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'''船長の最後退船'''(せんちょうのさいごたいせん)とは、海事における伝統の一つで、[[船長]]が自分の[[船]]とその船に乗っている全ての人に対して最終的な責任を持ち、緊急時には船上の人を全て助けてから一番最後に退船するか、さもなくば死を覚悟するというものである{{efn|本項目において、特に注記のない限り、「船」「船長」には軍用艦艇の「艦」「艦長」も含まれるものとする。}}。'''船長は船と運命を共にする'''(The captain goes down with the ship)とも言う。
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1912年に沈没した客船「[[タイタニック (客船)|タイタニック]]」とその船長[[エドワード・スミス]]に関連して言及されることが多いが、この伝統は「タイタニック」沈没よりも少なくとも11年前には行われている<ref>{{cite book |last=John |first=Alix |title=The Night-hawk: A Romance of the '60s|url=https://archive.org/details/bub_gb_DrUXAAAAYAAJ |date=1901 |publisher=Frederick A. Stokes |location=New York |pages=[https://archive.org/details/bub_gb_DrUXAAAAYAAJ/page/n258 249] |quote=...for, if anything goes wrong a woman may be saved where a captain goes down with his ship.}}</ref>。船の遭難時、ほとんどの場合において、船長は自分の避難を後回しにして、他の人々を救うことに集中する。その結果、一番最後まで船に残ることになる船長は、船と共に沈んで死ぬか、一番最後に救出されることが多い。
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==歴史==
==歴史==
この伝統は、19世紀に作られた「[[ウィメン・アンド・チルドレン・ファースト]]」(女性と子供が第一)という別の行動規範と関連している。どちらも、[[ヴィクトリア朝]]時代の理想的な[[騎士道]]精神を反映したものである。当時の上流階級の人々は、神聖な名誉、奉仕、弱者への敬意に結びついた道徳を守ることが求められていた。これは、女性と子供は部族によって保護されるべきだという古代の規則に由来している。1852年の[[イギリス海軍]]の輸送船「{{仮リンク|バーケンヘッド (軍隊輸送船)|label=バーケンヘッド|en|HMS Birkenhead (1845)}}」の沈没事故では、女性や子供を先に避難させてその命を救った船長と兵士たちの行動は、多くの人々から賞賛された。[[ラドヤード・キップリング]]の詩"''Soldier an' Sailor Too''"や[[サミュエル・スマイルズ]]の『[[自助論]]』(''Self-Help'')では、船が沈んでいく中、気を引き締めてバンドを演奏した男たちの勇姿が取り上げられている。
この伝統は、19世紀に作られた「[[特別:まとめて削除/さかおり|ウィメン・アンド・チルドレン・ファースト]]」(女性と子供が第一)という別の行動規範と関連している。どちらも、[[ヴィクトリア朝]]時代の理想的な[[騎士道]]精神を反映したものである。当時の上流階級の人々は、神聖な名誉、奉仕、弱者への敬意に結びついた道徳を守ることが求められていた。これは、女性と子供は部族によって保護されるべきだという古代の規則に由来している。1852年の[[イギリス海軍]]の輸送船「{{仮リンク|バーケンヘッド (軍隊輸送船)|label=バーケンヘッド|en|HMS Birkenhead (1845)}}」の沈没事故では、女性や子供を先に避難させてその命を救った船長と兵士たちの行動は、多くの人々から賞賛された。[[ラドヤード・キップリング]]の詩"''Soldier an' Sailor Too''"や[[サミュエル・スマイルズ]]の『[[自助論]]』(''Self-Help'')では、船が沈んでいく中、気を引き締めてバンドを演奏した男たちの勇姿が取り上げられている。


==社会的・法的責任==
==社会的・法的責任==

2021年6月3日 (木) 02:58時点における版

客船「タイタニック」沈没時の船長エドワード・スミス

船長の最後退船(せんちょうのさいごたいせん)とは、海事における伝統の一つで、船長が自分のとその船に乗っている全ての人に対して最終的な責任を持ち、緊急時には船上の人を全て助けてから一番最後に退船するか、さもなくば死を覚悟するというものである[注釈 1]船長は船と運命を共にする(The captain goes down with the ship)とも言う。

1912年に沈没した客船「タイタニック」とその船長エドワード・スミスに関連して言及されることが多いが、この伝統は「タイタニック」沈没よりも少なくとも11年前には行われている[1]。船の遭難時、ほとんどの場合において、船長は自分の避難を後回しにして、他の人々を救うことに集中する。その結果、一番最後まで船に残ることになる船長は、船と共に沈んで死ぬか、一番最後に救出されることが多い。

