民工

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中国の民工

民工(みんこう)/農民工(のうみんこう)とは、中華人民共和国において、農村から都市に出かけて就労する、農村に戸籍(戸口)を持つ者をいう[1]。いわゆる出稼ぎ農民と対比されるが、農民工は中国独特の存在である[1]。農民工は、広義と狭義の2種類があり、広義では農村に定着しながら地元の郷鎮企業で働く者と、地元農村を離れいくつもの地方都市で複数の企業を渡り歩く者とを含み、それら以外の者が、狭義の農民工である[1]。中国国家統計局の発表によると、2011年の時点で全人口のほぼ2割に相当する2億5278万人の農民工がいるとされる[2]。このうち前述地元企業で働くもの以外の者が、故郷を離れて都市部で働く狭義の農民工が、1億5863万人を占める[2]

背景としての都市と農村の二重構造[編集]

中国においては、都市(城鎮)と農村(郷村)、都市住民(居民)と農民(農民)という法体系上の差別が存在している[3]中華人民共和国憲法は、法の下の市民の平等を規定しているが、実際には都市と農村との間に大きな格差が存在しており、都市と農村という二元的な管理構造が中国社会の大きな特徴となっている[3]国有企業計画経済体制のもとで活動していた1980年代半ばまで、都市労働者については、一律いわゆる「固定工」システムがとられ、学校を卒業すれば、国から職が行政的に分配され、基本的に定年までその職場で勤務した[4]。いわば、都市労働者の就業は基本的に国によって保障されていたのである[5]。職場は生産組織として「労働=報酬」という単純な経済的機能にとどまらず、都市住民の生活基盤にかかわる包括的な機能を果たした[4]。それは国家による国民把握のための基本単位ともなり、文字通り「単位(ダンウェイ)」と呼ばれた[4]。「単位」は各種生活物資や住宅の配給、医療・年金などの社会保障、食堂・浴場・保育園・学校・商店・理髪店・娯楽施設などの社会サービスを従業員に提供し、ゆりかごから墓場まで「単位」が面倒みる社会が実現した[6]。都市住民に対するさまざまな社会保障制度は、食いっぱぐれがないという意味で「鉄飯碗」(割れない茶碗)と形容された[6]。このシステムが実現可能だったのは、農村からの人口移動を戸籍制度によって厳しく制限し、都市を閉じられた空間にできたからである[6]。大都市を中心に発達した工業は、ごく一部を除き国有化され、そこで働く労働者は国営企業の従業員として、公務員に準ずる待遇を得た[3]。これに対し建国直後の毛沢東の土地改革によりいったんは農民の私有とされた土地が、1950年代半ばの農業集団所有化によって集団所有へと移行したため、農村では集団所有制が所有制の基軸を形成した[3]。そして、集団所有のもとにおかれた農村住民に対しては、自給自足を前提にして、社会保障制度の対象から外され政府からの十分な保護を受けることができなかった[7]。それでも経済的に恵まれた少数の人民公社は集団所有制のメリットを発揮して互助的な生活環境を維持できたが、大半の人民公社は厳しい貧困に直面していた[7]。このように、都市と農村、都市住民と農民という差別は、所有制による差別を基礎に成立しているともいえる[7]

改革開放路線と農民工の登場[編集]

1978年中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議で「改革開放」路線が打ち出され、市場経済への移行が進むにともない、このような関係は急速に解消され、国有企業に解雇権が与えられる一方、労働者にも職業選択の自由が与えられ、労働力市場が形成されることになった[5]。これにより国有企業は終身雇用制から転換して、労働契約制に移行することになった[5]。当初は普及しなかった労働契約制は、1993年中華人民共和国公司法の制定により国有企業が株式会社に移行し始めたこと、1994年中華人民共和国労働法の制定が労働契約制への全面的な移行を促したことにより、急速に普及した[5]。労働契約の普及は、多様な雇用形態を生み出し、安価な賃金を前提とする労働力市場の拡大が中国経済の拡大を支えるという構図を確立する一方、安価な労働力を確保する必要性が、労働者の権利をなおざりにする傾向を助長した[5]。貧しい農村地域からも、賃金収入を求めて大量の労働者である「農民工」とその家族が都市へ流入した[5][8]。当初は「盲流」すなわち目的なき(人口)流動と呼ばれたこの人たちは、後に「民工潮」と言い表され、都市と農村をつなぎ、伝統的二重構造を崩壊させる存在として注目された[8]。しかし、彼らは職を得て都市に定住しても、戸籍は出身地の農村に置かれたままになり、都市戸籍を得られるわけでない[9]。このような「農民工」の多くは、二級市民として差別され、貧困から抜け出せない生活を余儀なくされた[5]

