東海道五十三次 (浮世絵)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cf/Portrait_%C3%A0_la_m%C3%A9moire_d%27Hiroshige_par_Kunisada.jpg/220px-Portrait_%C3%A0_la_m%C3%A9moire_d%27Hiroshige_par_Kunisada.jpg)
『東海道五十三次』または『東海道五拾三次』(とうかいどうごじゅうさんつぎ)は、歌川広重による浮世絵木版画の連作。右の図は保永堂版(1833年 - 1834年)。1832年、東海道を初めて旅した後に作製したといわれている。東海道は、将軍在所の江戸と、天皇在所の京都を結ぶ道で、かつての日本の大動脈であり、江戸時代の主要道路であった五街道の中でも、最も重要な街道であった。五街道は、将軍を中心とした国家支配を強化する目的で、江戸期に整備されたものである。
保永堂版が圧倒的な知名度を誇っているが、東海道五十三次は非常にポピュラーな題材であり、広重作のものだけでも30種あまりの木版画シリーズが作られ、大版・中版など大きさやデザイン、少ないものでは数枚と含まれる宿場数にまで、さまざまな違いがあった。
『東海道五十三次』保永堂版は、広重の作品のうち最もよく知られたものであり、もっともよく売れた浮世絵木版画でもある。葛飾北斎の『富嶽三十六景』シリーズとともに、名勝を写して、浮世絵に名所絵(風景画)のジャンルを確立した。これらの名所絵には西洋の構成表現が取り入れられ、日本風に消化されて、新しい可能性を生み出している。広重の東海道五十三次のシリーズは、日本だけでなく、のちの西洋美術にも影響を与えた。
東海道
東海道は五街道の1つであり、江戸時代に徳川家康の指示で作られ、当時の首都であった江戸と京都を結んでいた。最も重要でよく使われる街道として、本州の東海岸近くを通っていたことから「東海道」の名がついた。この道に沿って、53の宿場が置かれ、旅行者のための厩舎、食事処、宿泊所が営まれていた。
広重と東海道
1832年、広重は江戸から京都へと、御所に馬を納める御馬献上の公式派遣団の1人として、東海道を旅している[2]。馬は将軍からの象徴的な贈り物であり、天皇の神としての立場を尊重して、毎年贈られていた[3]。
旅の風景は、広重に強い印象を残した。彼は旅の途上でも、同じ道を戻った帰途でも、数多くのスケッチを描いた。家に帰りつくと、広重はすぐに『東海道五十三次』の作製に取り掛かり、第1回目の版を出した[2]。最終的に、このシリーズは55枚の印刷となった。53の宿場に、出発地と到着地を足したものである。
『東海道五十三次』の最初の版は、保永堂と仙鶴堂とを版元とする共同出版であったが、以降の版は保永堂が単独ですべてを取り仕切った[2]。このスタイルの木版画は通常、それぞれ12 - 16銭で売られた。わらじ1足、あるいはうどん1杯とほぼ同じ値段である[4]。『東海道五十三次』の成功により、広重は江戸期で最も成功し最も有名な浮世絵師となった[5]。
その後も広重は渓斎英泉と合作で『木曽街道六十九次』を出版し、中山道(別名:木曽街道)の各宿場をリポートした。
東海道の宿場53(保永堂版)
本来は東海道の宿場数は53であるところを、このシリーズでは出発地の日本橋、到着地の京師(京都のこと)を含めて55となっている。
宿場番号 | 木版画 | 名前 | 読み方 |
---|---|---|---|
江戸出立 | ![]() |
日本橋 | にほんばし |
1 | ![]() |
品川宿[6] | しながわ |
2 | ![]() |
川崎宿 | かわさき |
3 | ![]() |
神奈川宿 | かながわ |
4 | ![]() |
程ヶ谷(保土ヶ谷)宿 | ほどがや |
5 | ![]() |
戸塚宿 | とつか |
6 | ![]() |
藤沢宿 | ふじさわ |
7 | ![]() |
平塚宿 | ひらつか |
8 | ![]() |
大磯宿 | おおいそ |
9 | ![]() |
小田原宿[7] | おだわら |
10 | ![]() |
箱根宿 | はこね |
11 | ![]() |
三島宿[8] | みしま |
12 | ![]() |
沼津宿 | ぬまづ |
13 | ![]() |
原宿 | はら |
14 | ![]() |
吉原宿 | よしわら |
15 | ![]() |
蒲原宿 | かんばら |
16 | ![]() |
由比宿 | ゆい |
17 | ![]() |
興津宿 | おきつ |
18 | ![]() |
江尻宿 | えじり |
19 | ![]() |
府中宿 | ふちゅう |
20 | ![]() |
鞠子宿 | まりこ |
21 | ![]() |
岡部宿 | おかべ |
22 | ![]() |
藤枝宿 | ふじえだ |
23 | ![]() |
島田宿 | しまだ |
24 | ![]() |
金谷宿 | かなや |
25 | ![]() |
日坂宿 | にっさか |
26 | ![]() |
掛川宿 | かけがわ |
27 | ![]() |
袋井宿 | ふくろい |
28 | ![]() |
見附宿 | みつけ |
29 | ![]() |
浜松宿 | はままつ |
30 | ![]() |
舞阪宿 | まいさか |
31 | ![]() |
