鞠子宿

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歌川広重「東海道五十三次・鞠子」(初版では「丸子」と表記)[1]
鞠子宿の位置(静岡県内)
鞠子宿
鞠子宿
位置

鞠子宿(まりこしゅく、まりこじゅく)は、東海道五十三次の20番目の宿場である。丸子宿とも書く。現在の静岡県静岡市駿河区丸子で、最寄り駅は東海道線安倍川駅

概要[編集]

東海道中でもっとも小さい宿場で、天保14年(1843年)の記録によると、家の数は211軒、旅籠は24軒であったという。東海道伝馬制の制定により、丸子が宿場町となったのは、関ヶ原の戦いの翌年の慶長6年(1601年)で、江戸から数えて20番目の宿場町であった。

となりの岡部宿藤枝市)との間の宇津ノ谷(静岡市駿河区)には昔の街並が、付近には源氏今川氏徳川氏ゆかりの史跡が残る。安倍川の丸子橋近くには、高札場の跡があり、宿場町に現存する高札のレプリカが立っている。

名物はとろろ汁である[2]。広重の鞠子宿の浮世絵はクロード・モネの連作「積みわら」に構図やグラデーションの使い方など影響を与えた。また、松尾芭蕉も「梅若葉丸子の宿のとろろ汁」という句を詠んでいる(「猿蓑」)ほか、十返舎一九は『東海道中膝栗毛』の丸子のシーンでとろろ汁を作中に取り入れている。

丁子屋[編集]

丁子屋

丁子屋(ちょうじや)は、鞠子宿の名物とろろ汁を提供する店の一つ。所在地は静岡市駿河区丸子七丁目10-10。

創業は戦国時代末期の1596年(文禄5年/慶長元年)で、以来400年間場所を変えずに営業している。当初はお茶屋であったと言われる。丁字とは、当時貴重品であった香辛料のクローブのことである。

本陣跡から西へ3分ほど歩いたところにあり、名物・とろろ汁のほか、御膳料理を食することができる。

歌川広重が描いた名物茶屋は、丁子屋と紹介されがちだが、当時とろろ汁を提供する茶店は複数店存在し、広重が描いた建物が丁子屋であるという明確な証拠は無く、浮世絵の解説でも、単に「名物茶屋」とだけ紹介されている。

丁子屋の茅葺き建物は、1970年(昭和45年)12代目当主の信夫が、五十三次に似せた店構えにするために移築したものである。現在の丁子屋茅葺き建物を、五十三次に描かれた建物と同一の建物と考える者がいるが、無関係である。

丁子屋には、12代目の信夫が20年間に計4,000万円を費やして買いしめた東海道五十三次の版画すべてが所蔵されている。

なお、鞠子のとろろ汁店としては丁子屋が有名だが、他にもとろろ汁店は数店ある。

日本遺産[編集]

2020年(令和2年)6月19日、「丁子屋」と「とろろ汁」が文化庁文化財保護制度日本遺産」のストーリー『日本初「旅ブーム」を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅~滑稽本と浮世絵が描く東海道旅のガイドブック(道中記)~』の構成文化財の1つに認定された[3]

隣の宿場[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 丸子 名物茶屋
  2. ^ 土御門泰邦の『東行話説』には「芭蕉が梅若葉まりこの宿のとろゝ汁と言ひたるは今此旅の時節にかなひおもしろし名だかきとろゝ汁とはいかなるものぞと取寄せて見れば山薬は此山の名産と見えていかにも色白く青海苔も近浦よりかつぎ上げたりとおぼしくて色も香もうるはし梅若葉に並べたるも理り也只怨らくは味噌のあしきに鼻も開きがたく舌もちゞみてそゞろ音をはる咽の関も是はゆるさぬ斗也梅若葉いもが心を語らんも見初し旅のしるべすくなし」とある。
  3. ^ STORY#094日本初「旅ブーム」を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅(文化庁日本遺産ポータルサイト)

参考文献[編集]

関連項目[編集]

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座標: 北緯34度56分57.0秒 東経138度20分34.0秒 / 北緯34.949167度 東経138.342778度 / 34.949167; 138.342778