「マインドコントロール」の版間の差分

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理論的な根拠がないにもかかわらず、社会的に概念が受け入れられている背景としては、現代国家において、「消費者の欲望を喚起して需要を掘り起こすコマーシャリズムの戦略」が常にとられているために、「いつの間にか誰かに操られているのではないか」という感じる体験は特殊でないためとも言われる{{Sfn|櫻井義秀 |1997|p=117}}。
理論的な根拠がないにもかかわらず、社会的に概念が受け入れられている背景としては、現代国家において、「消費者の欲望を喚起して需要を掘り起こすコマーシャリズムの戦略」が常にとられているために、「いつの間にか誰かに操られているのではないか」という感じる体験は特殊でないためとも言われる{{Sfn|櫻井義秀 |1997|p=117}}。

== 現代の学者の見解 ==
* [[北海道大学]]教授をつとめる[[宗教学者]][[櫻井義秀]]は、学者間の議論において、反カルト集団による「対抗的ドグマ以外の何ものでもないことが明白である」ことが結論づけられているとし、宗教学的ないしは心理学的な研究結果による概念ではなく、[[資本主義社会]]で使用される[[コマーシャルメッセージ]]と同様の手法であると述べている{{Sfn|櫻井義秀 |1997|pp=114-115}}。
* [[立正大学]][[心理学部]]教授([[社会心理学]])の[[西田公昭]]が、[[1994年]]に発表した「マインドコントロール」に関する学術[[論文]]で、「マインドコントロールとは、[[虚構]]ないしは[[似非科学]]である」と述べている。


== 心理操作 ==
== 心理操作 ==

2015年8月25日 (火) 11:58時点における版

マインドコントロール: Mind control)とは、他人の思想や情報をコントロールし、個人が意思決定する際に、特定の結論へと誘導する技術[1] を指す概念である。「マインドコントロール理論」とも呼ばれる。「マインドコントロール」の存在について、心理学的にも医学的にも宗教学的にも議論されたが、理論的学問的な根拠はなく、虚構似非科学とも言われ、一般社会で言われる心理操作(マインド・トリック)ないしはコマーシャルメッセージと同じ手法であると結論づけられている[2]。暴力等の強制力を用いる洗脳とは異なる[3]

発祥

1970年代アメリカにおいて、「マインド・コントロール理論」が生まれ、信者と利害関係にある反カルト(アンチカルト)集団が、「信者の奪回・脱会を促進するという自らの行動を正当化するため」に、「対抗的ドグマ」として用いられ,当初から価値中立的な使用はされなかった[4]。まったく別人のようになった理由は、複数の解釈が成り立つものであり、心理操作のみが要因とは言えない[4]

1970年代後半-80年代にかけて、社会心理学的操作理論としての「マインドコントロール理論」についての議論が尽くされた結果、カルト的な行動支配とは限らない、一般的な心理操作技術であるという結論に達した。つまり、マインドコントロールは、通常の心理操作、すなわち、消費社会におけるコマーシャルと同じ手法を指す[5]

日本

統一教会の信者の奪回・脱会を目的とした弁護士らからなる反カルト集団により、概念が持ち込まれた[4]。反カルト集団の代表弁護士紀藤正樹によると、1992年の統一教会の合同結婚式に参加した山崎浩子が、翌1993年に婚約の解消と統一教会から脱会を表明した記者会見で、「マインドコントロールされていました」と発言したことと、同日発売の、元統一教会員による『マインド・コントロールの恐怖』という本により、“マインドコントロール”という言葉が広く認知されるようになった、としている[6] [7]

1995年にオウム真理教事件が起こると、マスコミや反カルト運動家は、犯罪を犯した信者の心理状態を示す格好の言葉として使用した[4]。さらに、信者の裁判で、一部の反カルト集団の心理学者が心理鑑定の際に、「マインド・コントロール論」を根拠としたため、教団側がマインドコントロールを行っていたと、社会的に認知されてしまった[4]。また、一部の弁護士による法的戦術として、被告の信者が「マインドコントロールされていた」と主張し,「通常の判断能力が欠損しており、責任能力をかけていた」などの弁護がされた[4]。そのため、反社会的宗教団体が信者を動員して犯罪をなした理由として、ジャーナリズムにより宣伝され、世論に根付いた[4]

