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'''ユキチャン'''は[[日本]]の[[競走馬]]、[[繁殖牝馬]]。
'''ユキチャン'''([[2005年]][[3月28日]] - )は[[日本]]の[[競走馬]]、[[繁殖牝馬]]。


2007年に[[中央競馬]]でデビュー。[[サラブレッド]]では希少な[[白毛]]馬として注目を集め、アイドル視された。特に[[ダート]]競走において従来の白毛馬にはみられなかった活躍を示し、2008年6月には[[ダートグレード競走]]の[[関東オークス]]を制して日本競馬史上初の白毛馬による[[重賞]]勝利を達成した。2009年秋、出走競走の選択肢を増やすため[[地方競馬|公営]]・[[川崎競馬場|川崎競馬]]へ移籍。同年には[[クイーン賞]]、翌2010年には[[TCK女王盃]]を制し、2010年度[[NARグランプリ]][[NARグランプリ最優秀牝馬|最優秀牝馬]]に選出された。競走馬引退後の2011年より繁殖牝馬。
日本競馬史上初の[[白毛]]馬による[[重賞]]勝利を達成した。[[サラブレッド]]では極めてまれな毛色である白毛の活躍馬として注目を集めていた。


== 経歴 ==
2010年[[NARグランプリ]][[NARグランプリ最優秀牝馬|最優秀牝馬]]。
=== 生い立ち ===
[[ファイル:Kurofune_at_NHK_Mile_Cup.jpg|thumb|父・クロフネ(2001年)|250px]]
2005年、[[北海道]][[早来町]]の[[ノーザンファーム]]に生まれる。毛色はやはり白毛馬だった母・[[シラユキヒメ]]からの遺伝とみられ、兄にはシロクン、[[ホワイトベッセル]]という2頭の白毛馬がいた。父・[[クロフネ]]は[[芦毛]]で、2001年の[[NHKマイルカップ]]と[[ジャパンカップダート]]の優勝馬。芝とダートの双方で活躍したが、特にダート競走では史上最強馬と見る向きもあった<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20131104094123/http://jra-van.jp/fun/tokusyu/071124_02_02.html |title=第8回ジャパンカップダート 歴代優勝馬ピックアップ 衝撃のパフォーマンス - クロフネ |author= |publisher=JRA-VAN |accessdate=2015年3月10日 |date=2007-11-24}}</ref>。なお、芦毛馬も「白馬」と呼ばれることがあるが、白毛が出生時から白いのに対し、芦毛は若馬の頃には他の茶・黒系の毛色と見分けがつかない場合もあり、そこから加齢と共に白くなっていくという点が異なる。


本馬の管理調教師であり、シロクンも手掛けた[[後藤由之]]は、初めて見たときの印象について「体や顔、常歩<small>(なみあし)</small>で歩くときの脚の送りなどを見て、まともな馬だな」「お母さんやお兄ちゃんより、体と動きがやわらかいな」と感じたとしている<ref name="yushun0808">『優駿』2008年8月号、pp.37-38</ref>。牧場からは「重賞を勝てるような馬」であると申し送られ、競走年齢の2歳を迎えた2007年春に[[茨城県]][[美浦トレーニングセンター]]の後藤厩舎に入った<ref name="yushun0808" />。競走馬名の意味は「愛称。白毛のお嬢さん」とされている<ref name="lab" />。なお、同年4月には兄・[[ホワイトベッセル]]が白毛馬として中央競馬史上初の勝利を挙げた。
母である[[シラユキヒメ]]は、かつて中央競馬に所属していた白毛馬。本馬の毛色は母馬からの遺伝によるものと考えられている<ref>母シラユキヒメからは、本馬以外にも2007年産の仔([[芦毛]]の父[[クロフネ]]:産駒も芦毛)をのぞくとすべて白毛が生まれている。2012年までに産まれた9頭のうちその1頭以外の8頭が白毛である(繁殖年数と産駒数に違いがあるのは、不受胎および流産は数えないため)</ref>。なお、[[競走馬の血統#兄弟姉妹の関係|全兄]]にあたる[[ホワイトベッセル]]は白毛馬では中央競馬史上初の勝利、全妹の[[マシュマロ (競走馬)|マシュマロ]]は白毛馬では中央競馬史上初の新馬戦勝利の記録を持っている。


== 主な戦績 ==
=== 戦績 ===
=== 2歳時(2007年) ===
==== 2歳時(2007年) ====
2007年7月8日、[[福島競馬場]]の2歳新馬戦(芝1200メートル)で初出走。当時まだ肉体的にも精神的にも未熟な状態だったが、「一度実戦を経験させた方が後々育てやすくなる」という考えから早期のデビューとなった<ref name="yushun0808" />。また「ファンは芝で走るところを見たいだろう」というところから、芝の競走が選ばれた<ref name="yushun0808" />。[[吉田隼人]]を鞍上に、当日は2番人気の支持を受けたが、スタート直後に他馬から進路妨害を受ける不利もあり、14着と敗れた<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20090909054845/http://www.sponichi.co.jp/gamble/special/notice_horse/2008yukichan/KFullNormal20070709047.html |title=あ~、ユキチャンに不利/福島5R |author= |publisher=Sponichi Annex |accessdate=2015年3月8日 |date=2007-7-9}}</ref>。
[[2007年]][[7月8日]]・[[福島競馬場]]の2歳新馬戦(芝1200メートル)でデビュー。全兄であるホワイトベッセルが同年4月に中央競馬で初勝利を挙げていたこともあって注目が集まり、2番人気での出走となったが、スタート直後に他馬に進路を妨害され大きな不利を受けたため、本来の実力を発揮できず16頭中14着に敗れた。


