標津遺跡群

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標津遺跡群(しべついせきぐん)は、北海道標津郡標津町字標津に所在する擦文文化オホーツク文化の集落跡を代表する広域的な遺跡群である。伊茶仁カリカリウス遺跡、古道遺跡、三本木遺跡の3つの遺跡と、伊茶仁川沿いに残された国指定級の遺跡群から成っており、最大の特徴は、現在の地表面から数千年も昔の竪穴住居跡が窪みとして確認でき、しかもその数が日本最大の規模を誇ることである[1]


遺跡[編集]

伊茶仁カリカリウス遺跡[編集]

  • 伊茶仁カリカリウス遺跡位置)(いちゃにカリカリウスいせき)は、ポー川伊茶仁川に挟まれた標高20メートルの台地に位置する。1200あまりの竪穴住居跡が台地縁辺部で観察され、ここでは擦文文化の竪穴住居の構造が明らかにされている。1979年(昭和54年)5月22日史跡に指定される[2][3]

天然記念物標津湿原と合わせて542haの指定地と標津町歴史民俗資料館縄文時代からの竪穴住居跡群などのポー川史跡自然公園として整備されている[4]

古道遺跡[編集]

  • 古道遺跡位置)は、標津川の流域の標高8メートルの左岸段丘に立地し、擦文時代を中心とする219の竪穴住居跡とコの字形の面崖式チャシからなり、1976年(昭和51年)6月21日史跡に指定される[2][3]。現在の標津川河口から約4km上流の左岸に位置し、標高12mほどの台地の上に、縄文~続縄文時代のものと思われる円・楕円形の竪穴住居跡のくぼみ52軒と、擦文時代の方形のくぼみ160軒が確認されている[5]

三本木遺跡[編集]

  • 三本木遺跡位置)は、標津川の左岸に発達した海岸砂丘上に立地するオホーツク文化期の五角形ないし六角形の21軒分の竪穴住居跡が地表から観察され、下層に続縄文文化の遺構の存在が確認された。1989年(平成元年)10月22日史跡に指定される[2][3]。標津川左岸の蛇行河川跡に面した標高3mほどの海岸砂丘上に、21軒以上の竪穴住居跡くぼみが確認されている[6]

脚注[編集]

  1. ^ 根室振興局 標津遺跡群伊茶仁カリカリウス遺跡古道遺跡三本木遺跡(ポー川史跡自然公園)
  2. ^ a b c 竹田輝男「標津遺跡群」文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第1巻 原始1』同朋舎出版 1991年 34ページ
  3. ^ a b c 標津遺跡群 伊茶仁カリカリウス遺跡・古道遺跡・三本木遺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  4. ^ 北海道文化資源データーベース
  5. ^ 「ポー川史跡自然公園」ホームページ(標津町)
  6. ^ 「ポー川史跡自然公園」ホームページ(標津町)

参考文献[編集]

  • 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第1巻 原始1』同朋舎出版 1991年 ISBN 4-8104-0924-4

関連項目[編集]

外部リンク[編集]