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日本IBM野洲事業所

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日本IBM野洲事業所
日本IBM野洲事業所の位置(滋賀県内)
日本IBM野洲事業所
日本IBM野洲事業所の位置
操業開始 1971年8月 (1971-08)
場所 滋賀県野洲市市三宅800番地
座標 北緯35度04分22.3秒 東経136度01分18.3秒 / 北緯35.072861度 東経136.021750度 / 35.072861; 136.021750座標: 北緯35度04分22.3秒 東経136度01分18.3秒 / 北緯35.072861度 東経136.021750度 / 35.072861; 136.021750
閉鎖 2007年7月 (2007-7)
所有者 日本アイ・ビー・エム

日本IBM野洲事業所(にほんアイビーエムやすじぎょうしょ)は滋賀県野洲市にかつて存在した、日本アイ・ビー・エム(米国IBMの日本法人)の事業所。

2005年8月に京セラに売却され[1][2]2007年7月本事業所は閉鎖された。

概要

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滋賀県野洲市市三宅800番地に所在。

1970年着工、1971年藤沢工場から移転したメインフレームの生産で操業を開始した。

最盛期の1981年は、大型ディスクの心臓部HDAから完成品の製造までを行っていた。当時は半導体からプロセッサまでの世界で唯一のコンピュータの一貫生産工場として絶頂期にあった。 当時の皇太子(平成天皇)を含め、累計20万人弱が訪れた。特に営業は毎日のように、半導体から最終製品までの生産工程を「コンピュータの基礎知識」というプログラムで案内した。「野洲に来ればコンピュータのすべてが分かる」とも言われていた。

しかし、メインフレームの地位低下により最終的に京セラに売却され閉鎖した。 現在は、京セラ滋賀野洲工場。

主な製品と技術

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  • 半導体 - 磁気ディスク装置用ロジック素子、PC用ロジック素子、プロジェクション・ディスプレイ用ライトバルブ素子
  • 多層プリント配線基板 - PC用、磁気ディスク装置用、外販用、半導体パッケージ用
  • 電子回路部品 - 磁気ディスク装置用、外販用、ネットワーク端末用、PC用
  • 生産用機器 - TFTアレイテスター、LCDプロセス装置、画像処理ボード
  • システム製品ソリューション - 自動オペレーション環境監視装置、コンピューター用電気・機械部品の開発
  • System/370
  • IBM 4341、IBM 4351プロセッサー
  • IBM 3090プロセッサー
  • IBM 9021プロセッサー

野洲研究所

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  • 1988年に日本IBM野洲事業所内に設立 [3]。英語名、Yasu Technology Application Laboratory。

製造部門に設立された研究所と言う位置づけであった。

  • 主要研究対象 - 半導体と実装技術

半導体ではPS/55向けの漢字フォントROMやThinkPad向けインテルCPUのチップセットなどを開発し、日本IBM野洲事業所で製造した。
実装技術としては主にはThinkPad向けのSLC(Surface Laminar Circuit)と呼ぶビルドアップ工法の高密度プリント基板の設計・製造を行っていた。

野洲硬式野球部

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詳細は、日本アイ・ビー・エム野洲硬式野球部を参照。

沿革

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  • 1970年昭和45年)10月 - 野洲工場建設着工[4]
  • 1971年(昭和46年)8月 - 工場操業開始[5]
  • 1971年(昭和46年)12月 - 初の製品としてSLTカードの出荷開始[5]
  • 1975年(昭和50年)11月 - 生産管理棟を完成
  • 1976年(昭和51年)3月 - ESLIロジック・モジュールを初出荷
  • 1976年(昭和51年)8月 - 高密度バイポーラ・ロジック・モジュールを初出荷
  • 1978年(昭和53年)5月 - IBM3033プロセッサーを初出荷
  • 1979年(昭和54年)6月 - IBM4331プロセッサーを客先向け初出荷
  • 1979年(昭和54年)8月 - 皇太子ご夫妻(平成天皇)、野洲工場ご見学[6]
  • 1979年(昭和54年)8月 - 増築を完了(生産、倉庫、動力の各棟)
  • 1979年(昭和54年)3月 - IBM3033‐Nを初出荷
  • 1981年(昭和56年)2月 - 第3期拡張工事完了
  • 1981年(昭和56年)7月 - 操業10周年式典を行う
  • 1982年(昭和57年)4月 - 第4期拡張工事竣工、生産管理棟を増築
  • 1982年(昭和57年)8月 - IBM3081‐Kプロセッサーを初出荷
  • 1983年(昭和58年)12月 - 半導体メモリー・チップを量産、出荷開始。素子からシステムまでの一貫生産を実現
  • 1984年(昭和59年)10月 - 野洲硬式野球部が第11回社会人野球日本選手権大会に近畿地区代表として初出場
  • 1985年(昭和60年)2月 - 第5期拡張工事に着工
  • 1986年(昭和61年)5月 - 第5期増築工事竣工
  • 1987年(昭和62年)7月 - 野洲硬式野球部が第58回都市対抗野球全国大会に野洲町代表として初出場
  • 2005年平成17年)8月 - 京セラに野洲事業所の施設、不動産を売却
  • 2007年(平成19年)7月 - 野洲事業所閉鎖

野洲事業所の会社

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株式会社アイテス
日本IBM野洲事業所の品質保証部門が母体[7]
ディスプレイ・テクノロジー株式会社(DTI)
東芝日本IBMの液晶合弁企業[8]インターナショナル ディスプレイ テクノロジー(IDTech)、エスティ・モバイルディスプレイを経て、現在は京セラ
野洲セミコンダクター株式会社(YSC)
日本IBM野洲事業所の半導体製造部門が母体[9]。セイコーエプソンの子会社、オムロンの子会社[10]を経て現在はミツミ電機子会社のMMIセミコンダクター株式会社。

アクセス

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脚注

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  1. ^ 半導体から本体まで世界唯一の一貫生産 日本IBMが「栄光の野洲」を京セラに売却”. 日経 XTECH (2005年8月30日). 2018年2月3日閲覧。
  2. ^ 京セラ/日本IBM野洲事業所(滋賀県野洲市)の土地、建物取得”. LNEWS (2005年7月3日). 2018年2月3日閲覧。
  3. ^ 日本IBM 会社経歴書”. 2022年3月9日閲覧。
  4. ^ 日本アイ・ビー・エム(株)『日本アイ・ビー・エム50年史』”. 渋沢社史データベース (1988年10月). 2018年2月3日閲覧。
  5. ^ a b 日本アイ・ビー・エム(株)『日本アイ・ビー・エム50年史』”. 渋沢社史データベース (1988年10月). 2018年2月3日閲覧。
  6. ^ 日本アイ・ビー・エム(株)『日本アイ・ビー・エム50年史』”. 渋沢社史データベース (1988年10月). 2018年2月3日閲覧。
  7. ^ 会社・事業の沿革”. 株式会社アイテス (2017年). 2018年2月7日閲覧。
  8. ^ ディスプレイ・テクノロジー株式会社の事業分割について”. 株式会社東芝 (2001年7月3日). 2018年2月7日閲覧。
  9. ^ 最先端ロジック半導体生産の合弁会社 「野洲セミコンダクター株式会社」設立”. セイコーエプソン株式会社 (2001年6月28日). 2018年2月7日閲覧。
  10. ^ セイコーエプソン子会社の半導体事業用資産の譲受を完了”. オムロン ヘルスケア株式会社 (2007年3月30日). 2018年2月7日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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