理論的な根拠がないにもかかわらず、社会的に概念が受け入れられている背景としては、現代国家において、「消費者の欲望を喚起して需要を掘り起こすコマーシャリズムの戦略」が常にとられているために、「いつの間にか誰かに操られているのではないか」という感じる体験は特殊でないためとも言われる[8]

心理操作

実例

コマーシャルで用いられる心理操作の手法が、悪徳商法カルトマルチ商法自己啓発セミナー、軍隊などにおいても用いられている。

好意の返報性
人から好意を受けると、その好意に応えたくなる心理のこと。この心理を利用して、勧誘側から讃美の言葉や手書きの手紙などによって、被勧誘者へ向けて好意が繰り返し示される(「この乱れた風潮の中で人生を真剣に考えているなんて、すごい! 貴方は素晴らしいです!」など)。
ローボール(低い球)
いきなり「○○会に入りませんか?」「××が教祖です」と言われても、一般に人は心理的抵抗を感じるが、「お時間あります?」「手相の勉強をしています」「ちょっとだけ時間ください、ここでいいですから」「お金はかかりません」「そこの喫茶店で30分だけ話を聞いてください」「やってみなければ、わからない」という誘い方をされると、心理的抵抗感が薄れやすくなる。このような心理を利用した勧誘テクニックのことを、まず受け取りやすい低いボールを投げることからローボールテクニックと呼ぶ。投げられるボールは適当な期間を置いて、少しずつ高くなっていく。最初は無料チケットで絵画展やコンサートに誘い、次の誘いに応えやすい心理が作り出される(団体への勧誘する目的などは、当初、意図的に伏せられる場合が多い)。
権威性
著名人との関係を強調されることで、人間は心理的に人や団体を信用しやすくなる。団体の代表とその著名人との接触が、たとえ過去の数時間の1度限りであったとしても、その対談・握手写真などが、その後、長期間にわたり被勧誘者や支持者に対して繰り返し利用されることがある(例:「ゴルバチョフと団体の代表」)。また、その団体が関連性を隠して、別の団体名でイメージ戦略等で行っている社会的に受け入れられやすい活動(福祉活動、平和活動、家庭再建、青少年教育など)に賛同を示した著名人が、あたかもその団体の理念や活動に賛同しているかのように宣伝されることもある。また、著名芸能人がその団体のメンバーであることなども利用される(広告塔効果)。
希少性
「限定○○個!」「期間限定!」「あなただけにプレゼント!」「ここだけの話」など、数量や期間・対象を限られることによって惹きつけられる心理のこと。また、団体への勧誘時に「転換期って知っていますか?」、「今ならもっと偉い先生に見てもらえます!」、「貴方は選ばれた人なのです」といった言葉で希少性の心理に訴えかける。
コミットメント(関与)の一貫性
「つじつまの合う自分でいたい」という人間心理。日常的な場面では「せっかく名前や住所を書いて入会無料で作った会員カードなのだから、使ってみよう」と考えること。宗教の導入部分では「ここまで時間をかけて話を聞いてしまったのだから、試しにやってみよう」と思うこと。マインドコントロールの最終的な局面では、「ここまで、この教えで歩んで来たのだから、○○に参加しよう」「全身全霊をかけて信仰すると誓ったから、全財産を献金して献身生活に入ろう」など、「何のために今まで…」という考えかたにあらわれる。
知覚のコントラスト(対比)
心理的に対照的な刺激を受けると、人間の知覚や認識に対比効果が出ることを「知覚のコントラスト」という。「原爆展などの戦争写真展を見た後では、何気ない普段どおりの公園の風景でも光り輝いて見える」という心理のこと。日常的には「高級店で高価な値札を見た後で安価な店に立ち寄った際に、普段は手が出ない商品でも安く感じられる」という人間心理にあらわれる。一部宗教団体や思想団体での勧誘では、「戦争・飢え・差別・殺人・自殺・不倫・離婚」など、世の中の暗い面を過剰に強調した映画やビデオ等で被勧誘者に対して叩き込まれ、被勧誘者は一時的に絶望的な心理に追い込まれる。被勧誘者は、その暗く八方ふさがりな心理にある中で、明るい出口としてその団体の理想や行動が示されたり、その流れで教祖の名前や写真が明かされたりするため、それらが実際以上に光り輝いて見えてしまう。
恐怖心
一部の宗教団体では「脱会すると不幸になる」と教えられる。教義として教えられなくとも、脱会して不幸になった事例が、まことしやかに繰り返し示され、恐怖心が喚起される。「不幸になる」と言われる対象はその宗教によって異なり、「霊界の先祖」「本人」「親・兄弟・親戚」「子孫」など様々である。「教えを聞く前ならともかく、教えを知ってから脱会すると絶対に救われない」というレトリックも利用される。また、脱会の場合だけではなく、仮にその団体から一時的に距離を取りたいと申し出ても、「悪魔が入る」「地獄に行く」などと言われ、その表現は様々であるものの、刷り込まれた恐怖心によって、団体から距離と時間を置くことが出来なくなる。[独自研究?]

