「東京ラーメン」の版間の差分
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繊細な味を守り続ける店も多く、新規店でもこの東京ラーメンを追い求める店もある。ご当地ラーメンブームの中で強い脂や辛さを押し出す新種のラーメンとは対をなし、ブームを追いかけることなくラーメンの定番として昔からその人気は不変である。 |
繊細な味を守り続ける店も多く、新規店でもこの東京ラーメンを追い求める店もある。ご当地ラーメンブームの中で強い脂や辛さを押し出す新種のラーメンとは対をなし、ブームを追いかけることなくラーメンの定番として昔からその人気は不変である。 |
2018年9月13日 (木) 19:16時点における版
東京ラーメン(とうきょうラーメン)は、「醤油ラーメン」の代表であり、日本のラーメンの原型となっている[1][2]。多くの場合、和風だし、醤油タレ、中細縮れ中華麺が使用される。
東京には数千のラーメン店があり[3]、提供されるラーメンの味も多岐にわたる。
来歴
1910年(明治43年)当時流行の発信基地で繁華街であった浅草の「来々軒」が草分けだとされる事が多い[1]。また、現在のラーメンの基本を作り上げ、醤油ラーメンの発祥となり、チャーシュー(叉焼)とメンマ(支那竹)を初めて載せたともされている[2][4][5]。
繊細な味を守り続ける店も多く、新規店でもこの東京ラーメンを追い求める店もある。ご当地ラーメンブームの中で強い脂や辛さを押し出す新種のラーメンとは対をなし、ブームを追いかけることなくラーメンの定番として昔からその人気は不変である。
スタイル
現在まで続くオーソドックスなラーメンであり、違いはあるものの多くの場合は次のようなスタイルである。鶏がらをメインに野菜や豚骨(煮干しなども使用する店もある)を加えて沸騰させずに煮出した澄んだスープに、合わせるタレは醤油の和風タレで、表面にうっすらと脂が浮く。麺は20~40番の中細で、スープが絡みやすい縮れ麺を使用する[6]。チャーシュー、メンマ(シナチク)、薬味はネギ、色気はなると、青みはほうれん草を入れる。半熟卵や海苔を添える店もある。
異論もあるが、同種のラーメンとして、「八王子ラーメン」(ネギの代わりにタマネギを使用する)、「背脂チャッチャ系」(スープ表面に背脂を浮かせる)、「荻窪ラーメン」(荻窪駅周辺の蕎麦屋グループがメインで、スープの煮干しが強い)、「恵比寿ラーメン」(恵比寿駅周辺を中心とし、支那蕎麦や支那竹蕎麦が多い)などが挙げられることがある。
販売
ラーメン専門店、昔ながらのいわゆる中華料理店、インスタントラーメン(カップ麺、袋麺)、生麺(スーパーマーケットなど)、冷凍生麺で販売されている。
東京のラーメン店
東京のラーメン店数は日本一[3]となっているが、東京発祥の代表的なラーメンとしては、「つけ麺」-中野、「油そば」-武蔵野、「東京トンコツ醤油」-武蔵野、「ラーメン二郎」- 港区三田、など多数ある。
出典
- ^ a b 新横浜ラーメン博物館[リンク切れ] 「ラーメン黎明期」 日本初の店舗を構えたラーメン専門店
- ^ a b BIGLOBEラーメン帝国 用語集 「来々軒」 現在のラーメンの礎
- ^ a b “ラーメン店舗数の都道府県ランキング(平成24年)”. 2017年2月9日閲覧。
- ^ ただし、浅草『来々軒』創業前の、1909年(明治42年)3月25日に発行された『日本の家庭に応用したる支那料理法』〔著者:柴田波三郎(女子美術学校講師・日本女子商業学校講師)、津川千代子(成女高等女学校講師) 序文:石黒忠悳、山根正次、嘉悦孝 出版者:日本家庭研究會〕には既に、材料に「醤油・塩・コショウ・卵子饂飩・鶏肉・スープ・シイタケ・タケノコ・ホウレンソウ」を使った「鶏糸麺(鶏うどん)」のように、醤油を用いたラーメンの調理法が掲載されている。(「国立国会図書館デジタルコレクション」 2018年9月12日閲覧。)
- ^ 1907年(明治40年)に中華料理の教授を始めていた赤堀料理教場(赤堀割烹教場、赤堀料理学園)の奥村繁次郎講師が記した『実用家庭支那料理法』(1912年(明治45年)2月11日発行 校閲者:割烹大家・赤堀峯吉 発行者:林甲子太郎 印刷者:中村宗作 発行所:盛林堂)には、「叉焼肉(チャーシウユー)」(材料:豚ロース、醤油、タケノコ、ネギ、古根ショウガ、スープ)や「醤油(ヂャンユー)」(材料:豚肉、醤油、水、古根ショウガ)のような、チャーシューやメンマに類似した料理の調理法が紹介されている。(リンク先:赤堀料理学園「赤堀料理学園のあゆみ」、国立国会図書館デジタルコレクション 2018年9月14日閲覧。)
- ^ 東京ラーメン