その後いったん放牧に出され<ref name="yushun0808" />、12月に[[中山競馬場]]の未勝利戦([[ダート]]1200メートル)へ出走。5番人気と評価を落としたが、2着に2馬身差をつけて初勝利を挙げた。第3コーナーから最終コーナーにかけて、砂を被って怯む素振りを見せながらも盛り返した姿を見て、後藤は「普通の馬よりは走るな、と思いましたね」と述懐している<ref name="yushun0808" />。その後は再び放牧に出された<ref name="yushun0808" />。
次走の2歳未勝利戦([[12月8日]][[中山競馬場]]、[[ダート]]1200メートル)で大外から差し切りを決め、2着に2馬身差をつけて初勝利を収めた。


=== 3歳時(2008年) ===
==== 3歳時(2008年) ====
[[ファイル:Yukichan 20080618a.jpg|thumb|関東オークスに出走したユキチャン|250px]]
[[2008年]][[3月29日]]・中山競馬場の3歳500万下ミモザ賞(芝2000メートル)に出走。よいスタートを切り、道中3-4番手の好位追走から最後の直線では先行馬たちをすべて差し切り、クビ差で勝利。初経験となる2000メートルの距離も難なく克服した。なお、これは白毛馬による芝レースおよび中央競馬開催の特別競走の初勝利である。その後はオークスを目指して、トライアルレースの[[フローラステークス]]に出走。好位追走を見せるものの直線で伸びを欠き、18頭中7着に敗れた。
3月末に芝の競走・ミモザ賞で2勝目を挙げる。白毛馬による芝競走の勝利、特別戦の勝利、いずれも史上初の例であった<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20090909073232/http://www.sponichi.co.jp/gamble/special/notice_horse/2008yukichan/KFullNormal20080330061.html |title=白毛のユキチャン“樫女王”に名乗り!! |author= |publisher=Sponichi Annex |accessdate=2015年3月8日 |date=2008-3-30}}</ref>。この時点で後藤は春の牝馬[[中央競馬クラシック三冠|クラシック競走]]を意識し始める<ref name="yushun0808" />。4月27日には[[優駿牝馬|優駿牝馬(オークス)]]への[[トライアル競走]]・[[フローラステークス]]へ出走。当日は4番人気に支持されたが、スローペースからの瞬発力勝負となったなかでジリジリとしか伸びず、7着と敗れた<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20090909053718/http://www.sponichi.co.jp/gamble/special/notice_horse/2008yukichan/KFullNormal20080428009.html |title=7着ユキチャン 2着馬に0秒4差が光明 |author= |publisher=Sponichi Annex |accessdate=20154月28日 |date=2008-3-30}}</ref>。以後も引き続きオークスを目標とした調教が続けられたが、収得賞金不足で除外されたことから目標を[[ダートグレード競走]]・[[関東オークス]]に切り替えた<ref name="yushun0808" />。なお、後藤はオークスを回顧し「あのメンバーで芝2400メートルを走るのなら、[[ブリンカー]]<ref group="注">馬を競走に集中させるため、前方以外の視界を遮るための装具。</ref>をつけて前に行くという『逃げ宣言』をすれば、他は距離に不安のある馬だから、すんなり先手をとれる。そして、後ろの馬に脚を使わせるサバイバルレースの形に持ち込めば生き残れるんじゃないか」と考えていたといい、オークスを想定したブリンカーを関東オークスで着用することになった<ref name="yushun0808" />。


騎手はそれまでの吉田隼人に代わり、父クロフネに騎乗していた[[武豊]]を迎えた。ユキチャンの関東オークス出走は大きな注目を集め、当日の入場人員は前年比127パーセント超、売上は競走史上最高の4億3884万円を記録し、そのうち32万円あまりは特設の「ユキチャン単勝専用窓口」で発売された<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20090921000847/http://www.sponichi.co.jp/gamble/special/notice_horse/2008yukichan/KFullNormal20080619098.html |title=作ってよかった、ユキチャン単勝専用窓口 |author= |publisher=Sponichi Annex |accessdate=2015年3月8日 |date=2008-6-19}}</ref>。スタートが切られると最初の正面スタンド前で先頭に立ち、スローペースで馬群を先導。第3コーナーからペースを上げて後続を引き離すと、最後の直線ではさらに差を広げ、2着プロヴィナージュに8馬身差をつけて勝利した<ref>『優駿』2008年8月号、p.93</ref>。白毛馬による重賞初制覇であるのみならず、一競走としても走破タイム2分14秒7は従来の記録を0秒9上回るもであり、8馬身差も2000年にダートグレード競走に指定されて以来の最大着差であった<ref name="kanto">{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20090909040837/http://www.sponichi.co.jp/gamble/special/notice_horse/2008yukichan/KFullNormal20080619089.html |title=白毛ユキチャン記録づくめの“樫”制覇! |author= |publisher=Sponichi Annex |accessdate=2015年3月8日 |date=2008-6-19}}</ref>。武は「注目されて緊張したけど強い姿を見せられてホッとした。可愛いだけじゃない」と感想を述べた<ref name="kanto" />。また1997年に白毛馬として史上初の勝利を挙げた[[ハクホウクン]]の馬主・柳田清は、日本中央競馬会の広報誌『優駿』に「勝ったときは嬉しかったですね。白毛は弱いという先入観がまちがっていることを証明してくれた」と喜びの声を寄せた<ref>『優駿』2008年11月号、p.50</ref>。
[[ファイル:Yukichan 20080618a.jpg|thumb|関東オークスに出走したユキチャン]]
その後、オークスへの出走登録を行ったものの、収得賞金不足で除外された。そこで陣営は父・[[クロフネ]]も得意としていたダート路線に矛先を切り替え、[[関東オークス]]に出走。スタート直後から2番手につけると、1周目のゴール板あたりで先頭に立ち、そのまま最後まで独走。最終的には2着に8馬身差(1.7秒差)をつけ、2分14秒7のレースレコードタイム(当時)で圧勝し、日本競馬史上初の白毛馬による重賞制覇を成し遂げた(レコードタイムは2010年に[[シンメイフジ]]が2分13秒1で更新)。


