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尚穆王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尚穆王
琉球国王
在位 1752年-1794年
別号 尚喜[1]

全名 尚穆
名乗 朝康[2]
烏帽子親 蔡温・具志頭親方文若[3]
出生 (1739-05-03) 1739年5月3日
死去 1794年5月7日(1794-05-07)(55歳没)
埋葬 1794年
琉球国首里玉陵
王世子 尚温王
配偶者 佐敷按司加那志
子女 別記
家名 第二尚氏
王朝 第二尚氏王統
父親 尚敬王
母親 聞得大君加那志
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尚穆王(しょうぼくおう、1739年5月3日乾隆4年3月26日) - 1794年5月7日(乾隆59年4月8日))は、琉球王国第二尚氏王統の第14代国王(在位1752年 - 1794年)。

寝廟御殿を創建。また、このころ琉球科律完成。統治した期間には長雨などの災害が相次いだことから、地方に農業指導なども行う下知役の派遣を増やしたほか、褒章条例を整備して灌漑施設の整備や村民の救済した者、王府への貢献をした者、孝行者や節度のある婦人、長寿者などに対し物品や役職を授けた[4]

1788年に世子の尚哲が死去している。

家族

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  • 父 - 尚敬王
  • 母 - 聞得大君加那志
  • 妃 - 佐敷按司加那志(童名・思真鶴金。号・淑徳。玉城御殿八世・高嶺王子朝意女)
  • 夫人 - 真南風按司加那志(童名・真牛金。号・仁厚。向氏幸地殿内系祖・松川親方朝応女)
    • 安谷屋阿護母志良礼(号・蘭室)
    • 宮里阿護母志良礼(号・瑞雲)
    • 与儀阿護母志良礼(号・清室)
  • 子女
    • 長男 - 尚哲、中城王子
    • 次男 - 尚図、浦添王子朝央(母は妃。浦添御殿一世)
    • 三男 - 尚周、義村王子朝宜(母は仁厚。義村御殿一世)
    • 四男 - 尚容、宜野湾王子朝祥(母は仁厚。小禄御殿へ養子)
    • 五男 - 尚恪、美里王子朝規(母は蘭室。美里御殿一世)
    • 長女 - 聞得大君加那志(母は蘭室。童名は恩亀樽。向氏識名殿内十世識名親方朝睦に嫁ぐ)
    • 次女 - 小那覇翁主(母は瑞雲。平良殿内九世・森山親雲上昌本に嫁ぐ)
    • 三女 - 上間翁主(母は瑞雲。具志川御殿十二世・今帰仁按司朝英に嫁ぐ)

脚注

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  1. ^ 通航一覧巻之十五』:宝暦二年冬十二月二日、中山王尚喜使今帰仁等来聘
  2. ^ 王代記[リンク切れ]』、43ページ
  3. ^ 蔡氏家譜·十一世温[リンク切れ]』:「乾隆十八年癸酉八月朔日値 主上歳十五将行元服之禮(温)奉 命為御烏帽子親」
  4. ^ 中塚武 監修「上からの村落立て直しと褒章条例」『気候変動から読み直す日本史6 近世の列島を俯瞰する』p21 2020年11月30日 臨川書店 全国書誌番号:23471480
先代
尚敬王
第二尚氏14代琉球国王
1752年 - 1794年
次代
尚温王