福井丸
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福井丸(ふくいまる)は右近権左衛門所有の船。
鉄製の貨客船で、総トン数2943トン、長さ97.6m、幅11.9m[1]。主機は2連成汽機1基で、出力241公称馬力であった[1]。
前身はイギリスのサンダーランド造船所で1882年に建造されたアダム・ブラザース社(後にアダム・スティーム・シップ社と改名)の[要出典]「アバーゲルディ (Abergeldie)」で、1894年に右近権左衛門が購入した[1]。「福井丸」は主に日本海航路で運航された[1]。
1904年3月、「福井丸」は第二回旅順口閉塞作戦に投入された。「福井丸」の指揮官は広瀬武夫少佐であった[2]。作戦時、港口近くで投錨した「福井丸」内で爆薬を起爆して自沈させようとしていたところ、「福井丸」はロシア駆逐艦「シーリヌイ」の雷撃を受けて被雷し沈没した[3]。「福井丸」の隊員は駆逐艦「霞」に収容された[4]。「福井丸」では18名中、広瀬以下4名が戦死した[4]。
この後福井丸は引き揚げられ、明治四十年に解体された。[要出典]
海上自衛隊舞鶴地方総監部の海軍記念館には福井丸の木材を使った額縁がある。絵には福井丸から脱出する閉塞隊員が描かれ、額縁には沈没していたときのカキ殻が付いている。[要出典]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 真鍋重忠『日露旅順海戦史』吉川弘文館、1985年、ISBN 4-642-07251-9