「フランス領スーダン」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
Makecat-bot (会話 | 投稿記録) m r2.6.5) (ロボットによる: cs:Francouzský Súdánを追加 |
||
32行目: | 32行目: | ||
[[af:Frans-Soedan]] |
[[af:Frans-Soedan]] |
||
[[ar:السودان الفرنسي]] |
[[ar:السودان الفرنسي]] |
||
[[cs:Francouzský Súdán]] |
|||
[[da:Fransk Sudan]] |
[[da:Fransk Sudan]] |
||
[[de:Französisch-Sudan]] |
[[de:Französisch-Sudan]] |
2013年2月15日 (金) 13:51時点における版
フランス領スーダン(フランス語: Soudan français, 英語: French Sudan)は、1890年-1902年および1920年-1960年の間、西アフリカにあったフランスの植民地。フランス領西アフリカの一部であり、現在のマリ共和国の領域を管轄としていた。
歴史
前史
現在のマリ共和国の地域にフランス植民地政府が置かれたのは1880年のことである。当時はオート・セネガル植民地と呼ばれ、首都はカイに置かれた。
1890年〜1902年
1890年にはフランス領スーダンと改称され、1899年には首都はカイからバマコへと遷都された。
セネガンビア・ニジェール
1902年にはセネガルやニジェールと統合され、フランス領セネガンビア・ニジェール植民地植民地となった。
オート・セネガル・ニジェール
1904年にはフランス領オート・セネガル・ニジェール植民地となった。
1921年〜1960年
1919年にフランス領オートボルタ(現ブルキナファソ)が分離し、1921年12月1日には再びマリの領域だけで再独立してフランス領スーダンの呼称に戻った。
1933年にフランス領オートボルタが消滅した際、領土を増やした。
1958年10月4日の国民投票の結果、1958年11月25日にフランス領スーダンはフランス共同体の中で自治権を得た。その後各植民地の完全独立の動きが高まる中、フランス領スーダンの首相であるモディボ・ケイタは同じくフランス領セネガルの首相レオポール・セダール・サンゴールとともに両国の連合を組むことに合意し、1960年6月20日両国はマリ連邦として統一して独立した。しかし、両植民地の意見の食い違いにより、8月20日にセネガルは脱退し、わずか2ヶ月でマリ連邦は崩壊。残されたスーダンはマリ共和国として単独独立することとなった。