農民工の不満[編集]

2011年6月10日広東省広州市内大敦村にて、露天商の四川省出身の出稼ぎ農民である女性が、大敦村治安防衛委員会の委員に暴行される事件が発生した[10]。この委員は日頃から露天商から場所代を巻上げていたが、この日は女性が支払いを拒否したので暴行に及んだ[10]。同じ境遇の者を中心に市民が事件に抗議をし、数百人が公安派出所に押しかけ、加害者の謝罪を求めた[10]。翌日は抗議に加わる者も増え、深夜には1000人以上の群衆が集まり、車両数台がひっくり返され、バスが放火されるという事態にエスカレートし、12日には大敦村の中心部は無法状態に陥った[10]。事態を重くみた省政府により広州軍管区の部隊2700人を出動させた[10]

二元的社会構造の変革[編集]

胡錦濤政権は2002年の成立以後「和諧社会」の創出を掲げて、経済格差の是正に取り組んできた[11]。2005年頃から新農村建設という政策を掲げて、内陸部農村の経済発展を促し、2010年頃からは労働者の最低賃金制度を普及させるとともに、大幅な賃金引き上げを実施している[11]。また新農村建設と並行して、都市と農村の垣根を取り払う都市・農村一体化政策を段階的に実施しており、その中で農村戸籍を都市戸籍に切り替える措置も実施している[11]。このような政策の展開によって、安価な労働力を大量に提供してきた中国の労働市場にも、重大な変化が生じている。賃金が上昇しているだけでなく、労働力不足が問題となるようになっている[11]。内陸の農村部から沿海部の都市地域へという労働者の流れに変化が生じていることが原因の一つである[11]2011年春節後、広東省では農民工の約2割が、帰郷したまま職場に復帰しなかった[11]。出身地の四川省などで、賃金が上昇して、春節期間中に地元企業に転職してしまった農民工が多くいたためである[12]。広東省には2010年時点で2600万人を超える農民工が流入していると見られるが、その内多くは四川省や重慶市の出身であるが、両者とも農民に都市戸籍を与え、Uターンを促している[12]。重慶市では2010年8月から10年計画で、市内農村人口の約7割にあたる1000万人を対象に、農村戸籍から都市戸籍への切り換えを進める[12]

農民工の第一世代と新世代[編集]

1990年から2000年代の初期、広い地域をまたがって内陸部から東部に大移動した農民工の大半は、1960年代から1970年代までの生まれで、出稼ぎの目的は、農村にいる家族への仕送りが圧倒的に多かった[13]。彼らは「第一世代農民工」と呼ばれ、故郷の家を建て替え、生活費や子供の教育費もある程度貯まったら、農村に戻りたいと考えていた世代であった[13]。「現金を稼げればよい」と単純に考え、権利意識がほとんどなく、どんな劣悪な環境でもつらい肉体労働でも不公平な待遇でも限界まで耐え抜く[14]。2006年国家統計局の調査では、彼らは都市部の労働者の半分以下の給料で働き、労働時間は1日平均9時間、休日が全くない人は全体の47パーセントだった[14]。これらの第一世代に対し、子供の頃から都市で暮らす彼らの子供たちや、2003年頃以降に都市に移り住んだ「80後(バーリンホウ)」「90後(ジュウリンホウ)」の若者は「新世代農民工」と呼ばれる[13]。彼らは権利意識が高く、携帯電話やインターネットを使いこなし、横のつながりを持っているため、「泣き寝入り」などはしない。2010年以降、日系企業で頻発した賃上げ要求ストライキは、ほとんど新世代農民工によって起こされてい[15]る。