その後は3歳ダート戦線の日本一決定戦・[[ジャパンダートダービー]]に出走する予定だったが、蕁麻疹を発症し競走当日に除外となる<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20090909073227/http://www.sponichi.co.jp/gamble/special/notice_horse/2008yukichan/KFullFlash20080709035.html |title=白毛馬ユキチャン じんましんで競走除外 |author= |publisher=Sponichi Annex |accessdate=2015年3月8日 |date=2008-7-9}}</ref>。さらに2走を除外されたのち、芝の重賞競走[[クイーンステークス]]に出走。しかし見せ場のないまま9着と敗れ、騎乗した[[藤田伸二]]はダート向きの馬であるとの見解を示した<ref name="sapporo">{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20090920232009/http://www.sponichi.co.jp/gamble/special/notice_horse/2008yukichan/KFullNormal20080818016.html |title=札幌が燃えた!ユキチャン夏の陣/クイーンS |author= |publisher=Sponichi Annex |accessdate=2015年3月10日 |date=2008-10-19}}</ref>。他方、当日の札幌競馬場への入場者は5年ぶりに2万人を超える2万5373人(前年比142.6パーセント)を記録するなど、ファンからの注目度は依然として高かった<ref name="sapporo" />。
その後、[[ジャパンダートダービー]]への出走を予定していたが、競走当日に[[蕁麻疹]]のため競走除外となった<ref>[http://www.tokyocitykeiba.com/news/news.php?id=1327 ユキチャン号の競走除外について]</ref>。さらに出走登録を行っていた[[スパーキングレディーカップ]]も、直前の除外のため[[南関東公営競馬]]の規則により出走できなかった。


続くダート重賞[[シリウスステークス]]9着を経て、10月19日には芝の牝馬三冠最終戦・[[秋華賞]]に出走。騎手は関東オークス以来で武豊が務めた。白毛馬のGI競走への出走ということもあり注目されたが、レースでは好位につけながら直線で失速して17着と大敗<ref name="shuka">{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20081020212704/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20081020-420858.html |title=ユキチャン17着「頑張ってる」/ 秋華賞 |author= |publisher=nikkansports.com |accessdate=2015年3月8日 |date=2008-8-18}}</ref>。芝の競走に求められる瞬発力不足も露呈し<ref name="shuka" />、武は「芝では限界があるのかもしれない」と語った<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20121221223326/http://www.daily.co.jp/horse/schedule2008/081019g1.shtml |title=エンブレム波乱演出 3連単重賞史上最高配当1098万円 |author= |publisher=デイリースポーツオンライン |accessdate=2015年3月8日 |date=2008-10-19}}</ref>。これ以降、芝の競走へ出走することはなくなった。
回復後は[[ブリーダーズゴールドカップ]] を予定していたが、またもや賞金不足で除外。そのため日程の近い[[クイーンステークス]]に矛先を転じたが、出遅れて見せ場のないまま13頭中9着に敗れた。


ダート路線に戻ったのちは、12月に[[クイーン賞]]へ出走。[[安藤勝己]]を鞍上に1番人気に支持される。レースでは先行策をとり、最終コーナーからは2番人気の[[ヤマトマリオン]]と並んで直線で激しく競り合ったが、アタマ差遅れての2着となった<ref>『優駿』2009年1月号、p.83</ref>。当年はこれでシーズンを終えた。
その後、ノーザンファームへ放牧に出され、[[10月4日]]の[[シリウスステークス]]で復帰。希望していた[[10月7日]]・[[金沢競馬場]]の[[白山大賞典]]が賞金不足で除外されたため、日程の近いこのレースが選ばれた。ダートレースとしてはまれに見るほどの超ハイペース(前半3ハロン34秒1)にもかかわらず、先行集団につけ3番手からの競馬となったが、最後の直線で伸びを欠き16頭中8着に敗れた。ただ、先行した他馬が総崩れしてすべて2桁着順に大敗したにもかかわらず、8着に残った本馬のスタミナが再評価される結果にもなった。


==== 4歳時(2009年) ====
牝馬三冠最終戦の[[秋華賞]]にて、ポルトフィーノの除外により手が空いた[[武豊]]と再度コンビを組んだが、18頭中17着に敗れた。
4歳となった2009年は1月の[[TCK女王盃]]から始動。前走で敗れたヤマトマリオンと再び顔を合わせるも、同馬を抑え1番人気に支持された。レースでは両馬とも後方からのレース運びとなるも、ユキチャンは早めに進出し向正面で先頭に立った。最後の直線では「併せるとユキチャンはしぶとい」ことを見越した[[幸英明]]・ヤマトマリオンが離れた外から追い込み、これにかわされて1馬身差の2着と敗れた<ref>『優駿』2009年3月号、p.118</ref>。その後は[[エンプレス杯]]、[[マリーンカップ]]と2戦連続で6着となる。