手法

この技法は、ある特定の目的に向かうよう、そのように思い、考え、行動するべく誘導するものである。本来、自由であるべき個人の行動原則を誘導・操作するため、道義的な問題をはらむ部分があり、マインドコントロールの手法に対する批判が多々あるが、この技法を利用して社会規範意識の刷り込みによる犯罪者の矯正や、心理的に手を出してしまいやすい薬物依存に悩む人の意識改革を目指すグループも存在する[9]

グループ活動
グループによる勧誘活動や訪問販売活動を行わせる。それが頻繁かつ長時間であればあるほど「コミットメントの一貫性」(なんの為に今まで)の心理が働き、たとえ教義に疑問を持ったとしても信仰生活を無駄だったとは思えなくなり従来の生活を長引かせる。
しつけ的な手法(入信後)
マインドコントロールの手法として特に顕著に見られる手法は、事ある毎に膨大な規則を与えて、それらに従うように仕向け、時にはその理由を知る事や考える事を禁止し、その通りに行動すれば非常に賞賛し、僅かでも外れれば強引に説得して、次第にその規則に無意識に従うように「しつける(犬に芸を教えるように仕込む)」事である。
この「躾(しつけ)」が繰り返されると、常識や個人的価値観、果ては良心や善悪感までもが失われてしまうことがある。そのためコントロールされている者は非常識な振る舞いをしても、当の本人は自分が正しいと思い続けており、何の疑問も感じないことにもなる。しかし、怨念、依存、執着といった一般には歓迎されない感情・精神的状態を抑制するために、マインドコントロールが有効であるとの見解もある[独自研究?][要出典]

解放手段

マインドコントロール状態を維持するために、多くの場合は与えられた規則自体に疑問を持つことを厳重に禁止されている場合が多い。 この段階に入ると、外部からの否定的な干渉があっても、逆にマインドコントロールを強化する結果になる事があるため、対処法は行動をコントロールする団体から引き離して、与えられた条件付け行動を規制し、日常生活を通して徐々に自分で考えさせるように仕向ける方法が有効とされている。また、コントロールされた人間が、過剰な拒絶行動を示さないような当り障りのない話題を選んで与え、それらを基盤に信頼関係を築いて、そこから徐々に「コントロールしようとしていた団体は、実は常識的に見て、おかしかったんじゃないか?」と本人に気付かせる方法がある。

真っ向から否定するのではなく、当人に気付かせ、問題行動や自己規制を止めさせていくためにも、信頼関係の回復は重要である。誘拐同然に強引にマインドコントロールをしていると目される団体から引き離した場合、支配を被っている側は精神的な支柱を団体側に依存しているなどの傾向があるため、強い精神的ショックを受ける。強引に引き離す行為は、その手段にもよって心的外傷(トラウマ)を被る可能性があることがS.ハッサン『マインドコントロールの恐怖』にも示されており、こういった心理面でのケアも併せて必要だといえよう。

なおこういった離脱プロセスに対しては、コントロール側が離脱を助けようとする活動にネガティブなイメージを予め被支配側に教え込んでいる場合もあり、例えば家族がそういった離脱プロセス関連の組織・団体に依頼した場合、「家族が敵に騙されたのだ」という情報を与えているなどといった問題もみられる。その面でも、信頼と相互関係の回復は、被支配側が「コントロールする側と、それらからの引き離しを希望する側の、どちらがより善意に基いているか」という自分自身の考えによる判断を始めるための重要な前段階だと解されている。

これらの過程では、自らの価値観を再構築する段階にもよって、無気力感や情緒不安定など、脱会してからの「後遺症」を示す。この長さは、これまで生活していた期間分にわたって続くことが平均的である。過去に大きな問題となっているような団体では、各々に元信者(脱退者)等から成る反カルト集団(被害者グループとも名乗る)も存在しており、それらが救出カウンセリングを行っているケースも多く見られる。[独自研究?]