歴史

この伝統は、19世紀に作られた「ウィメン・アンド・チルドレン・ファースト」(女性と子供が第一)という別の行動規範と関連している。どちらも、ヴィクトリア朝時代の理想的な騎士道精神を反映したものである。当時の上流階級の人々は、神聖な名誉、奉仕、弱者への敬意に結びついた道徳を守ることが求められていた。これは、女性と子供は部族によって保護されるべきだという古代の規則に由来している。1852年のイギリス海軍の輸送船「バーケンヘッド英語版」の沈没事故では、女性や子供を先に避難させてその命を救った船長と兵士たちの行動は、多くの人々から賞賛された。ラドヤード・キップリングの詩"Soldier an' Sailor Too"やサミュエル・スマイルズの『自助論』(Self-Help)では、船が沈んでいく中、気を引き締めてバンドを演奏した男たちの勇姿が取り上げられている。

社会的・法的責任

船長は、全ての乗船者の避難が完了してから最後に退船するか、全ての乗船者の避難ができないときは、たとえ自分が助かることができたとしても退船せずに船と運命を共にするという伝統がある[2]。社会的文脈の中で、船長は社会的規範としてこの責任を負わなければならないと感じるだろう。 海事法では、船の状態がどのようなものであっても船主の責任が最優先されるので、船を放棄することはサルベージの権利の性質を含めて法的な結果をもたらす。従って、船が遭難したときに、船長が船を放棄して避難したとしても、船長が不在の間の出来事についても船長は一般的に責任を負うことになり、船の危険性が容認されるまでは船に戻らざるを得ない。

遭難した船を見捨てることが犯罪とみなされることがある[2]。2012年のコスタ・コンコルディアの座礁事故において、フランチェスコ・スケッティーノ船長は乗客よりも先に避難した。その行為が広く非難されただけでなく、乗客を見捨てた罪で1年、難破事故を起こした罪で5年、犠牲者を過失致死した罪で10年の、計16年の実刑判決が下された。船長が船を見捨てることは、スペイン、ギリシャ、イタリアで何世紀にもわたって海事犯罪として記録されてきた[3]。韓国の法律では、船長は一番最後に避難することが義務付けられている[4]。フィンランドの海事法では、船長は遭難した船に乗っている全員を救うために全力を尽くさなければならず、船長の命が直ちに危険にさらされない限り、救えるという合理的な希望がある限り、船を離れてはならないと定めている[5]。日本では、旧船員法第12条において船長の最後退船の義務が規定され、違反者には懲役刑が科せられていたが、1970年に改正され、やむを得ない場合には離れることができることとなった。アメリカでは、船を捨てることを違法行為とする明確な法律はないが、船長は、何世紀にもわたって受け継がれてきたコモンロー判例を包含する過失致死などの罪に問われる可能性がある。国際海事法上は、遭難した船を船長が見捨てることは、違法ではない[6]

著名な例

2012年10月29日、ハリケーン・サンディによって沈没した帆船「バウンティ英語版」(16世紀の同名の帆船のレプリカ)。発電機が停止して船が浸水し、ウォルブリッジ船長を含む2名が死亡した。

反対の例

船長は、船と共に沈んで死ぬよりも、船を自沈させて危険から逃れることを選ぶ場合もある。この選択は通常、損傷によって船の乗客や乗員の大部分が直ちに危険にさらされることがない場合にのみ可能である。遭難信号が成功し、乗組員や乗客、船の貨物などが救出された場合、その船はサルベージする価値がなく、沈没させられることになる。また、プエブロ号事件のように、敵の軍事組織に船舶が拿捕され調査されるのを防ぐために、遭難した船を破壊する場合もある。また、貨物として運んでいる商品や軍需品を相手側に捕獲されるのを防ぐために破壊する場合もある。

また、船長が自分の身を守るために、乗組員や船舶、その任務を犠牲にする場合もある。船の指揮の責任を回避することにより、通常、船長は法的・刑事的・社会的な罰を受けることになる。