7月、それまでの収得賞金が半減される規定が適用され、地方交流競走の中央馬出走枠に入れない事例が増えた。こうした状況を受けて馬主の[[金子真人]]と後藤が話し合った結果、9月に公営・[[川崎競馬場|川崎競馬]]の[[山崎尋美]]厩舎へ転厩することが決定<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20150310115700/http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/09/03/kiji/K20090903Z00001800.html |title=電撃移籍!!ユキチャンが川崎競馬へ |author= |publisher=Sponichi Annex |accessdate=2015年3月10日 |date=2008-9-3}}</ref>。同月9日には山崎厩舎へ入った。10月には[[TCKディスタフ]]で地方馬としての初出走を迎えたが、休養明けに58kgという重い[[負担重量|斤量]]も重なり3着となる<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20100131224839/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20091022-558114.html |title=ユキチャン力尽き3着/TCKディスタフ |author= |publisher=nikkansports.com |accessdate=2015年3月10日 |date=2009-10-22}}</ref>。この競走で騎手を務めた[[今野忠成]]が以後騎手として定着し、12月にはダートグレード競走のクイーン賞へ出走。前年敗れたヤマトマリオンを抑えて1番人気に支持されると、レースでは最後の直線でテイエムヨカドー([[船橋競馬場|船橋]])との競り合いを制し、関東オークス以来約1年6カ月ぶりの勝利を挙げた<ref name="queen">{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20150310095227/http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-177078.html |title=【クイーン賞】(船橋・JpnIII)~ユキチャン復活の白星 [News] |author= |publisher=[[日経ラジオ社|ラジオNIKKEI]] |accessdate=2015年3月10日 |date=2009-12-9}}</ref>。山崎は「実力よりも人気のある馬ですから、今日は勝ててホッとしました。これでアイドルホースから女王になれました」と語った<ref name="queen" />。
この年最後のレースとなった[[クイーン賞]]では1番人気に支持され、終始先行集団をキープしていたが、最後の直線で[[ヤマトマリオン]]との叩き合いになった結果、アタマ差で敗れ、14頭中2着となった。


=== 4歳時(2009年) ===
==== 5歳時(2010年) ====
2010年も前年同様TCK女王盃から始動。レースでは逃げる[[トウホクビジン]]を見る先行集団を進み、最終コーナーで先頭に立つと、最後はウェディングフジコに詰め寄られながらもこれをクビ差凌ぎ、重賞2連勝を遂げた<ref name="tck" />。地方勢のTCK女王盃制覇は6年ぶりのことであった。今野は「最後の直線での追い比べでは、僕も脇の下に汗をかきました。ユキチャンがよく頑張ってくれました。一度も交わされてはいないんですが、ウェディングフジコが目に入ったら、もう1回反応してくれました」と回顧し、また山崎は「好位置から4コーナーで先頭に立って、どれだけ直線で離すかなと思っていたら、お友達が来ないとダメなのか……ゴール前は息が止まりそうでしたよ(笑)」と感想を述べた<ref name="tck">{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20150310095122/http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-178957.html |title=【TCK女王盃】(大井・JpnIII)~ユキチャン重賞連勝 [News] |author= |publisher=[[日経ラジオ社|ラジオNIKKEI]] |accessdate=2015年3月10日 |date=2010-1-20}}</ref>。
[[TCK女王盃]]から始動し、いったんは先頭に立つが最後の直線でまたしてもヤマトマリオンに交わされ1馬身差で敗れ、16頭中2着。その後は[[エンプレス杯]]、[[マリーンカップ]]と2戦連続の6着に敗れた。


その後、出走を予定していたエンプレス杯を[[感冒]]により回避<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20150310121305/http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2010/02/16/kiji/K20100216Z00000300.html |title=ユキチャン感冒でエンプレス杯回避…マリーンCへ |author= |publisher=Sponichi Annex |accessdate=2015年3月10日 |date=2008-9-3}}</ref>。改めて出走した[[マリーンカップ]]では3着、移籍以来はじめて地元での出走となった[[川崎マイラーズ]]では9着に終わる。夏前にノーザンファームへ放牧に出されたのち、3度目の出走となる翌年2月のTCK女王盃での復帰に向けて調整が進められていたが<ref name="nar" />、脚部の状態が良化しないことから12月に引退、繁殖入りが発表された<ref name="lab">{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20150310123335/http://keibalab.jp/topics/6852/ |title=白毛のアイドル・ユキチャンが引退、繁殖入りへ |author= |publisher=競馬ラボ |accessdate=2015年3月10日 |date=2010-2-16}}</ref>。
その後、[[9月3日]]付でJRA競走馬登録を抹消され、川崎競馬の[[山崎尋美]]厩舎に転厩することになった。現状では中央競馬で出走可能な競走に限りがあり、収得賞金の面からも地方競馬の交流競走に出走するのが困難になったため、馬主の意向で移籍することになった<ref>[http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/race/news/CK2009090402000106.html ユキチャン、川崎移籍] 中日スポーツ 2009年9月4日閲覧</ref>。


2011年1月、地方競馬の年度彰・[[NARグランプリ]]2010において、[[TCK女王盃]]の優勝が評価され[[NARグランプリ最優秀牝馬|最優秀牝馬]]に選出され<ref name="nar">{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20111128195053/http://keisyunews.co.jp/nar2010.html |title=NARグランプリ2010授式取材レポート |author= |publisher=ケイシュウニュース |accessdate=2015年3月10 |date=2010-2}}</ref>。なお、翌年から2歳、3歳、4歳以上最優秀馬の部門が牡馬と牝馬に分離され、「最優秀牝馬が廃止となったため、同部門最後の受賞馬となった。
[[10月21日]]の[[TCKディスタフ]]に地方競馬移籍後初出走。[[ダートグレード競走]]優勝馬は[[負担重量]]3キログラム増という規定のため58キログラムを背負うという厳しい条件となった。レースでは最終コーナーで先頭に並びかけるシーンもあったが、直線で伸び切れず結果は16頭中3着となった。しかし次走の[[クイーン賞]]では巻き返し、好位追走から直線の叩き合いを制する走りで、1年6か月ぶりの勝利をダートグレード競走2勝目で飾った。この結果、翌年開催のエンプレス杯への優先出走権を得た。