応用

往々にして、人間の精神を蝕み、破壊するかのように考えられているマインドコントロールではあるが、自己暗示の一つとして能力開発への応用すること[10]犯罪抑止やタバコアルコール等を含む薬物依存の治療などに効果的だと考える動きもある[11]

しかし、人心を操作する手法であり、倫理面での問題があるため、慎重論が多いのもまた事実である。

性犯罪者への利用
一般的に性犯罪者の多くは、衝動的に犯行を重ねるケースが多いが、このマインドコントロール手法を使って、性的興奮を条件反射で押え付ける犯罪抑止の実験が、アメリカなどの刑務所が飽和状態にある国で研究されている。特に児童を対象とした性犯罪者の多くは、自律的な自己抑制が効きにくい事から、当人の了解の上で刑期の短縮や再就職先の斡旋を含め、条件付けを行い、社会復帰を促す臨床実験段階にあるという。そう遠くない未来には、それらの犯罪行為は、治療を必要とする物という認識も出てくるのかもしれない。
薬物使用者への利用
薬物依存の場合、禁断症状の苦しさもさることながら、薬物使用に対して心理的なハードルが低い代わりに、止めた際の心理的ダメージの大きさが一部から挙げられている。たとえば薬物依存に陥っていたという負い目から、社会的に孤立しやすく再依存しやすいこれらの人々にとって、安易な薬物使用だけが唯一の心の支えになってしまっている場合である。しかし実質的に悪循環であるため、この連鎖を断ち切る上で、マインドコントロール手法を用いられないか?というものである。これらはまだ、理論的な検証段階にあるが、グループセラピーと併用すれば、格段に再使用防止に役立つのではないかという考えである。[独自研究?]

批判的見解

ある種の宗教団体が信者に対してマインドコントロールをしているといういわゆる「マインドコントロール理論」は、米国の裁判においては採用されなかった。この理論の主唱者であった心理学者のマーガレット・シンガーは、米国心理学会内の有志によって、彼女の主張は科学的な裏付けが乏しく心理学者の間で一般に認められてはいないことを指摘する法定助言書が提出されたことにより、裁判で専門家として証言することを裁判官から許されなかった。このように、この理論は疑似科学と見なされるべきだとする学者もいる。

シンガーを議長とした米国心理学会 (APA) の「説得と支配の欺瞞的・間接的テクニックに関する特別委員会 (DIMPAC)」報告書のマインド・コントロール理論は、1987年APAの社会的倫理的責任委員会 (BSERP) によって「科学的厳密さとAPAの承認を得るのに必要な批判的方法に欠ける」とされ却下された。BSERPはDIMPACメンバーに対し、「BSERPはこの報告書を容認できないとした」ことを明示した上でなければ報告書を公表しないように、またDIMPACメンバー任命の事実をもって「米国心理学会が報告書の内容に支持あるいは賛意を与えた」と示唆するような主張をしないように警告した。[独自研究?]

信教の自由との問題

基本的人権には「信教の自由」があり、これは当人が如何なる信教を支持しようとも、それは当人の自由であるという理念が存在する。ただ、これがマインドコントロールの問題では、反カルト集団の弁護士は、当人の価値観が操作され、健全な判断能力を失っていると主張する。この場合において、信教の自由と当人の保護という問題の狭間で、議論も見られる。

統一教会の裁判では、反カルト団体の裁判戦術として、同団体がマインドコントロール手法を用いているという訴えがなされ、脱会説得をめぐり、当人の自由意志が「信用できない」「責任能力がない状態」等の主張がなされた。当人の主観(→客体)とっては「不当な拉致監禁や人権に対する侵害」となり、一方の当人がマインドコントロールされているとみなしている側にとっては「保護と説得による霊感商法からの離脱」となる。当人が信教の自由を訴え、第三者がマインドコントロールを主張する場合には、憲法で保障されている権利侵害にあたる可能性もあるため、慎重な判断が求められる。

