阪谷琴子

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さかたにことこ

阪谷琴子
1879年、9歳頃の琴子(左)と姉の歌子
生誕 1870年3月23日
東京府神田神保町(現・東京都千代田区
死没 (1939-10-26) 1939年10月26日(69歳没)
大日本帝国の旗 大日本帝国東京府
墓地 谷中霊園
別名 阪谷こと
阪谷琴
渋沢こと
配偶者 阪谷芳郎
子供 長男・阪谷希一
次男・阪谷俊作
長女・堀切敏子
次女・高嶺和子
三女・中村八重子
四女・秋庭千恵子
五女・伊藤總子
父・渋沢栄一
母・渋沢千代
親戚 伯父:尾高惇忠
同母姉:穂積歌子
同母弟:渋沢篤二
義兄:穂積陳重
甥:穂積重遠
甥:穂積真六郎
甥:渋沢敬三
甥:渋沢信雄
甥:渋沢智雄
孫:阪谷芳直
曾孫:阪谷綾子
玄孫:橋本岳
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阪谷 琴子(さかたに ことこ、1870年3月23日明治3年2月22日[1]) - 1939年昭和14年)10月26日[1])は、日本の人物。子爵渋沢栄一の次女で、男爵(後に子爵[2]阪谷芳郎の妻。長男に子爵阪谷希一

人物[編集]

1870年、渋沢栄一と妻・千代の次女として東京府に生まれる。母を早くに亡くした後は、同母弟の渋沢篤二と共に、義兄穂積陳重と姉歌子の夫妻に育てられた。1888年に阪谷芳郎と結婚した。翌年には長男・希一も誕生し、幸せな家庭を築いた。家庭教育を大切にした夫の遺志を尊重し、愛情深く子育てしたという。家庭夫人のみならず、結婚後は慈恵医院婦人会に入って慈善活動を行い、皇后から上野慈恵病院常置幹事を任命されるなどの活躍もした。晩年は孫の芳直の成長を楽しみにしていたという。

1939年に69歳で死去した。夫の芳郎は琴子の死から2年後の1941年に78歳で死去した[2]

子女[編集]

登場作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 平成新修旧華族家系大成 上巻』(霞会館、1996年)p.652
  2. ^ a b 阪谷芳郎は琴子との結婚後に男爵を叙爵されていたが、琴子との死別後、自身の死の直前になって子爵へ陞爵された。