=== 5歳(2010年) ===
=== 繁殖牝馬 ===
故郷・ノーザンファームで繋養されている。2013年には第2仔として[[キングカメハメハ]]との間に白毛の牝馬を産んだ。
前年同様、[[TCK女王盃]]から始動。ハナとはならなかったが、スタートから前方につけてレースを進めた。4コーナーからはじりじりと先頭に上り詰め、先頭になった後は最後の直線で[[ウェディングフジコ]]や[[コスモプリズム]]に詰め寄られながらもゴールまで譲ることなくクビ差で2010年初戦を重賞勝ちで収め、前走のクイーン賞に続いてダートグレード競走を2連勝としたと同時に、6年ぶりにTCK女王盃の勝利を地方勢にもたらした。その後、出走予定だったエンプレス杯は感冒のため回避した。

回復後は[[マリーンカップ]]3着、[[川崎マイラーズ]]9着に終わった後、夏の暑さに弱いこともあり、北海道で長期休養に入った。しかし、前脚の具合が良くならないため、引退および[[ノーザンファーム]]での繁殖入りが決まった。

2011年1月11日に発された[[NARグランプリ]]2010[[TCK女王盃]]の優勝が評価され[[NARグランプリ最優秀牝馬]]を獲得し。[[JRA賞]](啓衆、優駿賞時代も含む)など本国内の主要な競馬の表彰において白毛馬が受賞するのは史上初となる。なお、翌年から2歳、3歳、4歳以上最優秀馬の部門が牡馬と牝馬に分離され最優秀牝馬が廃止となったため、同部門最後の受賞馬となった。


== 競走成績 ==
== 競走成績 ==
429行目: 429行目:
|イーグルショウ
|イーグルショウ
|}
|}
=== 白毛馬としての主な記録 ===
*芝競走初勝利 - 2008年ミモザ賞
*特別競走初勝利 - 2008年ミモザ賞
*重賞初出走 - 2008年フローラステークス
*重賞初勝利 - 2008年関東オークス
*中央GI(JpnI)競走初出走 - 2008年秋華賞


== 引退後 ==
== 繁殖成績 ==
=== 繁殖成績 ===
{| class="wikitable" style="font-size: 90%; white-space: nowrap"
{| class="wikitable" style="font-size: 90%; white-space: nowrap"
!|馬名||nowrap|生年月日||nowrap|毛色||nowrap|父||nowrap|性||nowrap|厩舎||nowrap|馬主||nowrap|戦績(現状)タイトル
!|馬名||nowrap|生年月日||nowrap|毛色||nowrap|父||nowrap|性||nowrap|厩舎||nowrap|馬主||nowrap|戦績(現状)タイトル
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|(ユキチャンの2012)||2012/01/31||[[鹿毛]]||[[キングカメハメハ]]||牝||-||-||-仔馬
|ポリアフ||2012/01/31||[[鹿毛]]||[[キングカメハメハ]]||牝||[[吉田直弘]]||[[シルク (競馬)|シルクレーシング]]||(現役
|-
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|(ユキチャンの2013)||2013/02/24||[[白毛]]||[[ハービンジャー]]||牝||-||-||-(仔馬)
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
*『優駿』2008年9月号・10月号
**島田明宏「白馬物語・前編 - ユキチャン、その素顔に迫る」「白馬物語・後編 - 白毛のルーツを探る」

== 関連項目 ==
*[[ハクタイユー]] - 日本で血統登録された最初の白毛馬。


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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2015年3月14日 (土) 00:09時点における版

ユキチャン
2008年4月27日 東京競馬場
欧字表記 Yukichan
品種 サラブレッド
性別
毛色 白毛
生誕 2005年3月28日(19歳)
抹消日 2010年12月28日地方競馬
クロフネ
シラユキヒメ
母の父 サンデーサイレンス
生国 日本の旗 日本北海道早来町
生産者 ノーザンファーム
馬主 金子真人ホールディングス(株)
調教師 後藤由之美浦
山崎尋美川崎
競走成績
生涯成績 17戦5勝
中央競馬 7戦2勝
地方競馬 10戦3勝
獲得賞金 1億2128万7000円
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ユキチャン2005年3月28日 - )は日本競走馬繁殖牝馬

2007年に中央競馬でデビュー。サラブレッドでは希少な白毛馬として注目を集め、アイドル視された。特にダート競走において従来の白毛馬にはみられなかった活躍を示し、2008年6月にはダートグレード競走関東オークスを制して日本競馬史上初の白毛馬による重賞勝利を達成した。2009年秋、出走競走の選択肢を増やすため公営川崎競馬へ移籍。同年にはクイーン賞、翌2010年にはTCK女王盃を制し、2010年度NARグランプリ最優秀牝馬に選出された。競走馬引退後の2011年より繁殖牝馬。

経歴

生い立ち

父・クロフネ(2001年)

2005年、北海道早来町ノーザンファームに生まれる。毛色はやはり白毛馬だった母・シラユキヒメからの遺伝とみられ、兄にはシロクン、ホワイトベッセルという2頭の白毛馬がいた。父・クロフネ芦毛で、2001年のNHKマイルカップジャパンカップダートの優勝馬。芝とダートの双方で活躍したが、特にダート競走では史上最強馬と見る向きもあった[1]。なお、芦毛馬も「白馬」と呼ばれることがあるが、白毛が出生時から白いのに対し、芦毛は若馬の頃には他の茶・黒系の毛色と見分けがつかない場合もあり、そこから加齢と共に白くなっていくという点が異なる。

