沢村栄治賞

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沢村栄治賞(さわむらえいじしょう)、通称:沢村賞(さわむらしょう)は、日本プロ野球における特別賞の一つ。

戦前のプロ野球黎明期において豪速球投手として名を馳せた巨人軍の沢村栄治の栄誉と功績を称えて、雑誌「熱球」が企画して1947年に私的表彰を始めたことに端を発し、後に特別賞として公の賞に認定された。なお、沢村賞は公式の表彰に準ずる特別賞であり、最優秀投手賞は公式表彰項目の一つとして別に存在する。

概要

選考対象はその年における先発完投型の投手で、選考基準は以下の7項目。

選考基準ができたのは1982年からで、それ以前は選考基準もなく記者投票で選出されていた。これらの項目をどれだけ満たしているかを参考にして、「沢村賞選考委員会」の審議により、毎年12球団の中から原則1名が選出される。賞金は300万円。選考基準項目を多く満たした投手ほど受賞に有利であるがあくまで参考にすぎず、他に特筆すべき成績があればこの限りではない。2008年のように全ての基準を満たしたダルビッシュ有が受賞を逃すケースも存在する。

選考委員は原則5名。2008年度の選考委員会の委員は土橋正幸(委員長)、堀内恒夫平松政次村田兆治大野豊の5人。

設立当初はシーズン最優秀投手の選考が目的であり、全ての投手が対象であったが、当時の優秀な投手の殆どが先発完投型であり、選考基準が設立当初の時代に沿ったものであることから、完投する投手が減った現在では先発完投型投手のみが実質的な選考対象になってしまっている。また、発端が読売ジャイアンツのファン雑誌「熱球」による私的な表彰であったため、1950年の2リーグ分立後は長い間セントラル・リーグ加盟球団所属選手のみに対象が限定されていたが、1989年からパシフィック・リーグ加盟球団所属選手にも対象が拡大された(パ・リーグ加盟球団所属選手で初めて受賞した投手は1990年野茂英雄)。

また、外国人選手が選ばれるケースは稀であり、1964年ジーン・バッキーしか存在しない。

設立当初と異なり分業化が進んだ現在では、「リリーフ投手にも沢村賞の資格を与えるべきではないか」との声もあるが、選考委員長も経験した稲尾和久の「リリーフ投手は、先発投手になれなかった者がなるものである」や、「そもそも沢村栄治が先発完投投手であったのに、リリーフ投手をも選考の対象にするのは賞の主旨とずれてしまうのではないか」という反対意見が強い[1]