  • 2014年4月16日、韓国の貨客船「セウォル」が転覆・沈没した。イ・ジュンソク船長は真っ先に船を脱出した。船長と乗組員の多くは救助されたが、乗組員の指示に従って船室に残った修学旅行中の檀園高等学校の生徒・教員261人を含む[24][4]304人が犠牲となった。船長は2014年6月初旬に逮捕され、裁判にかけられた。過失致死により懲役36年、さらに、死亡した304人に対する殺人罪が認められ、終身刑となった。
  • 2015年6月1日、中国のリバークルーズ船「東方之星」は長江で転覆・沈没した。船長は、ほとんどの乗客が救助される前に船を離れた。442人の死亡が確認され、生存者は14人だけだった[25]

準用、隠喩的な使用法

比喩的に、「船長」を集団のリーダー、「船」を何らかの大惨事、「運命を共にする」を厳しい罰や死を意味する状況に置き換えてこの言葉を使う場合がある。軍隊において、あるいは、集団の中のリーダーシップが明確な場合に参照されるのが一般的である。例えば、鉱山内部で大規模な火災が発生し、鉱山の監督者が、中に閉じ込められた労働者を救出しようとして亡くなった場合に、「船と運命を共にした」と言ったりする。

航空事故

パンアメリカン航空006便不時着水事故。太平洋への着水に成功した後、2つの救命ボートで乗員・乗客全員が避難した(オッグ機長は後の救命ボートに乗っている)。この写真が撮影された数分後に飛行機は沈没した。

この概念は、航空機機長に対しても、法的に明確に準用されており、「(機長は)飛行の操作と安全性に関する最終的な権限と責任を有する」という形で述べられている[26]

この概念は、航空機が海や川に墜落または着水した後、機体が水中に沈むことがほぼ確実となった場合に特に関係する。例えば、2009年USエアウェイズ1549便不時着水事故においては、機体がハドソン川に不時着水した後、機長のチェズレイ・サレンバーガーは、乗客がいないか最終確認を行ってから、航空機を最後に脱出した[27][28][29]1956年10月16日パンアメリカン航空006便不時着水事故では、乗員・乗客31名全員が救出されたが、機長のリチャード・N・オッグは最後に飛行機から出て来た[30]

1968年日本航空サンフランシスコ湾着水事故における日本航空002便の機長は、1988年に出版された著書の中で自分のミスを正直に評価したことで有名になった。この事故は、着陸時の操縦ミスにより、滑走路の数マイル手前のサンフランシスコ湾に着水、座礁したものである[31]。着水地点は水深の浅い場所であり、乗員・乗客107人全員が無傷で生還したが、飛行機から一番最後に出てきたのは機長だった[32]

比喩的な用法

ベイラー大学で起きた大規模な性的暴行スキャンダルの後、同大学はケネス・スター学長を解任して総長に任命した。その1週間後、スターは総長を辞任し、「明らかに不十分であった」ベイラー大学の行動に対し、進んで責任を引き受けた。スターは、このスキャンダルによる辞任は「良心の問題」であり、「船長は船と運命を共にする」と述べた[33]