本馬の管理調教師であり、シロクンも手掛けた後藤由之は、初めて見たときの印象について「体や顔、常歩(なみあし)で歩くときの脚の送りなどを見て、まともな馬だな」「お母さんやお兄ちゃんより、体と動きがやわらかいな」と感じたとしている[2]。牧場からは「重賞を勝てるような馬」であると申し送られ、競走年齢の2歳を迎えた2007年春に茨城県美浦トレーニングセンターの後藤厩舎に入った[2]。競走馬名の意味は「愛称。白毛のお嬢さん」とされている[3]。なお、同年4月には兄・ホワイトベッセルが白毛馬として中央競馬史上初の勝利を挙げた。

戦績

2歳時(2007年)

2007年7月8日、福島競馬場の2歳新馬戦(芝1200メートル)で初出走。当時まだ肉体的にも精神的にも未熟な状態だったが、「一度実戦を経験させた方が後々育てやすくなる」という考えから早期のデビューとなった[2]。また「ファンは芝で走るところを見たいだろう」というところから、芝の競走が選ばれた[2]吉田隼人を鞍上に、当日は2番人気の支持を受けたが、スタート直後に他馬から進路妨害を受ける不利もあり、14着と敗れた[4]

その後いったん放牧に出され[2]、12月に中山競馬場の未勝利戦(ダート1200メートル)へ出走。5番人気と評価を落としたが、2着に2馬身差をつけて初勝利を挙げた。第3コーナーから最終コーナーにかけて、砂を被って怯む素振りを見せながらも盛り返した姿を見て、後藤は「普通の馬よりは走るな、と思いましたね」と述懐している[2]。その後は再び放牧に出された[2]

3歳時(2008年)

関東オークスに出走したユキチャン

3月末に芝の競走・ミモザ賞で2勝目を挙げる。白毛馬による芝競走の勝利、特別戦の勝利、いずれも史上初の例であった[5]。この時点で後藤は春の牝馬クラシック競走を意識し始める[2]。4月27日には優駿牝馬(オークス)へのトライアル競走フローラステークスへ出走。当日は4番人気に支持されたが、スローペースからの瞬発力勝負となったなかでジリジリとしか伸びず、7着と敗れた[6]。以後も引き続きオークスを目標とした調教が続けられたが、収得賞金不足で除外されたことから目標をダートグレード競走関東オークスに切り替えた[2]。なお、後藤はオークスを回顧し「あのメンバーで芝2400メートルを走るのなら、ブリンカー[注 1]をつけて前に行くという『逃げ宣言』をすれば、他は距離に不安のある馬だから、すんなり先手をとれる。そして、後ろの馬に脚を使わせるサバイバルレースの形に持ち込めば生き残れるんじゃないか」と考えていたといい、オークスを想定したブリンカーを関東オークスで着用することになった[2]

騎手はそれまでの吉田隼人に代わり、父クロフネに騎乗していた武豊を迎えた。ユキチャンの関東オークス出走は大きな注目を集め、当日の入場人員は前年比127パーセント超、売上は競走史上最高の4億3884万円を記録し、そのうち32万円あまりは特設の「ユキチャン単勝専用窓口」で発売された[7]。スタートが切られると最初の正面スタンド前で先頭に立ち、スローペースで馬群を先導。第3コーナーからペースを上げて後続を引き離すと、最後の直線ではさらに差を広げ、2着プロヴィナージュに8馬身差をつけて勝利した[8]。白毛馬による重賞初制覇であるのみならず、一競走としても走破タイム2分14秒7は従来の記録を0秒9上回るもであり、8馬身差も2000年にダートグレード競走に指定されて以来の最大着差であった[9]。武は「注目されて緊張したけど強い姿を見せられてホッとした。可愛いだけじゃない」と感想を述べた[9]。また1997年に白毛馬として史上初の勝利を挙げたハクホウクンの馬主・柳田清は、日本中央競馬会の広報誌『優駿』に「勝ったときは嬉しかったですね。白毛は弱いという先入観がまちがっていることを証明してくれた」と喜びの声を寄せた[10]

その後は3歳ダート戦線の日本一決定戦・ジャパンダートダービーに出走する予定だったが、蕁麻疹を発症し競走当日に除外となる[11]。さらに2走を除外されたのち、芝の重賞競走クイーンステークスに出走。しかし見せ場のないまま9着と敗れ、騎乗した藤田伸二はダート向きの馬であるとの見解を示した[12]。他方、当日の札幌競馬場への入場者は5年ぶりに2万人を超える2万5373人(前年比142.6パーセント)を記録するなど、ファンからの注目度は依然として高かった[12]

続くダート重賞シリウスステークス9着を経て、10月19日には芝の牝馬三冠最終戦・秋華賞に出走。騎手は関東オークス以来で武豊が務めた。白毛馬のGI競走への出走ということもあり注目されたが、レースでは好位につけながら直線で失速して17着と大敗[13]。芝の競走に求められる瞬発力不足も露呈し[13]、武は「芝では限界があるのかもしれない」と語った[14]。これ以降、芝の競走へ出走することはなくなった。

ダート路線に戻ったのちは、12月にクイーン賞へ出走。安藤勝己を鞍上に1番人気に支持される。レースでは先行策をとり、最終コーナーからは2番人気のヤマトマリオンと並んで直線で激しく競り合ったが、アタマ差遅れての2着となった[15]。当年はこれでシーズンを終えた。

4歳時(2009年)

4歳となった2009年は1月のTCK女王盃から始動。前走で敗れたヤマトマリオンと再び顔を合わせるも、同馬を抑え1番人気に支持された。レースでは両馬とも後方からのレース運びとなるも、ユキチャンは早めに進出し向正面で先頭に立った。最後の直線では「併せるとユキチャンはしぶとい」ことを見越した幸英明・ヤマトマリオンが離れた外から追い込み、これにかわされて1馬身差の2着と敗れた[16]。その後はエンプレス杯マリーンカップと2戦連続で6着となる。