農民工とNGO[編集]

こうした農民工の窮状を少しでも緩和するため、彼らの権利擁護を訴える草の根NGOが、2002年・2003年ころから農民工自身によって設立されている[13]。名前が比較的知られているNGOだけでも、全国で40を超える[13]

中国経済の減速と農民工[編集]

2015年の中国の経済成長率は実質6.9パーセントとなり、25年ぶりの低水準となった[16]。貿易額も2009年以来の減少となった[16]。このような中国経済の減速のなかで、製造業の集積地として中国経済を引っ張ってきた珠江デルタにおいて、「農民工」が集まらなくなるという異変が起きている[16]。珠江デルタ内の東莞では、2010年に月額920元(約1万6000円)だった最低賃金が2015年には月額1510元(約2万7000円)と1.6倍に、広州では1.7倍、深圳も1.8倍と高騰している[16]。東莞では給料が払えないまま経営者が夜逃げする工場も多い。そうした情報がスマートフォンなどを通じて出稼ぎ労働者の間で広まり、さらに人を集めにくくなっている[16]。賃金の上昇でコスト面から沿海部での操業が厳しくなった工場を、人件費の安い東南アジアのほか、中国内陸部に移転する動きも進む[16]。中国国家統計局によると、農民工は2015年に中国全国で約2億7700人おり、前年から比べて1.3パーセント増えた[16]。内訳をみると故郷を離れる人の伸び率が0.4パーセントだったのに対し、地元で働く人の伸び率は2.7パーセントとなった[16]。農民工の「地元志向」が数字にも表れている[16]。かつて内陸部は輸送の不便さがネックだったが、2005年に4万キロメートルだった高速道路網も2014年末には約11万キロメートルと3倍近く延び、輸送上のネックも解消されつつある[16]。中国国務院は、2016年1月に、工場移転をさらに促すため、企業活動が円滑に進められる環境整備や人材確保の施策を進めるよう、地方政府に指示した[16]

出典[編集]

  1. ^ a b c 張(2011年)73ページ
  2. ^ a b 李(2012年)98ページ
  3. ^ a b c d 田中(2012年)421ページ
  4. ^ a b c 鈴木(2010年)209ページ
  5. ^ a b c d e f g 田中(2012年)417ページ
  6. ^ a b c 鈴木(2010年)210ページ
  7. ^ a b c 田中(2012年)422ページ
  8. ^ a b 厳(2009年)47ページ
  9. ^ 田中(2013年)87ページ
  10. ^ a b c d e 田中(2013年)86ページ
  11. ^ a b c d e f 田中(2013年)88ページ
  12. ^ a b c 田中(2013年)89ページ
  13. ^ a b c d e 李(2012年)103ページ
  14. ^ a b 李(2012年)104ページ
  15. ^ 李(2012年)105ページ
  16. ^ a b c d e f g h i j k 朝日新聞(2016年1月22日)第12面「世界の工場 離れる農民工」

参考文献[編集]

  • 國谷知史・奥田進一・長友昭編集『確認中国法用語250WARDS』(2011年)成文堂(「農民工」の項 執筆担当;張紅)
  • 李妍焱(リ・ヤンヤン)著『中国の市民社会-動き出す草の根NGO』(2012年)岩波新書
  • 小口彦太・田中信行著『現代中国法(第2版)』(2012年)成文堂(第9章「会社法」執筆担当;田中信行)
  • 高見澤麿・鈴木賢著『叢書中国的問題群3中国にとって法とは何か-統治の道具から市民の権利へ』(2010年)岩波書店(第8章「現代中国における市場経済を支える法」執筆担当;鈴木賢)
  • 田中信行編『入門中国法』(2013年)弘文堂 第7章「労働」(執筆担当;石本茂彦)
  • 厳善平著『叢書中国的問題群7農村から都市へ-1億3000万人の農民大移動』(2009年)岩波書店

関連項目[編集]