脚注

注釈

  1. ^ 本項目において、特に注記のない限り、「船」「船長」には軍用艦艇の「艦」「艦長」も含まれるものとする。

出典

  1. ^ John, Alix (1901). The Night-hawk: A Romance of the '60s. New York: Frederick A. Stokes. pp. 249. https://archive.org/details/bub_gb_DrUXAAAAYAAJ. "...for, if anything goes wrong a woman may be saved where a captain goes down with his ship." 
  2. ^ a b Must a captain be the one-off a sinking ship?”. BBC News (2012年1月18日). 2015年6月6日閲覧。
  3. ^ Hetter, Katia (2012年1月19日). “In a cruise ship crisis, what should happen?”. CNN. 2015年6月6日閲覧。
  4. ^ a b Drew, Christopher; Mouawad, Jad (2014年4月19日). “Breaking Proud Tradition, Captains Flee and Let Others Go Down With Ship”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2014/04/20/world/asia/in-sad-twist-on-proud-tradition-captains-let-others-go-down-with-ship.html?_r=0 2014年4月20日閲覧。 
  5. ^ Merilaki 6 Luku 12 §. 15.7.1994/674 - Ajantasainen lainsäädäntö” (フィンランド語). FINLEX, database of Finnish Acts and Decrees (2015年). 2015年6月6日閲覧。
  6. ^ Longstreth, Andrew. “Cowardice at sea is no crime – at least in the U.S.”. Reuters. 2013年6月13日閲覧。
  7. ^ Day 9 - Testimony of Edward Brown (First Class Steward, SS Titanic)”. British Wreck Commissioner's Inquiry (1912年5月16日). 2015年6月6日閲覧。
  8. ^ "Capt. Smith Ended Life When Titanic Began To Founder (Washington Times)". Encyclopedia Titanica. 19 April 1912. 2015年6月6日閲覧
  9. ^ Bartlett 2011, p. 224.
  10. ^ Spignesi, Stephen (2012). The Titanic for Dummies. John Wiley & Sons. p. 207. ISBN 9781118206508. https://books.google.com/books?id=jqO__ScTpnMC&pg=PA207 2012年11月6日閲覧。 
  11. ^ Day 14 - Testimony of Harold S. Bride, recalled”. United States Senate Inquiry (1912年5月4日). 2015年6月6日閲覧。
  12. ^ On a Sea of Glass: The Life & Loss of the RMS Titanic by Tad Fitch, J. Kent Layton & Bill Wormstedt. Amberley Books, March 2012. pp 335
  13. ^ Steamer Pietro Maroncelli - Ships hit by U-boats - German and Austrian U-boats of World War One - Kaiserliche Marine - uboat.net”. uboat.net. 2021年6月3日閲覧。
  14. ^ Grützner 2010, p. 202.
  15. ^ McGowen 1999, pp. 58–59.
  16. ^ Lord 1967, pp. 249–251
  17. ^ Toshihira Inoguchi”. World War II Database (2015年). 2015年6月6日閲覧。
  18. ^ Andrews, Evan. “The Sinking of Andrea Doria”. HISTORY. 2021年6月3日閲覧。
  19. ^ Pecota, Samuel (2012年1月18日). “In Andrea Doria wreck, a captain who shone”. CNN. 2021年6月3日閲覧。
  20. ^ Sun, By Frederick N. Rasmussen, The Baltimore (2012年2月26日). “Some captains show bravery, others cowardice in face of maritime disasters”. baltimoresun.com. 2021年6月3日閲覧。
  21. ^ Ware, Beverley (2013年2月15日). “Witness recounts Claudene Christian's last minutes on Bounty. The Chronicle Herald (Halifax, Nova Scotia). http://thechronicleherald.ca/novascotia/696424-witness-recounts-claudene-christian%E2%80%99s-last-minutes-on-bounty 2015年6月6日閲覧。 
  22. ^ “Bounty crew member's body found, captain still missing”. Canadian Broadcasting Corporation. (2012年10月29日). http://www.cbc.ca/news/canada/nova-scotia/story/2012/10/29/ns-hms-bounty-hurricane-sandy.html 2012年10月29日閲覧。 
  23. ^ "Coast Guard suspends search for missing captain of HMS Bounty" (Press release). United States Coast Guard. 1 November 2012. 2012年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月1日閲覧
  24. ^ “참사 2주째 승무원도 제대로 파악 안돼 [Exact Number of Crew still not known 2 weeks after the ferry disaster]” (朝鮮語). The Hankyoreh. (2014年4月20日). http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/634984.html 2014年5月3日閲覧。 
  25. ^ Yangtze River Ship Captain Faces Questions on Sinking”. The Wall Street Journal (2015年6月2日). 2021年6月3日閲覧。
  26. ^ Title 14 Chapter I Subchapter A Part 1 §1.1”. Code of Federal Regulations (2015年). 2015年6月6日閲覧。
  27. ^ Chesley 'Sully' Sullenberger: US Airways crash pilot”. The Guardian (2009年1月16日). 2021年3月29日閲覧。
  28. ^ Pilot Is Hailed After Jetliner’s Icy Plunge”. The New York Times (2009年1月16日). 2021年3月29日閲覧。
  29. ^ US Airways Hero Pilot Searched Plane Twice Before Leaving” (英語). ABC News (2009年1月15日). 2021年3月29日閲覧。
  30. ^ This Day in Aviation, 16 October 1956, 2016, Bryan R. Swopes
  31. ^ Silagi, Richard (2001年3月9日). “The DC-8 that was too young to die”. Airliners.net. 2016年8月25日閲覧。
  32. ^ “107 On Board Uninjured As Jetliner Lands In Bay”. Toledo Blade. AP. (1968年11月22日). https://news.google.com/newspapers?id=MPdOAAAAIBAJ&sjid=qAEEAAAAIBAJ&pg=6556%2C1452567 2016年10月12日閲覧。 
  33. ^ Starr won't be Baylor chancellor, will teach”. ESPN.com (2016年6月1日). 2021年6月3日閲覧。