid=4130555 2015年10月31日閲覧。 
  14. ^ 国防軍史研究所 2010, p. 99.
  15. ^ Chong O. Kim”. Military Times. 2015年10月26日閲覧。Nak Koo Chung”. Military Times. 2015年10月26日閲覧。Man Su Kim”. Military Times. 2015年10月26日閲覧。
  16. ^ Lee Ju Il”. Military Times. 2015年11月10日閲覧。Kim Bong Chul”. Military Times. 2015年11月10日閲覧。Lim Ik Soon”. Military Times. 2015年11月10日閲覧。
  17. ^ Bak Chan Kang”. Military Times. 2019年6月14日閲覧。Kim Kyong Jin”. Military Times. 2018年11月24日閲覧。
  18. ^ “[激戦の現場に行く]6. 鉄原白馬高地戦闘” (朝鮮語). 江原道民日報. (2013年7月12日). http://www.kado.net/news/articleView.html?idxno=635269 2015年10月27日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 韓国国防軍史研究所 編著『韓国戦争 第6巻 休戦』翻訳・編集委員会訳、かや書房、2010年。ISBN 978-4-90-612469-5
  • 军事科学院军事历史研究所 編著 (2011). 抗美援朝战争史(修订版) 下巻. 军事科学出版社. ISBN 9787802374041.