7月、それまでの収得賞金が半減される規定が適用され、地方交流競走の中央馬出走枠に入れない事例が増えた。こうした状況を受けて馬主の金子真人と後藤が話し合った結果、9月に公営・川崎競馬山崎尋美厩舎へ転厩することが決定[17]。同月9日には山崎厩舎へ入った。10月にはTCKディスタフで地方馬としての初出走を迎えたが、休養明けに58kgという重い斤量も重なり3着となる[18]。この競走で騎手を務めた今野忠成が以後騎手として定着し、12月にはダートグレード競走のクイーン賞へ出走。前年敗れたヤマトマリオンを抑えて1番人気に支持されると、レースでは最後の直線でテイエムヨカドー(船橋)との競り合いを制し、関東オークス以来約1年6カ月ぶりの勝利を挙げた[19]。山崎は「実力よりも人気のある馬ですから、今日は勝ててホッとしました。これでアイドルホースから女王になれました」と語った[19]

5歳時(2010年)

2010年も前年同様TCK女王盃から始動。レースでは逃げるトウホクビジンを見る先行集団を進み、最終コーナーで先頭に立つと、最後はウェディングフジコに詰め寄られながらもこれをクビ差凌ぎ、重賞2連勝を遂げた[20]。地方勢のTCK女王盃制覇は6年ぶりのことであった。今野は「最後の直線での追い比べでは、僕も脇の下に汗をかきました。ユキチャンがよく頑張ってくれました。一度も交わされてはいないんですが、ウェディングフジコが目に入ったら、もう1回反応してくれました」と回顧し、また山崎は「好位置から4コーナーで先頭に立って、どれだけ直線で離すかなと思っていたら、お友達が来ないとダメなのか……ゴール前は息が止まりそうでしたよ(笑)」と感想を述べた[20]

その後、出走を予定していたエンプレス杯を感冒により回避[21]。改めて出走したマリーンカップでは3着、移籍以来はじめて地元での出走となった川崎マイラーズでは9着に終わる。夏前にノーザンファームへ放牧に出されたのち、3度目の出走となる翌年2月のTCK女王盃での復帰に向けて調整が進められていたが[22]、脚部の状態が良化しないことから12月に引退、繁殖入りが発表された[3]

翌2011年1月、地方競馬の年度表彰・NARグランプリ2010において、TCK女王盃の優勝が評価され最優秀牝馬に選出された[22]。なお、翌年から2歳、3歳、4歳以上最優秀馬の部門が牡馬と牝馬に分離され、「最優秀牝馬」が廃止となったため、同部門最後の受賞馬となった。

繁殖牝馬時代

故郷・ノーザンファームで繋養されている。2013年には第2仔としてキングカメハメハとの間に白毛の牝馬を産んだ。

競走成績

年月日 競馬場 競走名


オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量
[kg]
距離(馬場) タイム
上り3F
タイム
勝ち馬/(2着馬)
2007 7. 8 福島 2歳新馬 16 8 16 4.5 (2人) 14着 吉田隼人 54 芝1200m(良) 1:13.1 (36.2) 1.3 レオマイスター
12. 8 中山 2歳未勝利 16 6 11 15.5 (5人) 1着 吉田隼人 54 ダ1200m(良) 1:13.0 (37.5) -0.3 (ソシアルグレイシー)
2008 3. 29 中山 ミモザ賞 12 7 9 14.1 (8人) 1着 吉田隼人 54 芝2000m(良) 2:02.2 (35.8) 0.0 (ハイカックウ)
4. 27 東京 フローラS JpnII 18 7 13 7.7 (4人) 7着 吉田隼人 54 芝2000m(良) 2:01.1 (35.2) 0.6 レッドアゲート
6. 18 川崎 関東オークス JpnII 14 8 13 2.8 (2人) 1着 武豊 54 ダ2100m(良) 2:14.7 (39.2) -1.7 (プロヴィナージュ)
7. 9 大井 ジャパンDダービー JpnI 15 1 2 除外 武豊 54 ダ2000m(不) サクセスブロッケン
8. 17 札幌 クイーンS JpnIII 13 6 9 8.9 (4人) 9着 藤田伸二 52 芝1800m(良) 1:49.4 (36.3) 1.3 ヤマニンメルベイユ
10. 4 阪神 シリウスS GIII 16 2 4 8.1 (3人) 8着 四位洋文 52 ダ2000m(良) 2:05.3 (38.7) 1.5 マイネルアワグラス
10. 19 京都 秋華賞 JpnI 18 4 8 21.4 (9人) 17着 武豊 55 芝2000m(良) 1:59.8 (36.4) 1.4 ブラックエンブレム
12. 10 船橋 クイーン賞 JpnIII 14 5 7 2.4 (1人) 2着 安藤勝己 54 ダ1800m(不) 1:49.5 (37.1) 0.0 ヤマトマリオン
2009 1. 21 大井 TCK女王盃 JpnIII 16 3 6 1.7 (1人) 2着 武豊 54 ダ1800m(良) 1:53.5 (38.6) 0.2 ヤマトマリオン
2. 25 川崎 エンプレス杯 JpnII 14 5 7 2.1 (2人) 6着 武豊 55 ダ2100m(不) 2:17.0 (40.0) 1.7 ニシノナースコール
6. 10 船橋 マリーンC JpnIII 14 3 3 2.8 (2人) 6着 武豊 56 ダ1600m(良) 1:42.4 (38.7) 1.4 メイショウバトラー
10. 21 大井 TCKディスタフ 南関SIII 16 6 12 2.6 (1人) 3着 今野忠成 58 ダ1800m(良) 1:54.1 (39.5) 0.4 ツクシヒメ
12. 9 船橋 クイーン賞 JpnIII 14 6 10 2.5 (1人) 1着 今野忠成 55 ダ1800m(稍) 1:54.5 (39.3) 0.0 (テイエムヨカドー)
2010 1. 20 大井 TCK女王盃 JpnIII 14 7 11 2.7 (1人) 1着 今野忠成 54 ダ1800m(良) 1:52.9 (38.5) 0.0 (ウェディングフジコ)
4. 14 船橋 マリーンC JpnIII 13 4 4 6.5 (3人) 3着 今野忠成 56 ダ1600m(重) 1:39.5 (37.7) 0.3 トーホウドルチェ
5. 12 川崎 川崎マイラーズ 南関SIII 14 2 2 3.1 (1人) 9着 今野忠成 57 ダ1600m(重) 1:41.0 (41.0) 2.5 イーグルショウ

