渡辺翁記念会館
渡辺翁記念会館 Watanabe Memorial Hall | |
---|---|
![]() | |
情報 | |
通称 | 宇部市民館 |
正式名称 | 宇部市渡辺翁記念会館 |
開館 | 1937年7月 |
客席数 | 1353席(1階837席、2階516席) |
延床面積 | 4,582m² |
設備 | 舞台装置 - しぼり緞帳、引割幕、遮蔽幕、オブジェ、反響板、バトン |
用途 | 演劇、音楽、舞踊、講演、その他各種イベント |
運営 | 一般財団法人宇部市文化創造財団 |
所在地 |
〒755-0041 山口県宇部市朝日町8番1号 |
位置 | 北緯33度57分29秒 東経131度14分41秒 / 北緯33.958111度 東経131.244639度座標: 北緯33度57分29秒 東経131度14分41秒 / 北緯33.958111度 東経131.244639度 |
アクセス | JR西日本宇部新川駅下車 徒歩3分 |
外部リンク | 渡辺翁記念会館 |

渡辺翁記念会館(わたなべおうきねんかいかん、英語: Watanabe Memorial Hall)は、山口県宇部市朝日町に所在する音楽ホール。一般財団法人宇部市文化創造財団が運営している。
建物は重要文化財。設計者は村野藤吾であり、日本におけるモダニズム建築の代表作のひとつとされる[1]。
歴史[編集]
会館の建設[編集]
1934年(昭和9年)7月20日にはUBE(旧・宇部興産)創業者として宇部市の発展に大きく寄与した渡辺祐策が死去した。渡辺の功績を顕彰するため、渡辺の関連した沖ノ山炭鉱など7つの会社によって渡辺翁記念事業委員会が組織され、記念事業の実施が検討された。宇部市では市民公会堂建設の必要性が高まっていたが、費用面で目途が立っていなかったこともあり、渡辺翁記念事業委員会が宇部市民館を建設して宇部市へ寄贈することが決定した[2]。
1935年(昭和10年)10月に建設工事に着工[2]、1937年(昭和12年)4月に竣工し、隣接する公園とともに宇部市に寄贈された[2]。この間の1937年(昭和12年)3月には名称を渡辺翁記念会館に変更し[2]、7月に渡辺翁記念会館が開館している。1936年(昭和11年)には彫刻家の朝倉文夫によって銅像「渡辺祐策翁像」が建立され、戦後の1952年(昭和27年)に銅像が再建されている。
開館後の動向[編集]
1951年(昭和26年)、バイオリン奏者ユーディ・メニューインの来日時の演奏会場に指定されたことなどをきっかけに、音響効果のすぐれたホールとして広く知られるようになった[3]。
1976年(昭和51年)11月、老朽化に伴う改修工事(第一次)が竣工した。1979年(昭和54年)11月1日には渡辺翁記念会館の隣接地に、やはり村野の設計で宇部市文化会館が開館した。1992年(平成4年)10月、老朽化に伴う改修工事(第二次)及び周辺(渡辺翁記念公園)整備工事に着工し、1994年(平成6年)3月に第二次改修工事が竣工した。
近年の動向[編集]
1995年(平成7年)、社団法人建築・設備維持保全推進協会(現ロングライフビル推進協会)による第4回BELCA賞ロングライフ部門を受賞した[4]。長期にわたる利用を可能とする設計と、その後の実際の適切な維持管理が評価されている。
1997年(平成9年)6月12日には登録有形文化財に登録された。1999年(平成11年)8月、DOCOMOMO Japanによって日本の近代建築20選(国内のモダン・ムーブメントを象徴する現存例20件)に選定された[2]。2005年(平成17年)12月27日、村野が設計した作品として初めて国の重要文化財に指定された[1]。
2007年(平成19年)11月、経済産業省によって「産炭地域の特性に応じた近代技術の導入など九州・山口の石炭産業発展の歩みを物語る近代化産業遺産群」の構成遺産に認定された[2]。「風格があり、昭和初期のモダンな雰囲気を残している」との理由から、同年には映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』のロケ地となり、東京・銀座の映画館という設定で劇中に登場した[5]。
建築[編集]
渡辺翁記念会館 | |
---|---|
![]() | |
情報 | |
設計者 | 村野藤吾[1] |
施工 | 沖ノ山炭鉱 |
構造形式 | RC造及びSRC造[1] |
敷地面積 | 8,910 m² |
建築面積 | 2,581.67 m² [1] |
延床面積 | 4,582 m² |
階数 | 地下1階、地上3階[1] |
着工 | 1935年10月 |
竣工 | 1937年4月 |
文化財 | 重要文化財 |
指定・登録等日 | 2005年12月27日[1] |
設計者は村野藤吾である[1]。村野は後に宇部興産ビル(ANAクラウンプラザホテル宇部)、旧宇部銀行館、宇部興産宇部ケミカル工場事務所など、宇部市に関連した多数の建築物を設計しているが、宇部市における最初の仕事が渡辺翁記念会館であり、村野自身も「私の出世作」と語っている[3]。
渡辺翁記念会館の設計にあたって、村野は早稲田大学の音響工学者である佐藤武夫の助言を受けるなど、音楽ホールとしての音響特性に特に注意した[3]。その結果、特に舞台上で他の演奏者の演奏がよく聞こえるなど、演奏に適した音響特性が実現した。
建物は鉄筋コンクリート構造(会堂部分は鉄骨鉄筋コンクリート構造。外壁は黒褐色タイル張りとする。客席両脇の側廊などが後に増設されているが、おおむね竣工当初の形態を残している。会館前のテラスには正面に長方形の「記念碑」、左右に3本ずつ計6本の「記念柱」があり、これらは会館を寄贈した7つの企業を象徴している[6]。
良質の材料が十分に使用されたことや、2度の大改修を含む適正な維持管理が行われてきたことから、西日本でもっとも歴史のある音楽ホールの一つとして、今日でも国内外の演奏家によって利用されている。[要出典]
ホールの諸元[編集]
- 固定客席 - 1353席(1階837席、2階516席)
- 楽屋 - 1階に30m2 が1室、2階に88m2 が2室
- リハーサル室 - 76m2
- ロビー - 1階320.07m2 、2階551.81m2
- 会議室 - 1階94.24m2 、2階32.80m2 と23.85m2
- 舞台 - 間口18m(大臣柱14m)、奥行12m
-
ホール
-
階段
交通アクセス[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 建材試験情報編集委員会『建材試験情報』44号、財団法人建材試験センター、2008年5月1日 。
関連項目[編集]
- 宇部市俵田翁記念体育館 - UBE初代社長の俵田明を顕彰するために宇部興産が建設し宇部市に寄付した体育館。