裁判実例

オウム真理教の裁判
死者12人を出した「地下鉄サリン事件」の実行犯、横山真人被告に対し、1999年10月1日、東京地裁は「マインドコントロール下の能力減退は認められない」として死刑判決を出した。
2000年 6月6日、「地下鉄サリン事件」など10事件で起訴されたオウム真理教井上嘉浩被告に対して、東京地裁は、検察の死刑求刑に対し無期懲役との判決を下した。井上弘通裁判長は「死刑を選択することは当然に許されるべきで、むしろそれを選択すべきであるとすらいえる」としながらも、西田公昭の「修行を通してマインドコントロールを受け、松本被告の命令に反することができなかった」との鑑定結果を受け、「有利な情状の一つとして評価できる」として極刑選択を避けた。但し、控訴審では死刑判決を受け、2009年12月10日上告棄却[12]2010年1月12日に上告審判決に対する訂正申し立てが棄却され[13]、死刑が確定した。
統一教会」(統一協会)に対する青春を返せ訴訟
元「統一教会」の信者が、教団のマインドコントロールという不当な手段を用いての勧誘、教化の違法性を問う裁判。教団側は、マインドコントロールというものの存在を否定し、入信は自由意思によるものであると主張してきた。訴訟の当初、裁判所は「原告らの主張するいわゆるマインドコントロールは、それ自体多義的であるほか、一定の行為の積み重ねにより一定の思想を植え付けることをいうと捉えたとしても、原告らが主張するような強い効果があるとは認められない」(1998年3月26日 名古屋地裁)などとして元信者側の主張を退けてきたが、1997年4月19日の奈良地裁の「『統一教会』の献金勧誘システムは、不公正な方法を用い、教化の過程を経てその批判力を衰退させて献金させるものと言わざるを得ず、違法と評価するのが相当である」とした判決や、 2001年 最高裁において「統一教会」の上告が棄却され、元信者側の勝訴として確定した広島高裁岡山支部判決では、不法行為が成立するかどうかの認定判断にマインドコントロールという概念は使えないとしたものの、「教義の実践の名のもとに他人の法益を侵害するものであって、違法なものというべく、故意による一体的な一連の不法行為と評価される」と述べた判決は、実質的には「マインドコントロール」を認めたのと同然と評価する向きもある[1]
  • 学者からは「マインドコントロール論」が否定されており、法律も存在しないが、反カルト集団の弁護人が「マインドコントロールされていたために、ふつうの判断ができる状態ではなかった」と責任能力の欠如を主張するために裁判戦略としてしばしば用いられる。判例のレベルで概念の蓄積が成されている場合もあるが、国によって態度に違いがある。同じ国でも正反対の判決が出る場合もあり、未だ微妙な領域といわざるを得ない。

関連項目

脚注

  1. ^ 三省堂『大辞林』、『実用日本語表現辞典』
  2. ^ 櫻井義秀 1997, p. 116.
  3. ^ 『実用日本語表現辞典』
  4. ^ a b c d e f g 櫻井義秀 1997, p. 115.
  5. ^ 櫻井義秀 1997, p. 114.
  6. ^ 紀藤正樹(著)『21世紀の宗教法人法』(朝日新聞社 1995年11月 ISBN 9784022730688
  7. ^ 宗教社会学の会(編) 『新世紀の宗教―「聖なるもの」の現代的諸相』(創元社 2002年11月)ISBN 978-4422140223
  8. ^ 櫻井義秀 1997, p. 117.
  9. ^ スティーヴン・ハッサン著 浅見定雄 (訳) 『マインド・コントロールの恐怖』(恒友出版 1993年6月) ISBN 978-4765230711
  10. ^ 小林惠智著『マインド・コントロールのすすめ―そのメカニズムと積極的活用法』(1995年11月)ISBN 978-4769807377
  11. ^ マデリン・ランドー トバイアス (著), ジャンジャ ラリック (著), Madeleine Landau Tobias (原著), Janja Lalich (原著), 南 暁子 (訳), 上牧 弥生 (訳) 『自由への脱出―カルトのすべてとマインドコントロールからの解放と回復』(中央アート出版社 1998年9月) ISBN 978-4886398703
  12. ^ “地下鉄サリン事件、井上被告の死刑確定へ 最高裁”. 日本経済新聞. (2009年12月10日). http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20091210AT1G1001H10122009.html 2009年12月10日閲覧。 
  13. ^ “オウム事件、井上被告の死刑確定 9人目”. 共同通信. (2010年1月13日). http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010011301000753.html 2010年1月14日閲覧。 

参考文献

外部リンク