白毛馬としての主な記録

  • 芝競走初勝利 - 2008年ミモザ賞
  • 特別競走初勝利 - 2008年ミモザ賞
  • 重賞初出走 - 2008年フローラステークス
  • 重賞初勝利 - 2008年関東オークス
  • 中央GI(JpnI)競走初出走 - 2008年秋華賞

繁殖成績

馬名 生年月日 毛色 厩舎 馬主 戦績(現状)タイトル
ポリアフ 2012/01/31 鹿毛 キングカメハメハ 吉田直弘 シルクレーシング (現役)
(ユキチャンの2013) 2013/02/24 白毛 ハービンジャー - - -(仔馬)

血統

ユキチャン血統デピュティミニスター系) / Northern Dancer 5×4=9.38%) (血統表の出典)

*クロフネ
Kurofune
1998 芦毛 アメリカ
父の父
*フレンチデピュティ
French Deputy
1992 栗毛 アメリカ
Deputy Minister Vice Regent
Mint Copy
Mitterand Hold Your Peace
Laredo Lass
父の母
*ブルーアヴェニュー
Blue Avenue
1990 芦毛 アメリカ
Classic Go Go Pago Pago
Classic Perfection
Eliza Blue Icecapade
*コレラ

シラユキヒメ 1996
白毛 北海道早来町
*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛 アメリカ
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
母の母
*ウェイブウインド
Wave Wind
1991 鹿毛 アメリカ
Topsider Northern Dancer
Drumtop
Storm and Sunshine Star de Naskra
Sea Drone F-No.2-w


脚注

注釈

  1. ^ 馬を競走に集中させるため、前方以外の視界を遮るための装具。

出典

  1. ^ 第8回ジャパンカップダート 歴代優勝馬ピックアップ 衝撃のパフォーマンス - クロフネ”. JRA-VAN (2007年11月24日). 2015年3月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『優駿』2008年8月号、pp.37-38
  3. ^ a b 白毛のアイドル・ユキチャンが引退、繁殖入りへ”. 競馬ラボ (2010年2月16日). 2015年3月10日閲覧。
  4. ^ あ~、ユキチャンに不利/福島5R”. Sponichi Annex (2007年7月9日). 2015年3月8日閲覧。
  5. ^ 白毛のユキチャン“樫女王”に名乗り!!”. Sponichi Annex (2008年3月30日). 2015年3月8日閲覧。
  6. ^ 7着ユキチャン 2着馬に0秒4差が光明”. Sponichi Annex (2008年3月30日). 20154月28日閲覧。
  7. ^ 作ってよかった、ユキチャン単勝専用窓口”. Sponichi Annex (2008年6月19日). 2015年3月8日閲覧。
  8. ^ 『優駿』2008年8月号、p.93
  9. ^ a b 白毛ユキチャン記録づくめの“樫”制覇!”. Sponichi Annex (2008年6月19日). 2015年3月8日閲覧。
  10. ^ 『優駿』2008年11月号、p.50
  11. ^ 白毛馬ユキチャン じんましんで競走除外”. Sponichi Annex (2008年7月9日). 2015年3月8日閲覧。
  12. ^ a b 札幌が燃えた!ユキチャン夏の陣/クイーンS”. Sponichi Annex (2008年10月19日). 2015年3月10日閲覧。
  13. ^ a b ユキチャン17着「頑張ってる」/ 秋華賞”. nikkansports.com (2008年8月18日). 2015年3月8日閲覧。
  14. ^ エンブレム波乱演出 3連単重賞史上最高配当1098万円”. デイリースポーツオンライン (2008年10月19日). 2015年3月8日閲覧。
  15. ^ 『優駿』2009年1月号、p.83
  16. ^ 『優駿』2009年3月号、p.118
  17. ^ 電撃移籍!!ユキチャンが川崎競馬へ”. Sponichi Annex (2008年9月3日). 2015年3月10日閲覧。
  18. ^ ユキチャン力尽き3着/TCKディスタフ”. nikkansports.com (2009年10月22日). 2015年3月10日閲覧。
  19. ^ a b 【クイーン賞】(船橋・JpnIII)~ユキチャン復活の白星 [News]”. ラジオNIKKEI (2009年12月9日). 2015年3月10日閲覧。
  20. ^ a b 【TCK女王盃】(大井・JpnIII)~ユキチャン重賞連勝 [News]”. ラジオNIKKEI (2010年1月20日). 2015年3月10日閲覧。
  21. ^ ユキチャン感冒でエンプレス杯回避…マリーンCへ”. Sponichi Annex (2008年9月3日). 2015年3月10日閲覧。
  22. ^ a b NARグランプリ2010授賞式取材レポート”. ケイシュウニュース (2010年2月). 2015年3月10日閲覧。

参考文献

  • 『優駿』2008年9月号・10月号
    • 島田明宏「白馬物語・前編 - ユキチャン、その素顔に迫る」「白馬物語・後編 - 白毛のルーツを探る」

関連項目

外部リンク