歴代受賞者で日本シリーズ登板機会がない投手は、権藤博小川健太郎、平松政次、遠藤一彦、野茂英雄、今中慎二の6人。

メジャーリーグのサイ・ヤング賞を真似て作られた賞と誤解されがちだが、その歴史はサイ・ヤング賞(1956年制定)より古い。

歴代受賞者

名前 所属 登板 完投 勝利 勝率 投球回 奪三振 防御率
1947 別所昭 南海 55 47 30 .612 448 1/3 191 1.86
1948 中尾碩志 巨人 47 25 27 .692 343 187 1.84
1949 藤本英雄 巨人 39 29 24 .774 288 137 1.94
1950 真田重男 松竹 61 28 39 .765 395 2/3 191 3.05
1951 杉下茂 名古屋 58 15 28 .683 290 1/3 147 2.35
1952 杉下茂 名古屋 61 25 32 .696 355 2/3 160 2.33
1953 大友工 巨人 43 22 27 .818 281 1/3 173 1.85
1954 杉下茂 中日 63 27 32 .727 395 1/3 273 1.39
1955 別所毅彦 巨人 50 17 23 .742 312 152 1.33
1956 金田正一 国鉄 68 24 25 .556 367 1/3 316 1.74
1957 金田正一 国鉄 61 25 28 .636 353 306 1.63
1958 金田正一 国鉄 56 22 31 .689 332 1/3 311 1.30
1959 村山実 大阪 54 19 18 .643 295 1/3 294 1.19
1960 堀本律雄 巨人 69 26 29 .617 364 2/3 210 2.00
1961 権藤博 中日 69 32 35 .648 429 1/3 310 1.70
1962 小山正明 阪神 47 26 27 .711 352 2/3 270 1.66
1963 伊藤芳明 巨人 39 18 19 .704 236 1/3 166 1.90
1964 G・バッキー 阪神 46 24 29 .763 353 1/3 200 1.89
1965 村山実 阪神 39 26 25 .658 307 2/3 205 1.96
1966 村山実 阪神 38 24 24 .727 290 1/3 207 1.55
堀内恒夫 巨人 33 14 16 .889 181 117 1.39
1967 小川健太郎 中日 55 16 29 .707 279 2/3 178 2.51
1968 江夏豊 阪神 49 26 25 .676 329 401 2.13
1969 高橋一三 巨人 45 19 22 .815 256 221 2.21
1970 平松政次 大洋 51 23 25 .568 332 2/3 182 1.95
1971 該当者なし
1972 堀内恒夫 巨人 48 26 26 .743 312 203 2.91
1973 高橋一三 巨人 45 24 23 .639 306 1/3 238 2.21
1974 星野仙一 中日 49 7 15 .625 188 137 2.87
1975 外木場義郎 広島 41 17 20 .606 287 193 2.95
1976 池谷公二郎 広島 51 18 20 .571 290 1/3 207 3.26
1977 小林繁 巨人 42 11 18 .692 216 1/3 155 2.92
1978 松岡弘 ヤクルト 43 11 16 .593 199 1/3 119 3.75
1979 小林繁 阪神 37 17 22 .710 273 2/3 200 2.89
1980 該当者なし
1981 西本聖 巨人 34 14 18 .600 257 2/3 126 2.58
1982 北別府学 広島 36 19 20 .714 267 1/3 184 2.43
1983 遠藤一彦 横浜大洋 36 16 18 .667 238 1/3 186 2.87
1984 該当者なし
1985 小松辰雄 中日 33 14 17 .680 210 1/3 172 2.65
1986 北別府学 広島 30 17 18 .818 230 123 2.43
1987 桑田真澄 巨人 28 14 15 .714 207 2/3 151 2.17
1988 大野豊 広島 24 14 13 .650 185 183 1.70
1989 斎藤雅樹 巨人 30 21 20 .741 245 182 1.62
1990 野茂英雄 近鉄 29 21 18 .692 235 287 2.91
1991 佐々岡真司 広島 33 13 17 .654 240 213 2.44
1992 石井丈裕 西武 27 8 15 .833 148 1/3 123 1.94
1993 今中慎二 中日 31 14 17 .708 249 247 2.20
1994 山本昌広 中日 29 14 19 .704 214 148 3.49
1995 斎藤雅樹 巨人 28 16 18 .643 213 187 2.70
1996 斎藤雅樹 巨人 25 8 16 .800 187 158 2.36
1997 西口文也 西武 32 10 15 .750 207 2/3 192 3.12
1998 川崎憲次郎 ヤクルト 29 9 17 .630 204 1/3 94 3.04
1999 上原浩治 巨人 25 12 20 .833 197 2/3 179 2.09
2000 該当者なし
2001 松坂大輔 西武 33 12 15 .500 240 1/3 214 3.60
2002 上原浩治 巨人 26 8 17 .773 204 182 2.60
2003 井川慶 阪神 29 8 20 .800 206 179 2.80
斉藤和巳 ダイエー 26 5 20 .870 194 160 2.83
2004 川上憲伸 中日 27 5 17 .708 192 1/3 176 3.32
2005 杉内俊哉 ソフトバンク 26 8 18 .818 196 2/3 218 2.11
2006 斉藤和巳 ソフトバンク 26 8 18 .783 201 205 1.75
2007 ダルビッシュ有 日本ハム 26 12 15 .750 207 2/3 210 1.82
2008 岩隈久志 楽天 28 5 21 .840 201 2/3 159 1.87
名前 所属 登板 完投 勝利 勝率 投球回 奪三振 防御率
  • 太字はリーグ1位
  • 斜字は選考基準を満たしていない項目
  • 太斜字はリーグ1位だが選考基準を満たしていない項目
最多選出回数:3回
杉下茂、金田正一、村山実、斎藤雅樹
※斎藤の選出はいずれも対象が両リーグとなってからである。
最多連続選出:3年連続
金田正一(1956年~1958年)
選考基準を全項目満たした投手 
北別府学(1982年)、江川卓(1982年)、桑田真澄(1987年)、斎藤雅樹(1989年)、佐々岡真司(1991年)、今中慎二(1993年)、ダルビッシュ有(2007年、2008年)
※選考基準ができた1982年以降の投手に限る。この中で全項目を満たしながら受賞できなかったのは1982年の江川と2008年のダルビッシュのみである。

エピソード

  • 1980年最多勝利を獲得した江川卓が有力視されたが、該当者無しとなっている。2年前の松岡弘と比較して主要部門の成績はほとんど超えていたが、所属球団の成績(1978年ヤクルト優勝、1980年巨人3位)が大きく左右される結果となった。
  • 1981年投手五冠を達成した江川卓が最有力と見られていたが、西本聖の受賞となった。この選考理由として「開幕ダッシュに対しての西本の貢献を評価」とか「ピッチングフォームが沢村に似ているから」(当時の西本は、沢村栄治ばりに左足を高く上げるフォームだった)といったコメントが挙げられた。これは江川事件が背景にあったためであり、結局沢村賞はこの年を最後にマスコミによる投票を止め、現在のOBによる選出となった。ちなみに江川はこの年セ・リーグMVPに選出されているが、沢村賞とは引退まで無縁だった。
  • 1984年には、前年に受賞した遠藤一彦が勝利数、奪三振数ともに前年を上回っていたが、防御率の悪さなどもあって2年連続の受賞を逃す。同年は受賞者なし、であった。
  • 2001年に松坂大輔が選出された際に、「もっと良いピッチングをするようにとの期待を込めての選出であり、文句のつけようのない成績で再び選ばれることを期待している」という内容のコメントが選考委員から発表された。選考委員会の審議が行われた際には、委員同士で「もっと防御率が良くないと」「負け数が多過ぎる(15敗)」「四死球を減らさないと」と投球内容に関する注文が相次ぎ、あげくの果てに「茶髪はダメだ」「私生活がだらしない」などと投球内容に直接関係があるとは思えないような異議まで出たそうである。
  • 2008年は21勝を挙げた岩隈と12球団で唯一基準7項目をクリアしたダルビッシュとの一騎打ちとなった。複数受賞もありえたが、岩隈の勝星"21"が決め手となり、単独受賞で決定した。

脚注

  1. ^ 1974年星野仙一(先発とリリーフの兼任)の様なケースも存在する。星野はこの年、最多セーブ投手のタイトルを獲得している。

関連項目