新居宿 | あらい |
32 | ![]() |
白須賀宿 | しらすか |
33 | ![]() |
二川宿 | ふたがわ |
34 | ![]() |
吉田宿 | よしだ |
35 | ![]() |
御油宿 | ごゆ |
36 | ![]() |
赤坂宿 | あかさか |
37 | ![]() |
藤川宿 | ふじかわ |
38 | ![]() |
岡崎宿 | おかざき |
39 | ![]() |
池鯉鮒宿 | ちりゅう |
40 | ![]() |
鳴海宿 | なるみ |
41 | ![]() |
宮宿 | みや |
42 | ![]() |
桑名宿 | くわな |
43 | ![]() |
四日市宿 | よっかいち |
44 | ![]() |
石薬師宿 | いしやくし |
45 | ![]() |
庄野宿[9] | しょうの |
46 | ![]() |
亀山宿 | かめやま |
47 | ![]() |
関宿 | せき |
48 | ![]() |
坂下宿 | さかした |
49 | ![]() |
土山宿 | つちやま |
50 | ![]() |
水口宿 | みなくち |
51 | ![]() |
石部宿 | いしべ |
52 | ![]() |
草津宿 | くさつ |
53 | ![]() |
大津宿 | おおつ |
京都到着 | ![]() |
三条大橋 | きょうと |
影響
フィンセント・ファン・ゴッホは浮世絵を熱心にコレクションし、パリのサミュエル・ビングのギャラリーで弟テオと合わせて数百にも上る版画を入手していた[10]。このコレクションには『東海道五十三次』の版画も含まれており、ゴッホはコレクションした浮世絵から、明るい色彩、自然の細かい描写、西洋の様式にはない構成などの様式を、自身の作品にも取り込んだ[11]。彼の私信に「私の作品は、日本の美術に基づいている」と述べた言葉があり、印象派の画家を「フランスの日本人」と表現したりした[12]。
建築家のフランク・ロイド・ライトも広重の版画の熱心なコレクターであり、『東海道五十三次』も入手していた。1906年に広重の初めての回顧展をシカゴ美術館で開催し、そのカタログに「世界の芸術に最も価値ある貢献をした」という言葉を寄せている[13]。シカゴ美術館で2年後に行われた別の浮世絵展でも、彼は自身のコレクションを提供している。ライトはまた展示会場のデザインも行ったが、これは当時この種のものに関して、最も大きな展覧会であった[13]。その専門知識を基に浮世絵に美を見い出し、ライトは版画から設計構造を洞察し、傷んだ浮世絵に線や陰を描き足して修正し、その絵画様式を理解しようと努力した[14]。
脚注
- ^ 実際に広重は剃髪して仏門に入っていた。
- ^ a b c 岡畏三郎著、英文版『広重の世界 Hiroshige: Japan's Great Landscape Artist 』75ページ。講談社インターナショナル社刊、1992年。ISBN 4770021216
- ^ Hagen, Rose-Marie, and Rainer Hagen. 『 Masterpieces in Detail: What Great Paintings Say, Vol. 2 』357ページ。 Taschen, 2000年。 ISBN 3822813729
- ^ Hagen & Hagen, Masterpieces in Detail, 352ページ
- ^ Goldberg, Steve. "Hiroshige" in Lives & Legacies: An Encyclopedia of People Who Changed the World - Writers and Musicians, Ed. Michel-André Bossy, Thomas Brothers & John C. McEnroe, 86ページ。Greenwood Press, 2001年。 ISBN 1573561541
- ^ 『品川』は、江戸の南、品川湾を見渡している。海岸には岡場所が点在しており、遊女が客をとっていた。桟敷からは美しい湾の風景を見渡せ、鳥居清長も名作『美南見十二候(みなみじゅうにこう)』を残している。
- ^ 酒匂川(さかわがわ)の浅瀬を渡っている。
- ^ 『三島』は『東海道五十三次』のシリーズの中でも、もっとも有名な作品の1つである。霧、雨、雪や夜の風景など、周囲がにじんでいるのが、特徴的である。
- ^ 『庄野』は『東海道五十三次』の中でも特に有名な1枚である。
- ^ Edwards, Cliff. Van Gogh and God: A Creative Spiritual Quest", 90ページ. Loyola Press, 1989年. ISBN 0829406212
- ^ Edwards. Van Gogh and God, 94ページ.
- ^ Edwards. Van Gogh and God, 93ページ.
- ^ a b Fowler, Penny. Frank Lloyd Wright: Graphic Artist, 30ページ. Pomegranate, 2002年. ISBN 0764920170
- ^ Fowler, Frank Lloyd Wright, 31ページ.
秀学社発行の「美術の表現と鑑賞」の105ページ右下に「東海道五拾三次」と記述。
外部リンク